障子嶽城跡(215m)~小原城跡(289m)~�摎嶽城跡(256m) (単独)
(南関郷の城跡巡り里山トレッキングと古希同窓会)
(行程)①瓦屋敷・熊野神社入口(発9:15)→障子嶽権現社の碑(着9:20)→
障子嶽城跡(着9:50)→中山分岐→小原城跡(着10:45)→中山分岐→
林道出合(着10:55)→大権現の碑(着11:25)→早馬神社(着11:40)→
国道443号・中山集落(着11:45)~(国道を歩いて次なる大津山へ移動)
②大津山神社鳥居(着12:10)→大津山頂上(着12:45~発13:20)→
大津山神社(着13:40)
② ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〇中山集落から国道を歩いて約25分で次なる山、大津山の鳥居入口に着く。
参道の左側の丘陵地が母校なる地、南関第一中学校の跡地である。
現在は「南関町B&G海洋センタ-」が在るが、入口は往時を偲ぶ面影が残り、
校庭に上がる坂道は当時のままの姿であった。
[大津山阿蘇神社の鳥居と大津山] [参道左側の道が、昔し校庭に上がる坂道]
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〇ちなみに、母校である南関小学校の校歌は、北原白秋・作詞、山田耕作・作曲
で 「翠したたる 大津山・・・」と詠まれている。
その大津山は私がガキの頃、近所の仲間たちと「チャンバラごっこ」で駆け回
った遊びの山でもあった。
[南関小学校の校歌(昭和12年作)] (昭和30年に南関第一小学校に改称)
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▼故郷を離れて大津山に登るのは今回で2回目である。
前回(2007/06/30)は北尾根登山口からの楽勝コ-ス(子供の頃には無かった
ル-トで公園化された時に整備されたものと思われる) であったので、今回は
昔から登っていた正面登山口から登ることとした。
▼楼門をくぐり、境内の風情のある景観を眺めながら石段を登り上げると大津山
阿蘇神社の拝殿が鎮座する。
拝殿の左側から斜め下に分かれる小道を辿ると「登山口6丁半」と刻まれた石
柱の道標が目に入る。
[楼門 ] [正面登山口の道標]
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▼公園化された登路は迷うことなく道なりに登って行くと直ぐに明治神宮遥拝所
の拝殿が鎮座する。
眼下には南関盆地の中心部が展望できる開放的な境内広場となっていて、
登路は境内を通り裏側へと進むが、山道であった昔の面影は全く消え去り、
コンクリト製の丸木段が永延と頂上まで整備されていた。
「子供の頃に駆け登った、あの道を・・・」という想いで来たのであるが、期待が
外れて公園化された散策コ-スに様変わりしていた次第であった。
▼辿るル-トはおおかた昔のままで急傾斜の山腹をジグザクに登って行く。
登路の両端は密植する椎・樫の自然林で急傾斜を付けて山腹の奥深くまで広
がっていて、
子供心で記憶した情景と樹木が加えた年輪をダブラセ、懐古しながらゆっくりと
歩いた・・・。
▼山頂直下の「二の丸」付近は子供の頃「タ-ザンごつこ」で遊んだ思い出の場所である。
立ち寄ろうと思い、足を運んだがブッシュ化していたので引き返して頂上に至っ
た。
[山頂まで続いている遊歩道(頂上まで後100m)] [大津山(別名:舞鶴山)頂上]
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▼頂上には先客の二組の夫婦と大牟田から来られたお子さん連れの若い青年
と出会う。
頂上からの展望は、霞んで良くは見えなかったが先ほど歩いた障子嶽からの
縦走路と、いずれ歩くであろう二城山までの稜線を眺めて堪能した。
[頂上から障子嶽~二城山の縦走路を望む] [頂上から旧南関町と遠景の三池山]
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[大牟田市からお出での愉快なお子さんと・・] [藟嶽(つづらがだけ)城跡]
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〇下山後は実家に戻る道すがら、昨夜、山鹿からの帰り道、電話で酒飲みに誘
った(店が閉まっていたので不発・・) 高校・柔道部仲間の石原君宅に寄り旧交
を温めた。
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( 古希同窓会・3 月22日・玉名「ホテルしらさぎ」にて)
〇還暦同窓会(2005年2月・セキヤヒルズ・44名参加)以降、2回(2007年6月・
2012年11月)の同窓会を重ね今回の古希同窓会となった。
卒業生127名中35名が集まり、配付された卒業生名簿には逝去者が16名もい
た。
その中でも一週間前に亡くなったS君(元、役場勤務)の訃報を新聞欄で知った
時は、私にとって大きなショックであった。
なぜならば、高校卒業以来一度も顔お見ていなかった彼であるので、今回の
「古希同窓会で会えるのでは・・・」という期待があったからである。
田村正和に似た「彼の、あの笑顔を」見て、語り合いたかったのに・・・(合掌)。
〇学び舎を共にした小中9年間の追憶とその後歩いた人生の語りは、同窓生仲
間であるからこそ忌憚なく話せる至福の時間である。
・中学野球部で人気者だったK君、癌を患い私の命はあと2年間ですと話す・・・。
・酪農家に嫁いだF子さん、2.000頭の牛を飼っている・・・。
・北原白秋の生誕地と同じ村の出のT子さん、まだ現役でタクシ-会社に勤務・・。
・クラス(クラス替えが無かった小学6年間)のガキ大将(苦笑)であったT君、
関連子会社の社長まで登り上げ、退職後は料理教室に通い、家庭では炊事・
茶碗洗いのすべてを自分がやって奥様孝行しているという・・・。
・高校教師であったS君、障子嶽~二城山縦走は展望の少ないル-トであるが
郷土史跡との出合いがあるから皆に紹介して欲しいとの事、今は区長の仕事
で忙しい・・・・。
話す事は尽きない・・・あっという間の3時間で15時30分にお開きとなった。
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[坂口ちゃんの挨拶で・・いざ、開宴!] [山鹿温泉で同窓生が開くスナックに立ち寄る]
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(2014/04/30 加筆)
障子嶽は故郷を離れてから初めて登りましので、半世紀ぶりの体感でした。
子供の頃はメジロ落としやヤマモモ採りに夢中になった山で、登山をするという感触は全く持ち合わせの無い子供時代で有りましたので限られた場所だけの遊びの山でした。今回は子供の頃には恐ろしくて入れなかった奥地まで散策しました。
古希にして子供心を蘇りさせる故郷の山とは素晴らしいものと思いました。
加えて、古希同窓会の翌日の登山でしたので良き思い出となりました。
爺はそれに
故郷の山里は年齢を重ねるほどに郷愁を誘う
と付け加えたいとおもいます。