今日でゴールデンウィークも終わりらしい。いやぁ、それにしても、毎年毎年ウザいもんだ。とくに今年、土日は「高速道路1000円」かなんかしらんが、道も混んでたしな。どうせ、どこ行ったって混雑しているだけだろうということで、どこにも行かないのが我が家の決まりだ(休めないだけ)。ま、普通に仕事行って、普通に暮らすだけだった。
ンで、ヒマだし、レンタルビデオでも借りようと思うのだが、これまた「貸し出し中」ばっかり。私は妻のように「コジコジ」のDVDを百回くらい見たり、「スティッチ」のDVDを50回くらい借りて見たりとかできないのである。実に羨ましい限りだ。
飲みに行くのも近場でさっと引き揚げだ。とりあえずゴールデンウィークである。いつものように場末のスナックでウダウダするのも、なんか、ゴールデンぽくないじゃないか。
ま、そのお陰で本はたくさん読めた。今日からは「運命の人」(山崎豊子・著)の1巻と2巻を読もうと企てている。7月だったかに3巻と4巻(終)が出るらしいから、ちょうど良い感じだな。そういえば「嫌韓流4」もさっそく読んだけども、もう、なんか、ジャンプにあった、あれ、なんだっけ、あの、キバヤシか、なんだってー!!!みたいな感じだ(笑)。
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■2009/05/06 (水) 祝。ゴールデンウィーク終了のお知らせ 2
あぁーともかく、面白くないゴールデンウィークも終わりだが、朝日の黄金週間もちゃんと読んでたぞ。憲法記念日に子供の日に、まあ、相変わらずキモイ新聞だったから安心した。憲法記念日には「各地で護憲派も改憲派も集会を開いていた!」なんてやってたが、その関連記事でキモイのがあったから貼っておく。
http://www.asahi.com/national/update/0501/OSK200905010022_01.html
<「私、憲法です。リストラになるってホントですか?」>
なんと、憲法が芸をしているのである。やっと「9条なんぞお笑いだ」と気づいたのかと焦ったが、どうやらそうではないらしい。行くとこまでイク。まさに冥王星までイクのである。ツカミはこうだ。将来のある若手芸人は真似しないようにな。
<再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し…… 徐々に高揚する憲法くん。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う! >
まあ、いわゆる「前フリなし」のパターンなんだが、いきなり出てきて「役に入っている」ヤツな。演技力もいるし、パッと出てきて客に理解させる必要があるわけだ。たしかにネタにはすっと入り込めるんだが、タイミングがズレるとちょっと難しい。だから、わかりやすいパターンから入ることを勧める。「あれ~~?もうこんな時間なのになぁ??」とかね。すぐに「待ち合わせ」という設定を客が掴める。考えさせたらダメだ。それはなかなか高度なテクニックであり、客に周知してもらうには演技力はもちろん、セットや衣装などもちゃんとしてねばならないし、なによりも知名度や・・・ま、まあ、いい。
ま、ともかく、この「憲法クン」のツカミの結果は、
<言い切ると、観客から大喝采。松元さんを呼んだジャンボリー主催者の山本正博さん(68)は「前半は笑わせて客の気持ちをつかみ、後半で憲法について考えさせる。関心のない人でもヒロさんの話はすっと入ってくる」。>
らしい。うむ。なかなかのプロだな。難を言えば「ぜんぜん、まったく、笑えない」というくらいか。しかも<後半で憲法について考えさせる>というからたいしたものだ。
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■2009/05/06 (水) 祝。ゴールデンウィーク終了のお知らせ 3
ところで、この「松元ヒロ」というのは、元ニュースペーパーのメンバーだったらしい。しかしながら、テレビで人気が出るタイプでもないから、サヨクの集会所で電波芸するしか喰えないのだろう。んで、なぜ「サヨク芸」なのにマスコミがプッシュしないのかを考えてみる。都合のよいネタを提供してくれる電波芸者ならば、なにかの番組でちょろっとでも出してやればいいのに、こいつの姿をテレビでちらっとも見ないのはなぜなのか。
日本には表現の自由がある。だから、現役総理のモノマネをしても許されるし、似てれば芸にもなっている。相当に失礼なネタであっても笑って受け入れる。ならば、こいつもテレビで使ってもよさそうなのに、なぜだか、テレビメディアには出てこない。
私が思う原因はコレだ。
<憲法くんは問いかける。「私のこと『現実に合わない』と変えようとする人がいます。でも、私って理想でしょ。現実は理想に近づけるよう日々努力するものじゃないんでしょうか?」>
つまり、プロパガンダ丸出しなのである。さすがに視聴者は引いてしまう。また、「お笑い」しか見ないような視聴者層においては「難しすぎる」&「面白くない」ので、すぐにチャンネルを変えられることになろう。あくまでもリアルな問題として「使わない」のである。
また、コレも個人的主観だが、ともかく、悪ふざけが過ぎる。日本の左派に品がないのは知っているが、以前も、皇室をパロディ化した不敬極まるものもあった。
いい大人が集まって「憲法がどうしたこうした」するならば、せめて真面目に取り扱って欲しいものだ。食い潰した芸人連れて来て小遣いを渡し、自分らの都合のよい三流ネタをやらせて自己満足に浸るなど、なんとみっともない行為なのか。
「中身」の議論を放擲し、とことんまで「イメージの刷り込み」だけで対するつもりなのだろうが、こんな連中、とても真面目な話ができない。
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■2009/05/06 (水) 祝。ゴールデンウィーク終了のお知らせ 4
それに引き続いて、朝日の社説を読む。子供の日だ。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
