忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

唐揚げ定食のはなし

2021年11月22日 | 忘憂之物

数年前になるか、お勧めの本をプレゼンして「どれが読みたいか」を競う「ビブリオバトル」なるものが少し流行った。私の勤め先でもブームが来て、社員の皆さん、読書をしてますか?ということでやることになった。

腐っても東証一部上場企業。558万社ある企業のうち2160社(2019年)の大企業だ。社員数も多くて全国の地区予選から始まるという、まあまあな気合の入れようだった。優勝者は金一封に社長とメシ。あまり魅力は感じなかったが、嫌いなジャンルでもない。読書も趣味だし、プレゼンは苦手じゃないし、とか考えていたが、それでもやっぱり面倒臭い。

私は積極的に積極性を殺しているから手も挙げない。十数年前に一緒に働いたメンターからの助言でもある「毒にも薬もならず生きていく」を実践し始めてずいぶん経つ。目立たぬように、燥がぬように、似合わぬことは無理をしないと決めている。それにまた、昔のようにネットに顔を晒されて「人殺しの顔はコレ。犬殺し」とかされたら疲れる。ちなみに人も犬も殺してない。

人間50年。味方は作らねばならないが敵は勝手にできるとも知った。下手になにかして敵を作って攻撃されるのも勘弁願いたい。出る杭は打たれるし、出過ぎた杭は抜けてしまう。それなら私はずぶずぶと埋まっていたい。しかし、静かに埋もれている私の頭をこつこつと叩くものがあった。東日本のボスだった。「おまえ出ろ」。

私はやんわり断った。すると「自信がないのか」とか言ってくる。そうです、私なんぞ、もうそっとしておいてください、誰にも迷惑かけませんから勘弁してください、とさらに地中深く埋まろうとするも、頭の禿げた還暦過ぎがニヤけながら「そうか、逃げるのか」。


「人を使う」ということはマネジメントにおける真骨頂だ。ヒトモノカネ、というが、この最初にある「人」が使えないマネージャーは、当然ながらモノカネの管理運営も適切に行えない。その点、この禿は侮れない。

優勝したらどうしてくれますか?

「なんでもいい」

私が退社するまであと10年と少し。今後、私が在職中の昼飯、ずっと唐揚げ定食を大盛で奢ってください。レシートは貯めて個人的に送ります。月末に「唐揚げ定食代として」振り込んでください。唐揚げ定食限定ですが毎日ずっと、私が昼に唐揚げ定食を食した場合の支払いをしてください。カレーやとんかつなど他の定食は結構です。約束しますか?

「わかった」



さて、どの本がいいか、と自宅の書棚をみる。最初にビジネス書の類、啓発本の類は面白くないから外す。小説も好き嫌いがあるし、最近は努めて読むようにしているが、あまり詳しいわけでもない。とはいえ、小沢一郎や辻元清美のの悪口、中国や韓国、ロシアやアメリカの悪口の本も危ない。

とりあえず政治的なジャンルも外す。歴史関連も危うい。日本は素晴らしい国だ、とか書いてある。先の大戦は侵略戦争ではありません、とか言えば右翼だと思われて左遷されるかもしれない。とはいえ、蓮舫や野中広務、辛淑玉や福島瑞穂を読んでいるとバレたら阿呆だと思われる。

迷った挙句、結局はビジネス本の類、それも当たり障りのない無難なものを選んで当日、地区予選に行くと、みんないろんな本を持ってきた。やはり外国人の書いた啓発本も目立つが、中に少数だが堂々たる左に巻いた本を片手にする者もいた。中には知ってる顔の社員もあったが古い幹部社員もいた。誰でも知ってる有名な啓発本を持っていた。誰でも知ってるなら読んでいると思うが、なるほど、これは共感を票に変える作戦かと感心もした。

また、これは偏見だが、左に巻いていると思しき連中とは総じて「仕事に難がある」連中だった。繰り返すが、私の偏見による勝手な評価である。

こういう連中の特徴としては、例えばだが、無駄に態度が横柄。簡単に引っ繰り返せるレベルのマウントを取りに来て、あっさりと引っ繰り返せば離れていく。口数が多くて行動が少ない。仕事なのに抽象的で数値化しない。アイデアも出ないが結果も出ない。部下の愚痴を言う。面白くもないはずなのに笑う。

