モンスターペアレントという言葉は2007年頃、元・小学校教諭のTOSS代表、向山洋一氏による造語だという。意味は「不当、不可解な要求を、次々に担任、校長、学校につきつけている保護者」とのことだが、その当時は関連する書籍なんかもたくさん出て、その所為で学校の教師などが精神を病んで休業したとか、退職してしまったとか紹介されていた。
良識や常識がぶっ壊れた連中を相手に、理不尽と不条理に晒され続ける現場教師は「飲む・打つ・買う」を「(薬を)飲む・鬱(になる)・(宝くじを」買う」に変容させながら喘いでいた。「事例」を並べるまでもなく、そのどれもが酷い話で、世間はそんな阿呆親に対して憤って見せてもいた。そして蛙の子は蛙、モンスターに育てられた子供はモンスターになる。
強い言葉で指導するのはダメ、子供の人権に配慮して尊重して個性を認めて自由にさせるべき。体罰などもってのほか。それは「暴力行為」で犯罪だから、悪さした餓鬼にビンタした教師は普通に解雇処分された。酷ければ逮捕されて有罪だ。そうなればどこの誰も他所の子供など怖くて触れない。いま、我が子でも親にシバかれたら警察に駆け込む時代になった。
また、カツオものび太もやっていた「バケツを持って廊下に立つ」のも人権侵害、子供の虐待だ。教師は威厳もクソもなく、ハゲじじい、殴れるもんなら殴ってみろ、と子供から挑発されても「やめなさい」しか言えなくなった。世間の大人が親モンスターを怖がっていると、その子モンスターはさらに凶悪になった。それらがいま、大量に社会に出てきている。
もちろん、古代シュメール人からして「最近の若いもんは」と愚痴っていた。しかしながら、いま、そんなことを言っていたら「若いもん」に逆襲される。若いとは思わないが、最近でも、社のコンプライアンス窓口に通報があった。30代半ばの男性社員だ。中途採用で3日ほど働いて「上が気に入らない」と本社に「通報」したという。私は個人的にその営業所の責任者を知っていたので事情も聞いたが、まあ、よくある話の範疇だった。控えめに言ってもどっちもどっち、上長の言い方や態度、立ち振る舞いに問題があったかもしれないが、それでも「そのくらいどうした。イヤなら辞めればいい」と言う他ないレベルだった。
その30代半ばは親と一緒に抗議してくる。どこかの立憲民主党みたいに「法的処置」も臭わせる。働いたのは3日である。私の個人的主観であるが、そんなのどこにでもある普通のことである。要すれば、その30代半ばは現場のイロハも知る前から、知ったかぶりで口を挟んでくる面倒臭いタイプだったという。そこで上長は「先ず、自分の仕事を覚えろ」として叱責した。組織やチーム、先輩や上司の批判ばかりせず、先ずは組織に溶け込む努力をせよ、というか、お前まだ3日目だろ、という意味のことを強く伝えたという。上長が言うには「社の方針まで批判してきて驚いた」とのことだった。もちろん、その上長は取り合わなかった。当然だ。
ちなみに、個人的興味で「なにを言っていたか」も確認した。もしかすると、入社3日目とはいえ、そこは画期的な提案かもしれない。私はそういう偏見もないから聞いてみたが、実に幼稚で実にくだらない実に青臭いことだった。まるで「9条があるから日本は戦争に巻き込まれない」と言っているレベルの現実を知らぬ、甘ったるい阿呆な屁理屈だった。
しかし、その30代半ばは会社に「あいつを辞めさせろ」と訴えてきた。まるでどこかの憲法審査会、前筆頭理事だが、会社からしても十数年以上の勤務歴がある管理職と、中途採用3日目の新人くん、天秤にかけるわけもないから、とりあえずお茶を濁してヒアリングをしてきたという。コンプライアンス担当は「とりあえず、謝ってさ」などと日本の外交みたいなことを言ってくるが、その上長はそれを蹴った。「自分が間違えているなら自分を処分すればいい」と突っぱねた。私は電話で「立派だ」と褒めておいた。
困った担当はそれをそのまま報告する。どの組織でもどこかには真面な人が混じっていて、報告を受けた上層部のおっさんのひとりが「それはそうだろう」となった。結論はパワハラでもなんでも、出るとこ出るなら受けて立ちます、どうぞご勝手に、だった。そのおっさんは言っていた。「端的に言って頭おかしい」。その通りだと思う。その阿呆は親と一緒に散々な文句を垂れて辞めていったという。その上長と共に、彼の今後の人生に幸あれと願わずにはいられなかった。少なくとも、その上長が私でなくてよかった。
また、ファミレスなどに行くと家族連れがいる。親はスマホ。子供がスマホかゲーム機を持って、小さい子なら寝そべっている。そして思い出したように料理を口に放り込み、また、寝そべってゲームに興じている。「行儀が悪い」と叱る以前の問題だ。
母親に対して命令口調、怒鳴り声をあげている「小さい旦那」もみかける。教師をファーストネームで呼んでため口、それを「良いこと」として受け入れる教師もいる。古臭いとか爺臭いと言われて結構。こんなの国が亡ぶと知れている。
この18歳の元自衛官候補生は、モンスターペアレントという言葉が生まれた2007年なら2つか3つだ。立派なモンスターに育ったものだが、マスコミはまた「複雑な家庭環境で極貧生活で不登校になって」みたいな話をする。まるで「複雑ではない家庭環境で裕福、学校での成績も良くて人気者」は犯罪をしないかの如き決めつけだ。坂本龍馬も不登校だし、エジソンも退学処分になっている。「複雑な家庭環境」で「不遇な幼少期」なら徳川家康は「どうする」。
もういい加減、そんなことは些末な問題であると認識すべきだ。そもそも「何不自由なく育った」としても、総理秘書官になって公邸で阿呆晒してしまうのもいるのが現実である。
日本人は油断しすぎた。戦後、教育を壊され、マスコミを支配され、政治を牛耳られた。いま、とうとう司法まで危ういことになっている。このままではアメリカの二の舞だ。アメリカにはまだトランプがいるが、日本にはもう、安倍さんはいない。
「子供の人権、子供の権利を守れ」というポリコレの目的は教育の破壊であった。日本人が日本人を作ることを防ぐ手段であった。今日から施行される「LGBT理解推進法」もわかりやすいだろう。「女性の権利を守れ」の行く先には「女子トイレ」すらなかった。
世を騒がせるモンスターの申し子は少なくないが、これが警察や消防、自衛隊ならより際立つ。しかしながら、巷には膨大な数のモンスターが死んだ目をして徘徊している。それに日本よりももっと「複雑な家庭環境」「想像を絶する貧困状況」「不登校どころか学校もない」国からもMonster が何百万人か潜んでいる。それをこの国のリーダーは「国の宝」だと言った。1989年、海部俊樹をして小沢一郎は「神輿は軽くてパーがいい」と言ったとか言わないとか。真偽は不明だが、実に言い得て妙だ。