コミュニティサロンふれあいらんど

先人樹を植え、後人その下に憩う

共謀罪法案は廃止!

2017-07-11 10:36:44 | 日記
2017.7.11共謀罪法案が施行される。テロ対策は嘘っぱちで、いわゆる「一般市民」を監視するぞ!との脅しで、市民を萎縮させるのが狙いであることは、広く語られている。「特定秘密保護法」から一連の戦争法案の施行のもと、恐怖感を煽り、そして、戦争による破壊でしか、成長経済のお題目が達成できない状況に、我が国「日本」も追い詰められていることの証である。
このことは、国民生活の安全よりも、国家の面子が優先する「棄民」主義となる。狭山差別裁判で、現地調査にも参加した私の経験からですが、犯人を目の前にして、取り逃がした警察の面子から、石川一雄さんの冤罪事件となったのですが、「共謀罪」法案のもとでは、実行犯の取り逃がしの事態どころではない、犯罪が発生したことで、犯罪発生前に、「共謀罪」での検挙できなかったことが、警察の面子にかかわることになり、ますます、冤罪事件が増えることとなるのは、明らかである。
昨日(7/10)の朝日新聞歌壇に―「独裁」と言わず「一強」葉ざくらが膨らみながら昏(くら)みゆくなり―。そう云えば、「朝鮮」のミサイル発射実験を「挑発」と云い、アメリカとのミサイル発射演習は「牽制」という。そして、極め付けが「翼賛」を「忖度」という、今日この頃だが、戦前の「撤退」を「転進」、「全滅」を「玉砕」、「敗戦」を「終戦」のあの頃に。
週刊金曜日6月30日号の「投書」の「たった一人から再出発しょう」に『――竹中労は「人は、無力だから群れるのではない。あべこべに、群れるから無力なのだ」と言った。群れない運動には、左翼右翼を乗りこえた多様性が宿る。権力がもっともおそれるのはそれである。――』と
まずは、本日(7/11)、午後6時から、梅田ナビオ西北側での「市民と野党で共に闘う☆共謀罪を廃止へ!」共同街宣に行きましょう。

2017東京都議選とは

2017-07-02 22:21:46 | 日記
 世界はかように動揺する。自分はこの動揺を見ている。けれどもそれに加わることはできない。自分の世界と現実の世界は、一つ平面に並んでおりながら、どこも接触していない。そうして現実の世界は、かように動揺して、自分を置き去りにして行ってしまう。はなはだ不安である。----------2017年7月2日の東京都議選の開票速報を見ながらの私の心象である。と言ってもこの「世界は~~不安である」は私の作文ではありません。100年も前の1908年(明治41年)9月1日から「朝日新聞」に連載された、夏目漱石の小説「三四郎」の1節であります。
 そして、また、私は、この1節を記憶する程の文学青年でもありませんでしたし、記憶力もありません。実は、少し前に、梅田の某書店での割引価格(50%)で、買い求めた、逸見庸「抵抗論‐国家からの自由へ‐」に引用されていたものであります。
 大阪・橋下劇場以上に、アベ自公政権へのインパクトはあるのだろうが、少しの遠回りをしているだけで、限りなく奈落の世界への思いの諦観から、「世界は~~不安である」に感銘いたすところであります。