そして責任を取らない。




2011年、悪夢のちょうど真ん中くらいのころ、民主党の前原元外務大臣は参議院の予算委員会、外国人からの献金を自民党の西田昌司議員から指摘されて2日後に辞任した。その場で認めて、間違っていたと謝罪して、すぐに辞めた。ある意味、潔かったし、献金くれた相手も昔馴染みの焼肉屋のおばあさんだった。比して当時総理大臣だった菅直人もこの後バレる。相手は在日系の旧横浜商銀信用組合 の非常勤理事だった。

献金先は菅直人の政治資金管理団体「草志会」。この団体から「政権交代をめざす市民の会 」に政権交代直前になる2007年に5000万円、2008年には1000万円が寄付されていた。相手も金額も冗談では済まないことだった。

「政権交代をめざす市民の会」は斎藤まさし氏 が代表を務める「市民の党」と実質のところ同団体だった。そこに当時の民主党系の地方議員が年間数百万単位を寄付もしていることが分かった。

議員報酬よりも多額の寄付をしている議員もいた。西田氏は予算委員会で「どうやって食べているのか」と質問もしている。これも当時、ネットではニュースになっていたが「市民の党」に属する地方議員2名は横浜市議会定例議会で日の丸の掲揚に抗議して引きずり降ろそうとして退場させられたりした。この女性議員も「市民の会」に150万円の寄付があった。

当時の民主党はいま話題の武蔵野市における選挙区で「市民の党」と連携して候補者を調整していた。2005年だ。そしていま、遂に「外国人にも住民投票を」となった。テレビで大人気の橋下氏も「ゴミ捨てのルールとか、外国人にも意見を聞くべき」と形振り構わなくなっている。実に恐ろしい。


その当時の菅直人もすぐに辞めるのかと思ったら「これからも精いっぱい頑張っていきたい」。政治屋でも独裁国家でも、今も昔も左に巻いた連中は謝らない。認めない。反省しない。学ばない。そして辞めない。

怖いのは当時の民主党政権、閣僚からも党内からも批判は出なかった。官房長官だった枝野は記者会見で「前原さんは辞めましたが?」と記者から問われ「前原氏は個人の判断で対応した」と言った。前原氏は個人的に勝手に辞めただけ、だからそれがどうした、ということだった。


元都民ファーストの当て逃げ都議が乗り切れる、と判断したのも無理はない。そのために左に巻いたこともやってきた。ジェンダーやらSDGsとやっておれば、同じ仲間が庇ってくれるはずだと思っていたが、小物過ぎて使えない、とされたら切られるのも早いのが左巻きの特徴でもある。

また、その逆にも気を付けたい。


つまり、使えると判断されたら庇ってくれる。使えるかどうか、迷っていれば叩き方も温くなる。親中議員を要職につけたり、中国のジェノサイドに対する非難決議を出さなかったり、実質的に無制限で移民を受け入れるとか、日本と日本人が困ることをすれば、利害が一致するマスコミは庇ってくれる。


そんな日本が嫌いな日本のマスコミは日本人から切られそうになっている。いま、橋下元市長など、お茶の間で大人気のコメンテーターで頑張っているが、ひと昔前によく見た顔はもはや、見なくなったか、久しぶりに見かけても「ネタ」にしかならない。浜矩子なんか、アベノミクスを「アホノミクス」としていた頃は元気だった。「1ドル50円」も今は懐かしいが、いま、また「アホダノミクス」とかやってる。ご苦労様である。

涙が出そうだが、安心せよ。数年前の「ビブリオバトル」。アホノミクスと書いた著作を持っているのはさすがにいなかったが、なんか「子供と考える経済」みたいな浜矩子の本を持ってバトルに挑んだのもいたぞ。もちろん、そんな阿呆はすぐに敗退していたが、買って読んでくれている人がいる、というのは凄いことじゃないか。たいしたもんだ。




―――さて、あのニヤケ還暦もそろそろ引退だ。

明日くらい、久しぶりに「唐揚げ定食・大盛」でもたかるか。




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