忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

解散時期探る首相「いつやってもいいと思ってる」…「月内」「今秋」両にらみ

2023年06月13日 | 随感随筆




ヘラクレス・ローン・ホークというプロレスラーがいた。来日する前は「マグニフィセント・ズール」の名で活躍。デビュー戦でなんと、あのフレッド・カーリーをパワーで圧倒。ベアハッグで勝利すると「トニーアトラスを超える逸材」として「週刊ゴング」などで絶賛されていた。力・技術・闘志と「三拍子」揃っているとのことで「全身にバネが仕込んである」と言われる超人レスラーだとされ、日本のプロレスファンは来日が待ち遠しかった。

当時のプロレスマスコミは素晴らしく、幼少期の私は「週刊プロレス」と「週刊ゴング」と「ディリースポーツ」や「東京スポーツ」で活字とエロを学んだと言って大過ない。「レスラー名鑑」など手垢で真っ黒になるほど何度も何度も読んで暗記していた。好きこそものの上手なれ、そこらの阿呆餓鬼が「ポケモン」を全部言えるのと同じだ。この集中力が勉学に向いた場合を「秀才」と呼ぶだけのことだ。

また、往年のプロレスファンなら共感してくれると思うが、例えば、テレビで稀にやっている「プロレス好き芸人・オタククイズ」みたいなのがあるが、私レベルなら、もう、ぼんやり見ていても正解率は9割を超える。問題のほとんどをして「レベル低いなぁ」と思うほどである。ともかく、ローン・ホークは本名が「ジェームス・サタング」だ。この「サタング」はズール族で「獅子の子」となる。サタングの家系は代々村長を務め、その子孫であるサタングは英国に留学、そこで電子工学を学んだ。サタング、実に11歳である。天才だ。

もちろん、そんなサタングは文武両道。英国ではレスリングと運命的に出会う。そこを英国訪問中のカナダのプロレス団体のプロモーターだったフランク・タニ―の目に留まって契約。カナダのリングで連戦連勝、暴れまわっているところを、あのタイガー・ジェット・シンが発見。惚れ込んでしまうということだった。まだ見ぬ逸材、謎の天才レスラーだ。

いや、だって「週プロ」にそう書いてあった。デビュー戦の場所がデトロイトなのかルクセンブルグなのか、は雑誌によってテキトーだが、ここにも何度も書いたが、プロレスファンの度量は半端ない。そんな些末なことが気になるならプロレスファンはやっていられない。舐めないでもらいたい。

そして将来、ミスター高橋の著作で「ローン・ホークは頭が空っぽだった」と真実を書かれてしまうのである。「紙幣の区別がつかない」そうだが、プロレスマスコミに踊らされていたのはそれだけではなく、正味そのまま、新日本プロレス「ビッグ・ファイト・シリーズ」に参加しなかった幻の強豪レスラー、マグニフィセント・ズールはプロレスが下手だった。

実際はただのボディビルあがりのチンピラだった。しかし、プロレスマスコミはここまで無名黒人の盆暗レスラーを持ち上げ、わかりやすい物語を作り、嘘を塗り固めて遊び、全国1億2千万人ファンの期待を膨らませていた。そして懐深いプロレスファンは上手に騙され、楽しみ、会場に行き、グッズもパンフレットもポスターも買って、プロレス界を愛していた。

しかしながら、何事にも限界というのはあって、それは例えば、当事者の対戦相手からすると迷惑千万で済まない場合もある。プロレスラーが「プロレスが下手」は致命的だ。そしてそのまま「致命傷」になる場合もある。危険なのだ。だから来日したローン・ホークは試合中のリングで藤原喜明にボコボコにされた。おそらくは「制裁」だった。これもファンなら理解できる。そもそも筋肉だけの黒人のチンピラが、ガチになった藤原や木戸、寺西や木村に適うはずもない。また、みんながみんな優しいとは限らない。

そしてローン・ホークは伝説を作る。試合会場から逃げ出し、アメリカ大使館に駆け込んで「日本人のプロレスラーに暴行されました」と訴え、大使館職員から職業を問われて「プロレスラーです」と答えて放り出されるという前代未聞をやった。この件はもっと評価されるべきだ。いろんな示唆に富んでいる。

