イイネ。ミウミウも。可愛い女性には、ミウミウのなかでも比較的コンサバなワンピースをプレゼントしたい。こう考えても私の自由だ(笑)
聖書に登場するサタンとは、実は、サドパリ派に反し、イエスを擁立しては自分に権威付けを目論む手合いだった。イエスはそれをも断り、避けた。当然かな。いずれにせよ、ローマによる封地的な治世の下、同じことだったろうから。
「腹が減っているのだろう。男の子( Son of Man( ≠ son of woman))なら、その石をパンにかえてみて食せばどうか。」
五千人はそれをみていたが、誰一人としてうえはしなかった。無論、五つのパンとは言葉のことであり、十二のバスケットにもありあまり満ち足りた。イエスは慎重に言葉を選んでみせたのだ。はっきり言っておく。
ついでにいうと、五歳の男の子が持ち寄った二匹の魚とは、ペテロとアンデレのことである。イエスの元に彼の手をひいたのはアンデレだった。ペテロとアンデレの名を持つ男の子は幸運である。
ダブルでど~ぞ
いつまでも後生大事に権威にしがみついては泣きつかず、自ずと腹を切れ腹を
サドカイ派であろうがパリサイ派であろうが、もはやそのような権威などない
イエスのようにガリラヤの荒野を一人で歩き考えてみよ。だが、できはしまい