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【腎臓腫瘍】誰に伝えるか

 さて、この翌日には知人と西伊豆にツーリングする予定が入っていました。健康診断は9月3日(土)、ツーリングは9月4日(日)。ちょっと前から楽しみにしていましたが、一挙に気分は奈落の底。時間が経てば経つほど落ち込み具合は酷くなりました。まずは嫁には言わんといかんと思いましたし、ツーリング行く友人も高校時代からの腐れ縁、やはり彼にも話しておくべきだろうと思いました。だからツーリングは決行する事にしました。

 先ずは嫁。でも伝えようにも自分がよく判っていない。腎臓に腫瘤が見付かったとして、それが癌で転移していた場合はどうなのか、いやいやそもそも原発巣がそこなのかも判らず。この時、初めて自分の人生が有限であった事を実感したのです。これでは子供たちにも言えん。そういや子供たちもまだお金が掛かるし、死んでもいられない
 
 考えてみたらこの日、健康診断だったので、前日から食事を採ってませんでした。だから何か食べようと駅前の中華料理屋に入り、大好物のレバニラ定食を食べたのですが、もう砂を噛んでいる感じで食べられません。思わず半分ほど残して店を出ました。
 
 家に帰ると「おかえりなさい」と嫁、検診はどうだったと聞かれたので「何か腎臓が、やバゲな感じらしい」と答えると茶の間にいた次女が「タバコばっか吸ってっからだろ?」と、我が家お決まりの応酬。
 ただその後、嫁にはそのまま伝えました。とりあえず腎臓癌かもしれないので精密検査が必要であること。そしてまずは検診結果が電子ファイルで一週間ほどで届くと思うので、そうしたら近所の大和徳州会病院を受診する事を話しました。この病院には以前に何度か尿管結石で通院しているのでカルテもあると考えたのです。
 
 私の話を聞いていた嫁は、アッケラカンと「大丈夫だよ」。と一言。
 
 何か拍子抜けした感じもしたのですが、あとに聞いたら嫁は嫁で動揺していたそうでした。でもそれを表に出さなかったんですね。そこは感謝しています。
 
 さて翌日。知人とは小田原厚木道路の小田原PAに朝8時に待ち合わせしていました。
 友人と落ちあった後、箱根を越えて沼津市の柿田川公園に立ち寄り、その後に土肥温泉へと向かいました。
 
 土肥温泉の公園にある足湯に浸かりながら、友人には今回の状況を自分なりに淡々と話をしました。友人は特に驚く素振りを見せずに聞いてくれ、「まあしっかり検査して、受けれる治療を受けるしか無いんだろうな。大丈夫だって」と一言だけ言ってくれました。
 
 この友人の姿勢にも感謝しています。自分がこういった状況になって理解できた事なのですが、こういう時には「百の励ましの言葉」よりも「百の耳をもって聞いてくれ、一言の励まし」がとても為になるんですよね。
 
 その後、友人とは西伊豆海岸線を走りながら、沢田公園の露天風呂、石廊崎を巡りながらも他愛のない会話でツーリングをしたのです。
 
 
 この時に考えたのですが、人生とは何も無限に続くものではなく、どこかで終焉を迎える出来事だと言う事。それが人によって十年から二十年の開きはありますが、誰もが確実に「人生の終焉」という事とは向き合わなければならない時期がある。
 
 私にとって、今回の病というのは、そういう時期を「知らせる」という意味でもあるのかな。これはけして後ろ向きに人生を考えると言う事ではなく、人生の有りのままの姿を理解させる出来事だという意味で、の話です。
 
 

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