忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

変異株命名、中国に配慮か?「XI」=「習」で、米FOX

2021年11月28日 | 忘憂之物




暴力団対策法では27項目の禁止事項が示されていて、企業、事業所として責任者を選任する。「不当要求防止責任者」だ。私も講習を受けた。

すべての項目が中国共産党に対する当てこすりにも思えるが、あながち外れてもいなくて「土地・家屋の明渡し料等を不当に要求する行為」やらはそのまま当てはまる。人様の土地建物に因縁をつけて居座り、名義を自己のものにしたり(支配の誇示)する。日本や台湾はこの被害に遭っている。

その基本的対応要領、大原則としての「1」は「トップの危機管理」とされている。先ず、日本はこれがダメだともわかる。現場の担当者レベルでがんばっても、トップに危機感がなかったり、聞くだけの口だけだったり、内弁慶の八方美人だったり。また、その直下の部下が取り込まれていたりする。

WHOやIOCも同じ。身近にいる暴力団関係者から、いまさ、困ってんだよね、と肩に手でも回されたらへらへらして言う通りにする他ない。うちのオヤジがさ、怒っちゃってさ、とか言われても「そんなこと知りません」とも言えない。「言えない理由」は人それぞれだが、単純に安モンのハニー・マネーのトラップにやられている人も少なくないと思われる。

世間では「引っかかった」くらいのレベルでも受け取られる。保守論陣の大作家さんも「わしなら録画されても国は売らない」と豪語もされいる。たくましいものだが、本職というか、その道の「プロ」は、そのくらいはお見通しだ。

普通に美人に言い寄られ、ふらふらついて行って事に及んでいるところを激写される。それをネタにされて「おまえんとこ、うちのオヤジに人権救済法だって?いい根性してるよな」で震え上がるような小物もいるんだろうが、それと同じくらい、数百万程度の小銭で転ぶ阿呆もいるんだろう。

しかし、それで靡かないと思われるレベルの人なら、例えば「愛する人」が危険に晒される。普通に銃撃されて死ぬならまだしも、自動車事故で殺されるならマシだと思うほどの時間、手法を用いて「人間の尊厳」など根元から捩じり切ってしまう非道を躊躇わない。単純な「痛み」を伴う拷問ですら、ペンチで生爪を剝がす、などクリスマスケーキの如く甘いものだろう。

つまるところ、一度、ハマったら逃れる術は「ひとつ」。「国を売ることはできません」と遺書を残して逝く他ない。もしくは、魂を腐らせながらも言いなりになる。見限られて「お役御免」で消されるまでの命、出来ることならば、現世の憂いを忘却するためにも贅沢がしたい。現実逃避型だ。だから金に汚くなる。強欲になる。

また、不思議なほど権力の増大、維持に固執するのもいる。これの理由は「捨てられないため」。権力を失って使えなくなると見限られる。とはいえ引退して安穏な生活などありえない。死んでも言いません、墓場まで持っていきます、を信用してくれる相手ではないから、死ぬまで頑張らねばならない。せんせいどうぞ、と出されたコーヒーにリシンが入っていない生活を続けるにはそれしかない。自業自得ではない場合もあると察する。本当に同情する。



いずれにせよ、いまの政権与党のように「何故にこんなことするんだろう」あるいは「何故にこんなことくらいしないんだろう」と世間からは訝しがられるが、媚中派とか親中派との誹りを受けながらも平静を装い、空威張りで面目を保った気になって、同じ穴のなんとか、もしくは「同病相憐れむ」みたいな仲間と共に、いつも身近にいる「監視役」に怯えながら死んだように暮らしている。我々が性根を入れねばならないことは「そうじゃない人」を見つけて支援することだ。支援しています、と伝えることである。


例えば、行方不明になった中国の女性テニス選手と「テレビ電話しました。彼女は安全です。そっとしておいてほしい、と言ってます」とIOCの会長は言う。中学生でもツイッターで「言わされてる」と見抜く。それなら本人が単独で、それも外国で記者会見でもすればいい、くらいの提案もされる。

IOC会長は67歳。それくらいは知っている。伊達や酔狂でジョン・ラーベもいたシーメンスから多額の金をもらってアラブ諸国からの招待状を手配したりしない。WHOの代表も経歴を誇張しているとか、武漢ウィルスの前にはエチオピアのコレラも隠蔽しようとした、とか叩かれるが、あの悲しいほどの中国共産党擁護は全人類が忘れもしない。世界的な感染爆発を招いた原因のひとつではないか、として「即時辞任」を求める署名は世界で100万を超える。そんな人物が変異株に「習株」と名付けるはずもない。彼には子供が5人いる。



暴対法対策の「三ない運動」。暴力団を「利用しない」「恐れない」「金を出さない」に追加された「+1」は、暴力団と「交際しない」。

過日の総裁選、4人の候補の中で毅然とこれを言ったのがひとりいたはずだ。必要なのはトップの危機感、そして覚悟を共有する支援者だ。「ねじれ」はもう仕方がない。赤にべったりヤラれた政権与党の何人か、しっかりと意思表示をして救ってあげたい。せめて、国を売るよりマシなことをさせてあげたい。






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