囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

ほろ苦き、友情の味

2022年05月27日 | ●○●○雑観の森

 

ヒトはヒトと出会って

知人ができては

友人に発展するヒトもあり

知人のままのヒトもあり

疎遠になっても

また逢いたいなあと思うヒトあり

そのまま忘れてしまうヒトあり

 

友情の「素」は何かと問えば

信頼とか信義とか答える向きが多いだろう

十年二十年も逢わず

手紙も電話もしていないのに

時々思い出すような人物に

友情の「誠」を見出すことがある

 

「碁がたきは憎さも憎しなつかしさ」

という川柳がある

 

碁打ち同士の心持ちを端的に表している

負けた時など悔しくてたまらないし

しかし、また会って碁盤を囲みたくなる

憎くて懐かしい、懐かしくて憎らしい

もし碁を媒介としなければ

人間関係の味は薄く淡いものになるはずだ

 

人と人の壁を取り払うのに

勝負事という媒介物は

とても便利に出来ている

互いに敵対するのだが

その敵対関係に注力するとき

大枠として「共に同じルールを守る」

という暗黙の約束をたがえてはならぬ

ここを軽くみてはいけない

 

どうせ遊びだから、負けても平気、では、

身が入らずに面白くもなんともない

負けて悔しがるからよろしいのである

憎むぐらい悔しくなくては

真剣に遊んだことにはならない

 

ところがである

勝負事は熱くなればなるほどに

難しい問題が現れてくるから

何とも、ややこしいのである

ルール破り、あるいは、イカサマである

 

どうしても勝ちたいとなると

思いが上滑りして、ついズルをやらかす

このため、せっかく芽生えたばかりの

友情の芽が摘まれてしまい

場合により破壊されることになる

 

この六年、

囲碁サロンでも、地域碁会でも

イヤ~な思いをしたことは

ずっと覚えているものだ

打ち直し、イヤミ、捨て台詞、等々

やった本人は忘れているかもしれないが

こちらは忘れていない

 

碁を囲むという遊びには

人間関係を育てることも

人間関係を壊すことも

できるとしたものだ

 

どんなに立派な人でも

社会的に成功した人でも

ココロのどこかに陰がある

 

ズルをせず正々堂々勝負するという

フツーのことを普段からやっておかねば

「あの人とは二度と打たない」

となるから、たしなむ以上は

心しておかねばならない

 

 

たかが碁、されど碁、である

 

 

 

▲ゆるゆる碁会とはいえ、ズルはいけませんよ、ズルは。特にリーグ戦期間は。

考える時、碁石には触れず、手は膝に、背筋を伸ばせば、ココロも手も伸びやかになりますよね。

普段からちゃんとやっておけば、あの人と打ちたい、となりますよ。きっと。

ひとりひとり、よくよくご覧ください。皆さん、おおむね上品ですね。

石をジャラジャラ・クルクルしたり、だらしなく座るなど、そんな方はおられません。

熱中する姿には<人間の本性のようなもの>が剥き出しになっているのが見て取れる

 



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