忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

米、中国大使呼び出し抗議台湾周辺の軍事演習巡り

2022年08月06日 | 忘憂之物





仕方がないことだが、世間でいうところの「専門家」というのは絶対ではない。医者でもそうだ。深刻な病気でもなく、骨が折れたくらいでも「あそこの病院に行ったら長引く」とか「治りが悪い」と評価が分かれる。

だから病気をしたり怪我をすれば、一応、念のため、いろんな病院を探したり、評判を気にしたり、他の専門医を探したりもする。家を建てるとき、資産運営をするとき、子供の進学を相談するとき、人はいろんな専門家の意見を聞きたがる。そして最終決定、この人の言うことを採用しよう、となり依頼したり契約したりする。結果、喜んだり後悔したり、も受け入れる。

先月、コロナの親分みたいな尾身茂氏が「従来までは国、自治体が国民にお願いし、国民が従うというフェーズだった。今は、いろんなことを学んできたので一般市民が主体的に自分で判断していろいろと工夫するフェーズに入った 」と言った。NHKの日曜討論だ。するとマスコミがまた怒っている。

「主体的に自分で判断」という言葉を切り取り「自助でなんとかしろと言った」と叩いている。「無責任だ」「科学的じゃない」と尾身氏を虐めるが、今年の1月にも尾身氏は「人流抑制ではなく、人数制限がキーワード」と言った。続けて「ステイホームは必要ない。渋谷の交差点が混んでいても感染しない」と言った。そのとき小池都知事は「不要不急の外出はやめてください」だった。ここが踏ん張りどころ、いまが最大の山場とか、いろんな言葉で遊んでいた。

専門家の中の専門家。分科会会長がマスコミに出てくる「専門家」と違う意見を言う。小池もテレビもこれはとても困る。そもそも「渋谷の交差点で感染しない」を摘まみ上げて「根拠がない」と批判するのも無理筋だった。インチキ慰安婦の朝鮮人が「証拠は自分だ」と言うが如く、渋谷の交差点も満員電車も人で溢れかえっていたが、ちゃんと「流行」は収まって、それからまた広がって、また収まっていった。根拠もヘチマもない。普通のことだった。

季節性のインフルでもワクチン打ったから感染しない、など誰も思わない。職場で学校で注射していても、毎年毎年、日本では1000万人ほどが発症する。「陽性反応」ではない。熱も咳もないのに「インフルかも」で無料検査場もない。高熱が出て、とてもじゃないが仕事も学校もいけない、として病院に行く人が1000万人である。人口の8%である。ちゃんと「あの頃」を思い出そう。

職場でも「陽性出ちゃいました」で休むというのが出る。7日ほどで出てきたから「なにしてた?」と問うと「夏祭りに行って、川でBBQして、あとは家で酒飲んだりして動画見てました」。これは「自主隔離」ではなく「夏休み」だとわかる。そういう馬鹿が何人か、職場に復帰してきたのを待って、私も数日、妻と休みを合わせて「夏休み」を取る。内容は「阿呆の自主隔離」とほとんど同じだ。違うのは「熱もないのに無料検査に行ったかどうか・仕事場に迷惑かけずに計画的だったかどうか」だけだ。

そしていま、多くの日本人は、その阿呆さ加減に気付いている。

要するに「専門家」にも種類がある。大別すると「ちゃんとした専門家」と「じゃないほう」だ。例えば「民主党政権になれば株価は3倍」と言ったのがいた。経済の「専門家」だ。

外交や軍事の専門家もそう。今年の1月あたりは「国際情勢の専門家」が「ロシアの軍事侵攻はあり得ない」と言っていた。日本と欧米メディアが煽っているだけで、それはとても無責任な行為で、乗せられているのは素人の阿呆ばかり。国際情勢をちゃんと学んでいる人らは、ロシアがいま、ウクライナを攻めてもなんら得策ではないと知っている、こんなのは「茶番」だ、としていた。

意図的に拡散していたのでなければ入りたい穴が足らないはずだ。「今年は阪神が優勝」と予言して丸坊主にされる「専門家」は笑えるが、これは事が事だけにどうかと思う。丸坊主も土下座もいらないから、せめて、足と顔を洗って他の仕事を探したほうがいいと思う。

政治家もそう。例えば「外務大臣」とか。たぶん、外交には詳しい人が任じているはずだが、自国のEEZ内にミサイル撃ち込まれて、撃ち込まれたほうが外相会談蹴られるとか、発言中に途中退席されるとか、ちょっと素人には理解し難いこともあった。素人にもわかるのは、この記事にあるように「大使を呼びつけて抗議する」のほうだ。ちなみに日本は在中国大使を呼びつけるでもなく、電話で抗議したそうだ。どこかの国の大統領が、アメリカの下院議長が来ているのに「休暇中」として電話会談で済ませたのに似る。いずれも「専門」とは言い辛い。困ったものだ。


いずれにせよ、日本がまだ何とかなっている気がするのは、現場が「プロだから」というのが多い。しかしいま、例えば警察庁の警備とか、その「プロの現場」が壊れていくような事象も少なくない。

今年の2月末、安倍元総理は米国の核兵器をして「シェアリング」を提唱した。無論、賛否はあって然るべきだが、いまに続くウクライナ情勢から分析される対策として有効な手段ではあった。つまり、議論の余地は十分にある。そしてその「魂を受け継ぐ」と言った岸田総理はNYで「ヒロシマ・アクション・プラン 」だった。

要すれば核兵器をなくしましょう、使うのもやめましょう、いま持っている国には話し合っていきましょう、核実験の禁止条約の締結を目指す会合を日本でやりましょう、広島長崎にきてください、1000万ドル用意しました、と言っていた。アメリカやフランス、インドやイギリスもそうだが、ロシアや北朝鮮、中国やイランが「話し合い」で核兵器を放棄すると本当に思っているわけではあるまい。どの安倍さんの、なんの魂を受け継いだのか不明だ。

はやく「専門家」に代わってもらいたいが、いま、台湾有事が現実味を帯び始めている。「その筋」の「専門家」で尤もらしい理由を述べて「(中国共産党の軍事侵攻は)あり得ない」と言うのがいる。一緒に願う。当たってほしい。







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