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自動二輪取得時の思い出

 先日の記事で私の子どもが教習所に入校した事について書きましたが、ふと私が自動二輪免許を取った時の事を思い出したので、今回はその事について書いてみます。

 私が自動二輪(中型限定)を取得したのは26歳の時、当時は地元の知人と、埼玉にいた知人が起業したベンチャー企業の横浜分室を立ち上げ、そこの責任者として仲間内で仕事をしていました。ベンチャー企業とは言え立場は社長直下でしたので、ゴールデンウイークや夏季休暇といった長期休暇もなく、必死に仕事をしていました。それこそ世の中は、リゲインのCM「24時間戦えますか」のキャッチコピーの時代です。仕事はシステムエンジニア兼プログラマーで、1週間の半分は事務所に泊まり込み、必死に仕事をしていたました。
 
 そんな仕事に忙殺されていた26歳のある日、ふと「俺って趣味は何だろうか」と思い返しました。仕事も忙しく、寝る時間も中々取れない中で、休みの日には自宅でひたすら寝ているか、偶にファミコンやるくらいしか無かったので、言葉は大げさですが、なんの為に仕事をしているんだろうと、ふとおもったのです。
 
 そこで高校卒業以来、バイクや車で遠出をしてよく走り回っていた事を思い出し、だったらバイクに乗ってみよう。原付きではなく、自動二輪(中型限定、当時は中免と呼んでました)の免許を取って、大きなバイクでアチラコチラに行ってみようと思ったのです。
 
 調べてみると、仕事場から原付きで三十分ほど走った場所に「関東自動学校、横浜駅校」があったので、早速入校手続きをして、仕事の昼休みとか、隙間時間を利用して通い始めました。

 今でもそうですが、普通免許を持っていれば、自動二輪免許の場合、かなり教習時間が省略されます。確か記憶では学科が八時間で、技能教習が十時間だったと思います。入校してから三ヶ月以内に卒業検定を終えるのが条件だったと記憶しています。
 
 初めての技能教習では、確か適性検査と言うのがあり、教習車(ホンダVF-400)の引き起こしから始まりました。これは教習生が横並びで、その間に教習車を入れてやりました。私は何とか引き起こしをする事ができましたが、隣の女の子の教習生が、引き起こしたのは良いのですが、私の方に教習車を倒し込んでしまい、結果、私が女の子の教習車の下敷きになるというアクシデントもありました。
 
 「きゃー!」言うのは良いけど、しっかりと持ち上げたら保持しろよ、というのが私の感想で、まあプチ災難でしたね。
 
 その後、実際の教習が始まるのですが、開始早々、教官から「佐藤さんは普通免許持ってるんだよね?バイクの操作方法はわかる?」と聞かれ、原付きでもRZ-50に乗っていたので「持ってますし判ります」と答えると、「じゃあ車の動きとか理解しているから大丈夫だよね。私はあちら(高校生くらい)の教習に付くから、コースを一人で回り、練習してくれるかな」と言われました。
 
 それからの教習では、初めに教官がコースの説明と教習のポイントを説明し、終わりくらいに教官の伴走で一通りコースを走り、ポイントだけアドバイスを貰う形で教習はトントン進み、坂道発進や一本橋も難なくクリア。そして規定時間で見きわめを貰って、卒業検定も一発で終わりました。
 
 実質的に一ヶ月半程度で、自動二輪の教習を終えました。やはりMT車の原付きに乗っていて、普通免許を持ってたら自動二輪は安く簡単に取れるんだなと感じました。
 
 自動二輪の免許を取得したら、知人からVT250Fを安く譲り受け、偶に休みが取れた時には富士周辺とか、日本平、御前崎などをブラリとツーリングしていました。しかし当時の会社の仕事量はというと、どんどん増えていき、せっかく購入したバイクも中々乗る事が出来なくなっていきました。
 
 思い返せば26歳から35歳までの間は、仕事で忙殺される日々で、今の嫁と結婚し、子供が生まれてから少しづつですが、時間が取れる様になっていきました。しかし今度は「子育て」という事で、出かけるにも家族で出かける事が多くなり、一人で動くという時間も中々なく。漸く最近になって子供も大きくなり、一人で動ける時間が取れる様になってきたのです。
 
 バイクの免許は取得しておいて良かったと、今は感じています。
 

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