忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

大津の中2自殺「もう死ぬわ」「死ねばいい」 市長、調査委設置へ(産経新聞)>2012.7.7

2012年07月07日 | 過去記事

    




大津の中2自殺「もう死ぬわ」「死ねばいい」 市長、調査委設置へ(産経新聞) - goo ニュース

<大津市で昨年10月、市立中学2年の男子生徒=当時(13)=が飛び降り自殺した問題で、学校側が直後に全校生徒に実施したアンケートに、「(男子生徒が)『もうおれ死ぬわ』とメールをして、(いじめていたとされる同級生の一人が)『死ねばいいや』と送り返していた」との回答が含まれていたことが6日、関係者への取材で分かった。市教委は男子生徒の両親にメールの履歴などの確認をしていなかった。越直美市長は同日、外部の有識者による調査委員会の設置を決め、文部科学省も調査を実施する方針を固めた。

 メールについての回答は7人分あったが、いずれも伝聞で、記名は3人。「亡くなる前日にいじめていた3人に『明日死にます』のメールを送った」と書いた生徒もいた。また、「がんの友達に自分の命をあげると言っていたらしい」など、いじめと自殺の関連を示唆する回答もあった。

 男子生徒の父親(46)は「短期間でストレスを受け続け、生きていくのがいやになったのかもしれない。学校の対応が早ければ、自殺を防げたと思う」と話している。

 一方、「男子生徒が自殺の練習をさせられていた」との回答について、市教委がいじめ行為をしていたとされる複数の同級生に、そのことを確認していなかったことも判明。越市長は6日の会見で涙ぐみながら「自殺の練習は真実なら、痛ましい話。もっと早く調査に取り組むべきだった」と話した>









先月、大阪のミナミで白昼、ひとりのキチガイが包丁を持って通行人を刺し殺した。2人目の被害者となった女性はすれ違う男性から「逃げろ」と言われた。秋葉原でキチガイが暴れたときも、周囲はパニックになって「逃げた」。これを責める人はいない。

夜道を歩いていたら、眼前に包丁を持った人物が立っている。これは誰でも逃げる。逃げることが普通であるし、逃げ切れた際、よかったね、と安堵してくれる人はあっても、逃げるなんて情けないとか、なぜに立ち向かわなかったのか、と責める人は頭がおかしいとわかる。犯罪者からは逃げる。逃げ切れない場合のみ、決死の覚悟で立ち向かう。

ミナミの事件。虹の会の「▲氏」の職場の近くだった。昼休み、メシを喰うのに何度も通った道だという。時間とタイミングが合えば「▲氏」が襲われていた可能性はゼロではない。だから私は「よかったなぁ」と応えた。本心だった。

滋賀県大津市―――と聞けば、私はすぐに「青木悠君リンチ殺人」を思い出す。2001年3月31日、全日制高校を合格した悠くんは主犯のAらから、携帯電話で「カラオケ奢ってやる」と呼びだされる。悠くんは1999年、交通事故に遭い右脳を強打、脳挫傷で重体となった。植物人間か脳死状態か。絶望する母親だったが、元来、陸上にバトミントンとスポーツ万能だった悠くんは、左半身不随を克服するためリハビリに励み、なんと歩けるまでに回復する。昼間はリハビリ、夜は定時制高校に通う悠くんだったが、担任教師から全日制高校の受験を勧められる。「大学に行って経営を学びたい。それから祖父の佃煮屋を継いで母親を安心させたい」という悠くんのモチベーションは本物だった。見事に有言実行を果たした。それを「祝ってやる」と呼びだされた、と悠くんは母親に嬉しげに伝えていた。

しかし、悠くんはカラオケではなく、待っていたAとB、それから取り巻きの3人に平野小学校の校庭裏、給食搬入口に連れて行かれる。そこで「空手3段」のAは70回以上、悠くんの顔や体を殴打する。蹲る悠くんを引き起こし、高さ60センチのコンクリート台の上からバックドロップで後頭部を叩きつける。そのあと、バックドロップをコンクリートの上で2回。悠くんの顎は外れ、泡を吹いて失禁するが、そのあと、さらに1メートルの高さからコンクリートに頭から落とす。取り巻きの阿呆が「このままなら死んでしまう」と救急車を呼ぼうと提案するも、AとBは「障害者やから助ける価値がない」と怒鳴り、物置の裏に悠くんを放り捨ててパチンコに行った。