先ずはメディア。こんな「プロレス的」な報道を真面目に、普通の社会でされたら危ういことは自明の理だ。日本人はプロレスファンと同じくらい懐が深いが、それでももういい加減、国会で活動家紛いの悪ふざけをするだけの政治家を「人権派」とか無理がある。先日の法務委員会での東京新聞記者もそう。官房長官の記者会見の場での悪ふざけが過ぎるのは有名だったが、まさか、国会議員の立場でもない、単なる一般人の社員に過ぎない新聞記者が、選挙で選ばれた国会議員でもなく、指名された委員でもないのに会場でヤジを飛ばしているなど、ルール無用の悪党にもほどがある。こんなの常識の外側にいる。アブナイ。

そしてフライングボディアタックも言うまでもなく、国会でやるとなれば、それはもう、冗談の類だ。他の元レスラーの議員、例えばアントニオ猪木が自民党議員の延髄を斬ったらえらいことになる。馳浩が委員長を裏投げしたり、大仁田が斎藤大臣を有刺鉄線でぐるぐる巻きにし、周囲の自民党議員に火を噴いて「おい自民党、おい自民党、おい自民党、強行採決は許さんのじゃ」とか叫びながら、若林議員にサンダーファイヤーパワーボムとかしたら、面白いで済まないことになる。面白いことは認める。

もうひとつはローン・ホークと同じ。「土俵」の問題だ。

同じプロレスラーでありながら、リングの外に解決を求める。というか、ローン・ホークの場合は藤原喜明を逮捕起訴、その後に民事で新日本プロレスを訴えようとしていたのかもしれない。もちろん、腐ってもプロレスラーなら、その日は枕を濡らして寝て、次の日に誰よりも早く道場に行き、親日と藤原に頭を下げて練習してもらって強くなり、プロレスも磨いてから次の大会、遺恨再燃、藤原を倒すために日本に舞い戻った孤独なタカ、いま、その爪を剝き出しにする、とかアングルを作ってもらい、藤原の頭突きで流血しながら、最後は渾身のベアハッグでギブアップを奪う、というブックで返り咲く手もあった。というか、それが正道だ。

少し前から政治家だけではなく、言論人なども「名誉棄損で訴える」「法的処置を取ります」が流行っている。無論、殺害予告や暴力を臭わせるモノは違う。いくらプロレスでも車で轢いたり、刃物で刺したり、銃で撃ったりはしない。それは「土俵の外」。つまり、もう、プロレスじゃない。

しかし、プロレスの範疇ならプロレスで対抗する。プロボクサーでも格闘家でも結構だが、要するにリングの中で、ルールに則って、相手に怪我を負わせても、あるいは三沢のような不幸な事故であっても、急降下バックドロップを放った斎藤選手が「殺人罪」に問われないことも常識だ。アレは事故だ。悲しすぎる事故だった。

しかしながら、私はプロのボクサーです、としてライセンスを持ち、プロとして世間から認知されている人間が、リングの上、試合中にジャブをもらって「暴力だ」として騒げば、どこの社会が認めてくれるというのか。もちろん、言論というリングならば「素人」を自認する者がリング上がってくることもある。その場合でも言論というルールに基づいている限りは正々堂々、言論でプロの力量を示してやればいいだけのことだ。こんなことは格闘家のユーチューバーでも知っていることだ。

プロの格闘家が町の喧嘩自慢に絡まれる。相手の同意を得て、安全を確保してから、軽く相手をする動画がある。イキり倒して挑発する素人だが、大きなグローブをつけたプロから、ヘッドギアの上から軽く撫でられて卒倒する。息が上がったところに腹に軽く触られて苦悶の表情で蹲るのがお約束だ。視聴者は「さすがプロだなぁ」と思い、腕に覚えのあるチンピラの無鉄砲に「でも根性はあるなぁ」と感心する。

言論界は違うのだろう。大きな顔をした「プロ」が素人からの挑発があれば「法的処置を取ります」だ。往々にして、そういう論者の論拠は脆弱で浅薄。イデオロギーで無茶を通すだけのことだと皆が知るから、そこらの口達者に挑まれても戦えない。素人に劣る可能性がある。つまるところ、やれば負ける、と明確だからだ。

現役の国会議員が非常識をやる。例えば、新聞記者に個人的にラインを送って「こう書け」とかやる。やらなければ「法的」に対応するとか書いてしまう。記者は本人に「編集権への介入」と詰める。当然だ。それでも国会議員は「報道への圧力じゃない」とか言い張る。すると、世間の物申すのが反応してくる。おまえ、いい加減にしろ、と呆れて憤る。これも当然だ。しかし、これらに対して説明や説得でもなく、誹謗中傷だ、名誉棄損だ、訴えるとして委縮させる。国会議員は言論人ではないが、国会議員として広くSNSなどで発信している以上、そこに有権者などから反応があるのは至極当然のことでもある。

