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尿管結石の事

 さて、乳腺炎について先日まで書かせて貰いました。これは23歳頃の話でしたが、それ以降、私は特に大病を患わずに過ごしていました。

 この当時の私の生活というのは、まあ決して人にお勧めできない様な生活をしていました。

 まず仕事ですが、23歳から35歳までの間、2つのシステムハウスを渡り歩いていましたが、前の記事にも書いた様に「年俸制」で会社と契約し、2つ目の会社では小さい会社でしたが、そこで役員も務めていました。またそれだけではなく、ある団体でも青年役員をしていましたので、日々多忙な生活だったのです。ではどんな生活をしていたか、簡単に紹介しましょう。

 まず朝9時過ぎに出勤します。仕事はシステム開発なので、部下には開発するシステムの概要説明し、部下の成果物の内容をチェックしながらも小さい会社なのでプレイング・マネージャーとして仕事をしていました。要は自分でもプログラムを組みながらシステム全体を構築していたのです。夕方18時には団体の役員としてやる事があった場合には部下に指示して、一旦仕事場を抜けます。そして所用を片付けた後、夜の22時に会社に戻り、部下の成果物を確認しながら自分の仕事を片付けます。これが終わると朝方5時頃なので、始発で自宅に帰ってシャワーを浴びてから出勤します。

 仕事の状況によっては会社に戻らない場合もありましたが、その時には大抵、夜中に団体の青年部で打ち合わせがあって、家に帰るのは午前様。つまり午前1時か2時頃になります。食事なんかは仕事終わりに近所のラーメン屋とか牛丼屋で食べるのですが、夜中になるとお腹が空くので打ち合わせ前にファミレスで仲間とハンバーグなどを食べたりしていました。

 こんな生活をほぼ毎日していましたが、これは決して体に優しい生活ではありません。仕事はシステム開発なので、座って仕事をしていましたし、移動も自家用車を使っていましたので、結果運動不足もあいまって、体重がかなり増加もしてしまいました。最終的には100キロ近くになってましたね。。。

 これは34歳のある時、今の嫁とは付き合い始めていた頃でしょうか。

 当時は営業会社の社長が来ていたので、夕方から会社で打合せをしていました。「ちょっとトイレ・・・」と小用に行くと、何やら尿がトマトジュースの様な感じになっていました。でもどこにも痛みはありません。この時、実は知り合いが市会議員に出馬するという事もあったので、選挙事務所の手伝い何かもやっていましたが、「あー、、俺も”血のションベン”を出す様になってしまったか。。」程度に考えていたのです。

 この日は自宅に帰り、食事の後、特に用事も無かったので23時頃から布団の上でゴロゴロしているうちに、寝てしまいました。

 ふと夜中にお腹の痛みで目が覚めました。部屋の電気は親(当時は両親同居でした)が消してくれたのか、消えていました。しかしテレビは点きっ放しで、時間を見ると深夜2時。テレビでは「世界ボディビルダー選手権」がやっていました。(こんなくだらない事が記憶には残っているんですよね。。。)別に興味も無い。
 お腹の痛みですが、下世話な話で恐縮すがお腹を下している感じの痛みで、トイレに行きましたが全然出ませんし、痛みも消えるどころか徐々に痛みが増して来ます。なんか尿の色も紅茶の様な色であまり出てきません。その内、痛みはどんどんと激しくなってきます。まるでお腹の中をしぶり出す様な痛みです。それでもトイレに行っても何も出ない。

「そういえば、、、以前にオフクロがお腹の痛みがあって病院連れて行ったら結石とか言ってたな・・」

 もうテレビでボディビルダーがポーズを取ったりして大声援を受けているのも関係ありません。布団の上をゴロゴロと転がりながら、ひたすら痛みに耐えていました。そして朝方薄暮の時間、確か大和に救急病院があるので、そこで見てもらった方が良いかと考えて、服を着替えて顔を洗い、車で出かけようとしたところ、母親が目を覚まして起きてきました。

 事情を話すと「車で行くなんて危なっかしい!救急車呼ぶから待ってなさい!」と、119番に掛けてしまいました。

 近所に消防署があるのですが、電話をしてから5分ほど経つと、サイレンの音が聞こえてきます。「ピーポーピーポー・・」、さすがに自宅近所で音は消してくれはしましたが、救急車が自宅前に止まり、ストレッチャーがガチャガチャと出される音がして家のチャイムが鳴りました。

 お腹が痛くて脂汗垂らしていても、歩くことは出来ます。しかし救急隊員から勧められ、ストレッチャーの乗せられて救急車の中に。周囲を見ると御近所さんの内、何軒かの家から野次馬の様に人がでてきてこちらを見ています。いやぁ・・恥ずかしい。

 私を乗せると直ぐに出る訳ではなく、救急隊員は搬入先の病院を探しています。私は「大和市の徳洲会病院は?」と言うと、どうやら搬入可能らしく、確認が取れると、サイレンをけたたましく鳴らしながらすぐに出発しました。同伴は母親。移動中はガタガタと移動する中、救急隊員から既往歴を着かれ「乳腺炎がありました」と言うと、ちょっと首を傾げながら無線連絡していました。

 お腹は痛いのですが、救急車に乗る経験なんて初めてなので周囲を見回しているうちに、直ぐに病院に到着です。普通なら15分はかかる距離を10分かからずに到着しました。救急車はぇ~・・・。病院の救急搬入口には看護師達が待ってます。救急隊員からは「歩けますか?」と聞かれたので、歩いて救急車を降りて病院の救急入り口から看護師に付き添われ病院内に入ったのです。この時、時間は朝6時前の事でしたが、そらは既に明るくなっていました。


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