【享保の改革を支えた名奉行のはなし の巻】
大岡越前守忠相は名奉行といわれて
評判が高かった。
ある時、奇妙な訴えがあった。
ある男が、何も商売をしていないのに
かなりの暮らしをしており、怪しい、
というのである。
越前守は、与力に命じて
その男を白州(しらす)へ呼び出して
取り調べた。
「お前は、何の商売をせずに、
どうして暮らしを立てているのか」
男は頭を地面にすりつけたまま
何も答えない。
「さては、そのほうは
〝地捜し(じさがし)〟であろう」
「へえ、さようでござります」
と、男は、ようやく顔を上げて、
ほっとした表情で答えた。
すると、越前守は、
「それなら許して遣わす」
といって座を立ち、
奥へ入ってしまった。
不思議に思った与力が、
あとで越前守に尋ねると
〝地捜し〟とは、
朝早くか夜中に町を歩き回り、
道路に落ちている物を拾い集めて、
それを銭などに替えて
生活を立てている者のことだ と分かった。
その後、
肴売り(さかなうり)をしている者が
知り合いの寺の僧に女を世話した、
という訴えがあった。
越前守は早速、その肴売りを白州へ呼び出し
「その方は〝南向き〟か
それとも〝北向き〟か」
と問うた。
すると、男は目を見張って
「へえ、〝南向き〟でございます」
と素直に答えた。
越前守は、まじめな顔で
「〝南向き〟なら大目にみてやるが
もし〝北向き〟ということがわかったら
許さんぞ」
と、釘を刺して席を立った。
与力は、またも、
その意味がわからないので、
あとで越前守に尋ねると、
越前守は
「下々(しもじも)の言葉を知らぬでは
与力が務まるまい」と言い、
改めて意味を説明したが、
〝南向き〟とは僧の「肴食い」のことで
〝北向き〟とは「女を買う」ことだとわかった。
どれも、僧たちの間で使われていた隠語で、
酒を「般若湯(はんにゃとう)」と言ったり
妻を「大黒(だいこく)」と言ったりする類であった。
(出典:甲子夜話)
* * *
奉行は旗本、与力は御家人である。
エラくなると世情に疎いのが
身分社会の常だが、これは逆。
越前守が、いかに情報収集を
重要視していたかが分かる。
世の変化にアンテナを張り巡らし
怠りなく日々を過ごしていたのである。
囲碁将棋のルールは
とてもシンプルなので
簡単に覚えられる。
が、覚えてからが
大変なのである。
とくに碁は、石が黒と白の色の別があるだけで
着点によって意味合いが無数に変化するので
厄介であり、上達の道は長く遠い。
時代によって流行があり、
廃定石をぐずぐず持ち出しても
先をゆく者と対峙できるものではない。
千局打てば初段、なんて言葉もある。
数を打てばそこそこまで行ける、
かもしれないが、
多くはそこそこで終わることになる。
漫然と打っているだけでは
頭打ちになるのは必定である。
ひとつひとつの意味を知ること
その積み重ねによってのみ
力が着いてくるのである。
それが継続して出来る人は稀で、
五十人に一人が初段になり、
二百人に一人が三段になれる。
これら免状は偏差値70の世界である。
これは何事にもいえることだが、
ここまでは政治、ここまでは医療、などと、
互いの専門領域に強く踏み込むこともなく
腰が引けていては、なるものもならぬ。
ものごとを甘く考えてはいまいか。
そんなことで、この難局を切り抜けることなど
とても叶うまい、と思うのである。