多くの有権者は、連中の言う「訴えるぞ」が冗談ではないことも既知である。個人どころか、まだ、辛うじて野党第一党という位置にいる公党が、その公党として「一般人」がSNSで誹謗中傷した、として名誉棄損で訴えているという。大袈裟でなく、こんな連中、怖くて意見も言えない。気分を損ねたら「名誉棄損」だとして党として訴えてくる。

プロは土俵上で素人に不覚はとらない。そんなことになれば、そのプロは失格だし、その素人はプロとして認めねばならない。プロとプロ同士なら、それがルールに収まる範疇であれば法が介入する余地はない。いずれにせよ、こんなことは常識だと思っていた。

安倍さんはどれほど酷い誹謗中傷を受けていたか。それでもメディアで、国会答弁で、インタビューで、書籍などで反論していた。NHKや朝日新聞なども捏造として斬って捨てていた。予算委員会などで野党が失礼なだけの攻撃をしても、それは事実と違います、などとして正論で反撃していた。どうしようもない野党連中はヤジで妨害する他なかった。あっさり言うと相手にもならなかった。多くの日本人がそれを知っていた。だから安倍政権時の自民党は勝ち続けた。安倍さんがいなくなって来月で1年。早くも次はもう勝てないと思う。

アメリカ民主党を見るまでもなく、日本でも極左連中の「司法の武器化」は現実問題として認識すべきだ。普通の人なら訴えられてまで政治的な意見を述べようとは思わない。普通の庶民が膨大な時間と金を使い、あまつさえ敗訴すれば賠償金も支払わねばならない。生活どころか、人生そのものへのダメージも小さくない。そんな覚悟をしてまで、妻や子供に「いまからオレは思ったことをツイートする」とか宣言して「小西は辞めろ」とか書いている人はいない。その覚悟があるなら、とっくに本を出したり、立候補したりしているはずだ。

つまり、これこそ「自由な言論を委縮させる」わけだ。これのチェックを強化、法的に取り締まり、逮捕してしまう国を知っているはずだ。日本はもう、その「入口」を通過している。

また、仕方のないことだが、もう分断工作も成功を見ている。多くの保守論客も割れているように、日本を良くしたい、あるいは今日も明日も、子供も孫も、いまの日本で平和に幸せに、仕事があってお腹いっぱいで、安全に生きて行ってほしい、という素朴、且つ、普通の願いを持つ日本人が割れ始めている。この流れはもう止めることはできないと思っている。

次の総選挙、自民は大きく議席を減らすだろうことは「素人」でもわかるが、その前に「LGBT法案」の衆院本会議での採決がある。ここで反対票を投じる保守議員は郵政選挙のときと同じく、党議拘束を守らなかったとして除名される。賛成票を入れた保守系議員は岩盤支持層から見限られて落選する。自民から保守がいなくなる。比して維新は躍進する。国民民主も議席は増えると思う。無論、立憲は四散する。れいわや社民などはどうでもいいが、公明党、共産党もまた少し弱体化する。

そのとき大負けした自民は過半数ギリギリか、最悪の場合は過半数を割る可能性もある。すると、今以上に公明党や維新に依存する体制にならざるを得ない。そのときの自民党の生き残りは親中派と自民党左派だ。辛うじて当選する自民党の大物保守政治家も仲間が討ち死にし、自民の党内力学にて影響力は死に絶える。権力にしがみつく自民党は、今回のLGBT法案の中身について、維新案を丸呑みしたのと同じく、都構想でも太陽光パネルでも受け入れて「多数」を確保することに必死になる。親中左派政権はアメリカ民主党の傀儡と同根だ。日本の文化や歴史はもちろん、連中は「日本人」を解体しようとしてきた。

そのとき日本の「終わりの始まり」が可視化されるんだろう。半世紀もすれば日本人はいなくなる。私は生きていないだろうが、それでも私の子や孫、その子や孫は生きている。友人らの子や孫もいる。親戚の子もいる。知り合いの子らもいる。その子や孫もいるだろう。あなたやあなたの愛らしい子もいる。その孫もいる。その孫もそうだ。見ず知らずの日本人の子供ら、その孫たちがいる。さて、どうやら我々の世代が「最後の」侍のようだ。

皇室を戴く神国日本。護り抜く覚悟を認めて、各々方、鯉口を切るときだ。





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