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忘憂之物

低い山でも遭難相次ぐ 全国で2人死亡8人不明



低い山でも遭難相次ぐ 全国で2人死亡8人不明

< 年末から、冬山での遭難が相次いでいます。4人が行方不明になっている富山の剱岳では天候不順のため捜索が見合わされ、ほかにも長野などで4人が行方不明となっています。さらに6日、北海道の夫婦山では行方不明となっていた男性が遺体で発見されました。また、兵庫の明神山では1人が救助され、1人が死亡。栃木の古賀志山では、1人が救出されました。夫婦山、明神山、古賀志山は、比較的標高が低い山でした>







恐怖の看護師長。職場の誰もが震えあがる「白衣の堕天使」は50代半ば。旦那は亡くなっていて娘は嫁に。旦那の保険金もある。貯金もあれば車もある。もちろん、まだまだ自らの収入もある。つまり、独り暮らしで人生がパラダイス状態になっている。

タバコは吸わないけど酒は大好きで、週末になると友人らと飲み歩く。ほんのりメタボなのはその所為だと笑う。それから旅行三昧。「海外なんて行かなくても、日本のほうが素晴らしいところがある」と言いながら国内旅行は月に2度、北海道から沖縄まで飛びまくる。

実に羨ましい生活をエンジョイしているわけだが、職場では「恐怖の大王」。ソロモン72柱の1柱、東方の66の軍団を率いる序列第一位の悪魔「バアル」を彷彿とさせる「嵐と雨の王」。今日も職場には暴風雨が吹き荒れるのであった。

でも、この悪の王。私には優しい。周囲が凍りついているところ、私だけが「空気を読まず」に普通に話しかけるから、見ている人らは驚くのだという。性格は傲慢で断定口調。他の介護職員らを見下し、小馬鹿にしながら呆れて見せ、女性職員が泣くまで詰めたりする。周囲は言う。看護師長が私にだけ優しいのは、その性質などが「似ているからだ」。「仲間だと思っているんだ」とか酷いことを言う。

しかし、私はあくまでも悪魔ではない。私にだけ優しいのは違う理由、たぶん、私が普通だからだ。もしくは、例えば「バアル」は最強の悪魔と呼ばれるだけあって、知恵があり剣術にも優れていたが、旧約聖書によると預言者のエリヤに敗れ去っている。つまり、逆だ。警戒されている、とも言う。

そんな「バアル」に問うてみた。バアルの趣味は旅行だけではなく、その目的として登山があるからだ。私は挨拶程度の「軽いノリ」で、遭難とかしないでくださいよ、大丈夫ですか?と問うたのであった。周囲の予想は「自分に限って」だった。日本の山々を制覇したバアル様に対し、なんたる無礼な口を利くのかと怒り狂い、職場はまた暴風に曝されるであろう、と旧約聖書にも書いてある雰囲気だった。しかし、バアルは素直に王冠を取り、そうなのよ、山は怖いのよね、とあっさりと認めた。

装備も充実していた。レインコートだけでも数万円もするとか。安モノもあるにはあるが、数千円のソレで山に挑むと理解できるのだという。「コレでは通じない」という実感が、どうしようもないリアル、寒くて死ぬかも、という本物を教えてくれるのだという。

正月気分も冷めぬ4日、静岡県警が19歳の男性二人を救助した。男性らは革ジャンにチノパン、スニーカーで閉鎖中の「富士山スカイライン」の入り口から勝手に入山した。登山用の装備はまったく所持していなかった。助かった男性は県警の山岳遭難救助隊員に「軽いノリで登ってみようと思った」と話して呆れさせた。装備を持ち、経験と知識があっても遭難者は出る。現にそのとき、富士山には環境省の39歳の男性が入山して連絡が取れなくなっていた。長野県の北アルプスでも大天井岳で男女2名が遭難、明神岳でも男性二人が行方不明になっていた。「軽いノリ」かどうかを問わず、自然というのは無関係で無差別に襲いかかる。


バアルは食事介助をしている職員が雑談に興じていると睨みつけて叱る。信じられないかもしれないが、職員の中には雑談に夢中になり、利用者の口元すらみないで介助するのもいる。あるいは自力で食事している利用者をまったく見ていないとか。

以前、バアルに聞かれたことがあった。仕事中、何を意識しているか、みたいなことだった。私は「首を動かすこと」と答えた。パチンコ屋のときも、ホールの仕事を教える際には徹底して言った。頭を動かさないと視野は限られる。それでなくても人間は後ろが見えない。だから、ホールを歩くときには首を動かし、視認できる範囲を広げるようにしなさいと言ってきた。いま、私はそれを実践している、というか「癖」になっていた。