<こどもの日に―世代間負担を見直そう>
ま、直接関係ないが、朝日はちゃんと「子供」を「こども」と書く。「こどもの日」だと。なんでも子供の「供」がよくないそうだ。「お供」の「供」だからだと。阿呆臭い。
んで、その子供の日に何を書いているのかと思ったら、いきなり、ぞぞぞっと鳥肌が立つ。
<お父さん、お母さん。おじいちゃん、おばあちゃん。今日は私たち、子どもの話を聞いてください。>
出ました。語り口調。代弁するかのごとく、架空の「こども」登場。こいつら「憲法」にもなるし、「携帯電話」にもなるし、もう、なんか、アレである。
ちょっと区切りながら貼ってみる。
<最近の新聞では、すごく大きな額のお金をよく目にします。「経済危機対策のために予算規模が100兆円を超える」とか、「政府と自治体の債務残高が800兆円になる」とか。これは、国が借金だらけになることだと聞きました。よくわからないけれど、このお金は将来、私たちや弟、妹たちが払うことになるの? >
<気になるのは、それだけじゃないんだ。今、おじいちゃんたちは年金というお金をもらっています。私たちがおじいちゃんぐらいの年になったら、同じようにもらえるのかな。>
<今とくらべて、もらえるお金が減るかも、って先生が言っていました。これ以上やりくりが大変になったら、今の仕組みが続けられなくなるかもしれない、とも聞きました。>
<私たちは一人っ子も少なくないから、みんなからお小遣いをもらえて、「ポケットがたくさんある」なんて言われる。でも同年代が少ないということは、税金なんかを1人でたくさん払わないといけないってことだよね。>
もしも、こんな餓鬼が実在するならばケツ叩き百回だな。
最近、NHKだったと思うが、なんや討論番組のようなものをやっていた。
大人は「我々大人は子供たちのために不安な世の中を何とかしなくてはならない」という。子供は「わたしたちが社会に出る前に大人の人がちゃんとしていて欲しい」とかいう。
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■2009/05/06 (水) 祝。ゴールデンウィーク終了のお知らせ 5
他のテレビなども同じようなもんだ。ともかく、こういう論調が目立つ。この朝日の気色悪い社説のままなのである。しかも、大概が「金の問題」なのである。なんとも情けない。
「次の世代にツケを回すな」とは聞こえがいい。今の大人は、次世代のために安定した社会を築く責任があるのだ!とすれば、誰も文句はいえまい。
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で、また、次もわかりやすい不安である。
<大人になってからの仕事のことも気がかりなんだ。お父さん、お母さんの友だちには、同じ会社にずっと勤める人が少なくなっているんだって。>
<私たちのころにはどうなるんだろう。今までよりもたくさんお金を払わないといけないのに、ちゃんと仕事がなかったら、困ってしまう。>
<大きくなったらお年寄りを助けないと。それは、わかっているんだ。でも私たちの未来について、大人たちは真剣に考えてくれているのかな。>
これは「ある意味」当たっているのである。
子供が将来を想うとき、そこには絶対的な不安というものはある。社会に対する不安、生活に対する不安、人間関係やその他の問題に対する不安はあって然るべきであろう。
最近の売国左派の論調で強調されているのが、この朝日社説のような薄気味の悪いネガティブな子供であるわけだ。つまり、「金や仕事」に関する不安を強調する論調である。
すなわち、子供たちは「将来、この国で文化的に安定して生活し続けることができるのだろうか?」と不安がっていると、売国マスメディアは喧伝するわけだ。
そして、コレは当たっているのである。
ちゃんと経済が円滑に回り、政治が機能し、社会が安定する国であり続けることはできるのか?子供を産み育て、教育を受けさせて社会に送り出す世の中であり続けられるのか?日本という国は、日本国民の生命と財産を守り続けることが可能なのか?
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■2009/05/06 (水) 祝。ゴールデンウィーク終了のお知らせ 6
つまり、だ。
「憲法くん」は大丈夫なのか?
ということだ。これは西村眞吾先生も言っているが、
「最大の福祉は国防である」
ということに尽きる。国体がなければ年金も雇用もないのだ。「ストップ貧困!」とか言っている場合ではなくなるわけだ。金があるかどうか、仕事があるかどうかを気にする前に、先ずは、「国が存続しているのかどうか」を問わねばならんはずだ。今現在に生きる大人に責任があるということには賛同する。当然のことだ。しかし、それは、「国をなくさない」という責任なのである。国でも会社でも、なんらかの失敗や時代の流れにより、金があったりなかったりもするだろう。仕事も減ったり増えたりを繰り返すかもしれない。
しかし、それでも、なお、
「存続させる」
という決意を問わねばならんのである。焼け野原になった日本を、ここまで立て直した「高度成長期」において、それを「次世代の負債」というか?
仕方がないことはある。それを立て直すことは次世代の責任ともいえるのではないか。
それこそまさに「使命」と言って差し支えないのだ。その国を背負って立つ次世代だからこそ、やるべきことに邁進せねばならないはずだ。自分らが大人になったとき、眼前にある問題を責任を持ってなんとかするという決意もなく、敷かれたレールはちゃんとしておけと、ちゃんと整備して楽に安全に走れるようにしておけという次世代に何を期待するのか。
今、この日本において社会活動する「大人」がすべきことで、最優先事項はひとつだ。
日本を普通の国にする。そして、次世代に誇りと共に手渡すのだ。
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久代千代太郎
ひゅうくし
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