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無免許運転の思い出

 最近、YouTubeに動画チャンネルを作りたいなと思っていますが、Go-Proカメラを購入するだけの「予算」が取れず、それ以前にも様々な物を揃えたいので、思案中なのです。

 さて今回ですが、よもやま話の一つとして、私が18歳の時に無免許運転で「現行犯逮捕」された時の事を、少しだけ書いてみたいと思います。

 今の私の運転免許には、原付+中型自動車(8トン限定)+普通自動二輪の3つが付いています。まあ既に36年以上前の話で、当時は原付免許だけの頃の話ですが、若気の至りだと思って読んでみてください。

 先日このブログで紹介しましたが、私には兄が居て、日産スカイラインTIに乗っていました。当時の兄は社会人なり立てで、私は高校三年生で二学期の頃でした。兄は車を購入してから、日曜日になると私に付き合わせてドライブに行く事があり、その時も「三浦半島を周るけど、一緒に行かんか?」と言われ、私も暇だったのでそんな兄に付き合う事にしました。

 自宅を昼過ぎに出て、鎌倉~逗子~葉山と三浦半島の西側を巡り、夕方に城ヶ島に到着しました。そこでの出来事です。城ヶ島には大きな駐車場があるのですが、そこで兄が「周りに車も人もいないし、少しだけ運転してみるか?」と言われたので、私も運転には興味があったので兄と交代して運転席に座り、エンジンをかけてました。

 スカイラインは4速MTなので、クラッチを繋がなくては動きません。この時は初めての運転だった事もあって、クラッチが繋げずに車は直ぐにエンストしました。その時です。目の前にパンダのセダン、横には「神奈川県警察」とロゴが入った車。そうです、パトカーが出て来て止まったのです。

「あれ?パトカーなんてどこに居たんだ?」

 これが最初に思った事でした。周囲を見ると回り込みの道のガードがあって、どうやらそのガード下にパトカーは居たようなのです。パトカーからは2人の警察官が出て来て、一人が運転席側の窓を叩きます。

「すみません、運転免許証を拝見させて貰えますか?」

 私は窓をあけて「原付免許ならありますが」と言うと、「なんだ?無免許運転か?・・・車から降りて」と言われました。そして私はパトカーの後部座席に押し込まれ、兄は「これは貴方の車?これ、無免許ほう助になるから一緒に来てもらいますからね」と言われ、スカイラインの運転席には警察官が乗り、兄は助手席にいたまま連行されました。

 その後、三崎警察署に連行され、私は警察官からメチャクチャ説教されながら供述調書を取られました。兄も離れた場所で同様に調書を取られていた様です。何より私はその警察官が書き込んでいる「犯罪供述調書」という様式に眼が行き「ああ、犯罪だってさ・・・」と憂鬱になった事を憶えています。

 警察に連行された時点で、確か夕方六時頃、既に外は真っ暗になっていました。警察官からは「身元引受人が来る迄、君たちは警察署から出れないからな。もし今日誰も来れなければ留置場に泊まってもらうから」と言われ、その身元引受人の事で警察官が家に連絡、どうやら父が三崎警察署まで来る事になったそうです。

 当時、我が家には自家用車なんて兄のこの車しか無かったので、父は横浜方面から電車を乗り継ぎ三崎口まで来て、そこからタクシーで三崎警察署に来ましたが、その時には夜の10時近くになっていました。会った時、父はうな垂れた私達兄弟を見て、笑いながら「バカ野郎!」と言っていたのを憶えています。申し訳ない事しましたよね。

 その後、兄と私は警察署を出て、兄の運転で帰宅しました。父は長年、バスの運転手をしていましたが、帰りの車中、バス会社の立場から見た警察のオカシナ処の話を散々していました。まあ今から思い出すと、これも良い思い出にはなっています。

 この後の事ですが、兄は「無免許ほう助」で交通裁判所で罰金の略式命令と、点数が着かない30日の免許停止処分となりました。

 一方、私の方ですが、実は原付で違反が2件ありましたので、累積点数として16点になってしまい、免許取り消しの対象者となってしまいました。その後、神奈川県警察本部から「運転免許取り消し処分聴聞会」への呼び出しがあり、二俣川にある「運転免許センター」に出頭する事になったのです。

 呼び出し場所の会議室へ行くと、100名位の人達が集められていましたが、どうやら全員「免許取り消し」の対象者だったようです。そこで担当者から説明があり、どうやら免許取り消し処分を行うに際して、一人ひとり意見を聴取するという事でした。またそこでは免許取り消しを一旦受けると、例えば自動車運転免許の場合、欠格期間が過ぎても試験場で一発試験で合格は絶対にさせない。教習所へ再度通ってもらい、そこを終えたら免許は申請してもらう事になると言われたのを憶えています。

 そして一人ひとり呼び出され、事情聴取が始まりました。
 確か2グループに別れて聴取されたのですが、私の場合、犯罪行為の状況(要は無免許運転をした時の状況)が読み上げられ、何故そんな事をしたのか、今はどう思っているのかを聞かれました。やってしまった事はやってしまったので、何も隠す事なく話をして、反省している旨も話をしました。

 全員の聴取が終わった後、1時間の休憩があって再度会議室に集まると、私と他9名が呼ばれて別室へと誘導されたのです。そしてそこで言われたのが「皆さんは本来ならば免許取り消しだが、今回に限り情状酌量して、運転免許停止180日という処分にする」という説明がされました。要は運転免許取り消しは逃れたという事です。当時、私は高校卒業した後に普通自動車の運転免許を取得しようと思っていたので、ラッキーにもそこへの影響は無くなりました。

 ここまでは行政処分の話です。無免許運転とは刑事事件でもあるので、私の場合は未成年という事から、次に横浜家庭裁判所の交通調査官室に出頭する旨の連絡がありました。こちらの場合には保護者同伴との事だったので、母についてきてもらい横浜石川町の家庭裁判所へ出頭しました。

 裁判所では十数名の人が集められていましたが、多くが金髪茶髪、中には鼻にピアスを入れている人もいました。

 交通調査官室はまるで病院の待合室の様な場所で、壁際にスチール椅子が並べられ、部屋はそれぞれパーテーションで区切られ、待ち合わせ場所とはカーテンで仕切った感じの部屋でした。そこで調査官から呼ばれてカーテンを開けて中に入ると、年齢的に五十代くらいの叔父さんが座っていました。
 そこでは聴聞会と同じく無免許運転した当時の状況が読み上げられたのですが、調査官は読み終えたあと「君もここで捕まったのか、運が悪かったな。ここで逮捕される人は結構多いんだよ。広い駐車場だろ?」と言われました。私は「ハイ」と答えると調査官は「でも一応、法律には反する行為だから、今後気を付ける様に」と言われて、調査官の聴取は終わりました。

 そのあと、とてもグロい交通事故の映画を見せられて後、広い会議室に集められました。
 「全員起立!」司会の様な人が号令をするので、全員、起立して気を付け姿勢で待っていると、入口から裁判官が入ってきました。「全員着席!」と言われ、椅子に座ります。そこで裁判官からは「今回の交通事犯については、全員、不処分とします。だたこれからはしっかり法律を守り生活をする様に」という事が言い渡されて、家庭裁判所の手続きは終了しました。

 いまこうして文書を書きながら思い返すと、両親にはつくづく迷惑をかけたなと、改めて思います。ただ人生の中で県警本部から聴聞会に呼び出されるとか、家庭裁判所に呼び出されるという事は、これはこれで良い経験だったと思いますが、法律をしっかり守る事も、社会人としての務めなので、これからも遵法指針を以って、生活していきたいと思っています。


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