看視のときは食堂を見渡せる場所で待機する。何らかの介助をしている際も、可能な限り首を稼働させて周囲を認知する。すると、いろんな情報を頭に入れることが出来る。仕事の優先順位を組む際、とても重宝する。その順位の数自体も増える。つまり、管理できる仕事が増える。また必然的に「気付き」が増える。気付けば動く。それが連続する。

休日を明けて出勤すると、ひとりの爺さんが入院したという。食事の際、食べ物を喉に詰めていた。発見したのは近くにいた介護職員ではなく、他の仕事で食堂を通りかかったバアルだった。爺さんは顔面蒼白、窒息していた。同じく顔面蒼白になったバアルが走り込んできた。介護職員らが笑い声を止めたのは、バアルが食事を吐かせたときだった。

爺さんを救急搬送すると、バアルは烈火の如く怒鳴ったのだ、とバアル本人から聞いた。「私はあの子らが怖い。本当にあの子ら、なにを考えているのか・・・」と、その介護職員の呑気さを悪魔が恐れていた。悪魔が恐れていた通り、その爺さんは集中治療室で辛うじて息をしている。意識は戻らない。自力で食事ができ、歩くことができ、会話も出来ていた爺さんが、だ。ここにも書いたことがある。私と朝のブラックコーヒーを一緒に飲んでいた爺さんだった。職員が気づいていれば、ちゃんと見ていれば、なんとかなった「事故」だった。

家族には「食事中の事故」でお仕舞いだ。職員らが雑談に興じていてほったらかしだった、とは言わない。ツッこまれても他にも御利用者様がいらっしゃいますから、とクソ丁寧な説明で終わりだ。

バアルがいないときの職員らの反応は「だって、しゃーないやん」だった。実に「軽いノリ」だ。だって、しゃーなくないように自分らがいるのだという自覚はない。事実、ひとりの人間が死にかけている。植物状態になって彷徨っている。娘さんは泣いている。介護相談員の説明に納得し、いろんな疑念も圧し殺しながら集中治療室の前にいる。

防げた事故だったかもしれない。少なくとも、その可能性は大いにあったし、その遠因には「雑談をしていたから」というファクターが考えられる。だからバアルは呆れる。恐れる。それから見下す。リアルを考えない軽率を、悲しい気持ちで小馬鹿にする。

フル装備で登山しても遭難することがある。チノパンにスニーカーでも下山できる場合もある。つまり、ちゃんとしていても事故は起こる。していなくても事故は起こる。ある意味、すべての事故は「結果的に偶然」である。危険な行動をしても事故に至らなかった場合というのはある。要すればすべからく「結果」のことであるから、それまでの過程については見直される必要があるも、その残念な「結果」に対しては受け入れる他なく、且つ、基本的には「誰も責めてはいけない」という暗黙のルールがある。私もそうは思う。

しかし、だからこそ「軽いノリ」は排除せねばならない。車の運転と同じだ。我々はエンジンをかける度に交通事故で死ぬ可能性も殺す可能性も発生させている。「自分だけは酒飲んでも大丈夫」という社長マンがどれほど阿呆だったかも教訓だ。社長マンは事故を起こさなかった。少なくとも深刻な人身事故はなかったはずだ。でも、それで飲酒運転が肯定されることがないように、重大な結果を生む可能性があるすべてのことに対しては、せめて謙虚な姿勢で真剣に対応すべきなのである。バアルは「そのこと」を言っている。


ベランダでマルボロを吸っていると、寒空の下、バアルが話しかけてきた。次の休み、また登山に行くのだという。新しい登山靴も買ったとか、嬉しそうに言っていた。ベランダから通路を見る。車椅子を押していた介護職員の女性が「なにか」に反応して走った。何事か、と私もバアルも反応した。マルボロの火を消して、通路に放置された車椅子の婆さんに近寄ると、ブレーキもしていなかった。バアルはその先まで小走りで行った。そこには介護員室があった。バアルはそこで様子観察すると、呆れた表情で私を見た。ゆっくりと歩み寄って来て、それから静かに「携帯」と言った。ベランダを閉めていたから「音」は聞こえなかった。つまり、そういうことだった。

「用件」を済ませた女性職員が戻ってきた。私が車椅子を押していると、ああ、すいません、てへへ、と奪って行った。バアルはもう一度、私を見て「な?怖いやろ?」と言った。私は「どうぞ、やっちゃってください」と頼んだ。しばらくすると、職場には最強最悪の悪魔・バアルが召喚されていた。哀れで馬鹿な子羊はまた泣いていた。私はざまみろ、ばぁか、と思った。
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