これを民主党の元法務大臣、平岡秀夫は悠くんの母親の面前<その加害者の人に、その、死の恐怖を味あわせるという気持ちで、あれですかね、私は、青木さんが本当に幸せというか、納得するというか、できるとはちょっと思えないんですね。むしろそういう悪いことをした子ども達は、それなりの事情があってそういうことになったんだろうと思いますけど・・>と言ったことは忘れないようにしたいが、この男は期待通り、政権を盗ってからは「外国人献金」については「日本は厳しすぎる」と言ったり、法務大臣になってからは長崎県の児童養護施設で虚偽申請、約582万円を詐取した罪で有罪判決を受けていた公設秘書を大臣秘書官に起用したりした。外国人献金にも虚偽申請にも「そなりの事情があった」とでも考えたわけだが、今回の「虐め自殺」については、どうか、黙っていてほしいと切に願う。

その青木悠くんが亡くなったのが2001年4月6日。暴行があったのは3月31日。改正少年法施行は4月から。つまり、間に合わなかった。だからAもBも刑事裁判は受けていない。裁判所は「本件は検察官に送致することも考えられるが、少年には内省力があり、感受性も豊かで可塑性や教育可能性が見とめられることを考慮して、中等少年院に送致するのが妥当である」として、このゴミ屑を少年院に送致した。「それなりの事情」をよく知る平岡は胸を撫で下ろしただろう。

結果、2003年に和解金6000万円でお仕舞い。求めていた損害賠償額の6割だ。それも加害者の一族郎党が肝臓やら腎臓、角膜を売ってでもカネを揃えるのではなく「一生かかっても支払います」という口約束だ。「見張り役」だった阿呆どもは3000万円の賠償を求められるもお咎めなし。地裁は「通報の義務も制止の義務もない」とした。大阪高裁は「死の可能性は予想できたが、法的責任は問えない」として阿呆どもを安心させた。

これを受けて最高裁も遺族側の上告を棄却。門田隆将はびっくりして「裁判官が日本を滅ぼす」を上梓した。中には1993年の「山形マット事件」(山形県新庄市立明倫中学校1年生の男子生徒が体育館用具室で、マットに逆さまで放り込まれ窒息死した事件)もあって、刑事裁判では「7人の犯行」と認められたのに、その後の民事裁判では「少年が自分でマットに潜り込んで死んだ可能性が否定できない」というトンデモ理論をブチ上げてまで加害者少年の人権と将来を守ろうとした裁判官もいた、と書かれている。学校も警察も司法も100%信頼するな、という警句になった本だ。

今回の事件。大津市教育委員会は全校生徒にアンケートを実施すると、回答した約320人のうち16人が「何回も自殺の練習をさせられていた」などと書いているのが分かった。しかし、同委員会は「虐めをした生徒」に「自殺の練習」の確認をしなかった。理由はこうだ。


いじめた側にも人権があり、教育的配慮が必要と考えた。『自殺の練習』を問いただせば、当事者の生徒や保護者に『いじめを疑っているのか』と不信感を抱かれるかもしれない、との判断もあった>





――――子供は親が護るしかない。「おかしい」と感じたら学校を休ませ、速やかに学校側に確認する。もちろん、学校側は「(虐めなど)ない」と言う。子供も学校を休んだらまた虐められる、とか、親に虐めがバレたのかと不安に思う。だから、先ず、子供に対して全面的、且つ、絶対的な信頼関係を構築する。何があろうと親である自分が護る。どうであろうと親である自分は完全に味方だと宣言する。また、虐め加害者が友人を装い、あるいは秘密裏に連絡してきて「出て来い」と言うかもしれない。「虐めてなんかないよな?」と。だから学校なんか行かなくていい。転校してもいい。どうでもいいと覚悟を決める。そんなことより、いまなら海に行かないかと、遊園地はどうだと、観たい映画はないのかと、面白く楽しく過ごす。子供の一大事だ。会社なんか休めばいい。無理なら辞めればいい。


