囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

貴人のごとく 3

2019年12月22日 | ●○●○雑観の森

 

呉清源の大局観と国際感覚と反骨についての巻】

 

■呉清源は「感覚」を研ぎ澄ませたヒトであった。

 

本因坊秀策の四百の棋譜を並べに並べては

重い全集を持つ手の指が曲がってしまった

「努力」のヒトであった。

 

部分では最強手を追求しつつ、

同時に全体とのバランスを見る

「大局」を俯瞰する視座を持ったヒトであった。

 

昭和の時代、十番碁を打っては全てを打ち込んだ

「天下御免」のヒトであった。

 

晩年は、国際感覚を体験的に身に付けた「ご意見番」であった。

 

         ◇

 

■わたしは、「中国ルール」をよく理解してはいないが、

ルールと所作・マナーについては、いつも頭のどこかに

置いておくべきだ、と思っている。

これは、碁の世界の「法」であるからだ。

呉清源回想録の中に、考えるヒントが散りばめられており

今も色褪せていない。

その主張の意図するところを、

その慧眼と反骨を、

かみ締めたい。

 

(呉清源回想録から、以下要旨)

中国ルールでは、
終局後の勝敗の確認は、
白か黒か一方だけの地と石の合計を数えればよい。
石と地を並べ替えて、その合計が碁盤の半分以上、
つまり181以上になった方が勝ちである。
むろん取った石はそのままで、
相手の地を埋める必要もない。

中国ルールは、
実際に打っても日本ルールとほとんど変わらず、
いま採用したとしても、
囲碁愛好者の間に混乱を招くほどのものではない。
実際に、日本の棋士が中国に行くと、
中国ルールで対局しているのである。
アメリカなども、中国ルールに近い形で行われている
と聞いている。

私には、なぜ日本棋院が現在の欠陥のあるルールに
こだわり続けるのか理解できない。
中国ルールは中国で生まれたものだから、
囲碁の先進国である日本(注・1980年代当時)では
採用できないなどと考えているとしたら、
了見の狭い話である。
囲碁の中心は、いつも日本棋院になければ気が済まない
という考え方は、百害あっても一利もないであろう。

本当の国際親善の成果を上げようと思うならば、
日本だ、中国だ、というこだわりを捨てて、
国際的視野で、皆にとって最も良い方法を選ばなければならず、
つまらない権威主義は捨てなければならない。

最近、日本は経済力の目覚ましい発展により、
世界に進出しているが、それと共に、
経済の遅れた国を軽蔑したり、
日本が一番優れているのだという、
日本中心主義の思想が復活する傾向にあるように思われる。

少なくとも、日本の囲碁界は、
そのような思想に毒されることなく、
広い精神と国際的視野を持って、
普及にあたってほしいものである。

 

 

 

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