それから、自分の子供の言い分は100%信用する。虐めている側からすれば「ときどき」であれ、被害者本人からすれば「いつも」になる。「冗談」は「本気」だし「友達」は「奴隷」の意味にもなる。これくらいの想像力は必須だ。関係ないうわさ話、ヒソヒソ話、笑い声はぜんぶ「自分に向けられている」と思って当然、弱り切った精神状態でマトモな思考力があるはずもない。相手は「虐めっ子」などではない。未成年かどうかも関係ない。単なる卑怯で下劣な犯罪者だ。通り魔に子供を立ち向かわせないように、そういう頭と心の狂った連中からは遠く離れるに限る。恥ずかしいことでもない。情けなくもない。「虐めに負けるな」など勇気でも何でもない。野生の猿以下の餓鬼からは離れる。これしかない。

学校は何してるんだ!警察はどうして調べてくれないのか!教育委員会よ、加害者の人権とは何のことだ!加害者の餓鬼ども許さんぞ!は一通り過ぎてからにしよう。<いじめた側にも人権があり~>などと抜かす連中、話しても無駄だ。頭と心が腐っているのだ。

それより、とりあえずは子供だ。一緒に穏やかに過ごす。家族で過ごす。最近、仕事が忙しくて、疲れていて、子供の相手はしていなかったのではないだろうか。ならば丁度よろしい。じっくりと語り合えばいい。話すことが無ければ一緒にいるだけでもいい。子供が部屋から出ないなら、こちらも家を出ないで同じ屋根の下にいよう。「くだらない虐めに向きあう」くらいなら「自分の子供と向き合う」ほうがいい。

断定する。言い切ってもいい。子供はそれで強くなる。「親は味方」という安堵感は半端ではない。「甘やかす」のではない。「ちゃんと認めて」「ちゃんと聞く」のだ。それから「ちゃんと宣言する」のである。俺はお前が大切だ、と口に出して言うのである。

家の中限定だが、私は娘を「我が家の秀才」と呼んだ。倅は「我が家の天才」と呼んでいた。娘にはその知的好奇心をして素晴らしいと評した。世界の偉人レベルだと褒めあげた。それに容姿も絶賛した。お母さんの次、つまり、世界で2番目に可愛いと口に出していた。倅には優しい、強い男は優しい、つまり、お前は強いのだと頻繁に言った。私はこれでよい、よかったのだと、いま、心底思っている。子供だって馬鹿じゃない。勝手に大人になり、勝手に世間を知る。自分の力量、自分の能力を知る。それでも親は本気で「秀才」であり「天才」だと思っている。いつでもなんでも肯定してくれる。なんでも受け止めてくれる。いつでも本気で話を聞いてくれる。これが安心でなくて何だ。これが自信に繋がらないわけもない。

この少年の自殺後、学校で開かれた緊急保護者会の日、その校門前では加害者の親が「ウチの子は被害者です」という内容のビラを配っていたという話もある。この親らはいま、必死で子供を刑務所に送らないよう、刑事罰を受けなくて済むよう、卑怯の誹りを歯牙にもかけず、人様からクズと呼ばれようが形振り構わず、ゴミ屑な我が子を「守ろう」としている。そしていま、およそ初めて子供に本気で向き合い、真剣に問うているだろう。

「あんた、本当にやったの?」

ふてくされた態度のゴミ屑が言う「やった」とか「やってない」など、ホントはどうでもいい。本当はやった、と知っているから必死にもなる。本心では「この子ならやりかねない」とか「こいつならやっているだろう」と思っている。自分の子供をまったく信用できていない。当然、子供はもっと親を信頼できない。ちゃんと親のエゴは背中から伝わる。以心伝心だ。必ず、そのゴミ屑には伝わるし、いままでも伝わっていたのだ。だからそのゴミ屑は腐敗した。

親が親なら子も子、どこまでも身勝手で無責任な親と子。覚悟もない「信頼関係」など、なにもなくともあっさりと瓦解する。それから安心がなく、自信もないゴミ屑は犯罪者になる。普通の親は子供に人の道を教えることで、結果的に犯罪者にならない子供を育てるが、その親は犯罪者の我が子が「犯罪者」だとバレないように尽力する。

ゴミにフタをして隠せばどうなるか。普通の人は結果の予想はつくが、こういう連中はわからない。だぶん、自分もゴミなんだろう。




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