この前、ネットでくもんにかかわる記事を拾っていたら、
「公文経験のある生徒は考えるということが苦手」というような塾経営者の記事に当たりました。
いわく、
「考える力をはぐくむ」ということを基幹に据えている塾なのだけれど
「生徒の中になぜそうなのかということを考えるのを嫌がる子がいて、それは全員
公文経験者であった・・・・・」
というようなことで、公文の≪できるまで何度も≫という方式は
人間の本来持っている考える力を損なってしまうので良くない、とのこと。
うちの教室では幼児期から学習している生徒も多く、
小学生のころは「公文式」(テキストは違っても)でやってきているので、
中には確かに考えるということが苦手な子がいるというのはわかります。
同じ年からの学習開始で同じ教材を使ってきた二人は
中学二年生になった現在、片方は学年トップでもう片方は下から数えたほうが速いのです。
Aは小学校3年生ごろまで、いやいや来ていました。ぐんと伸び始めたのは5年生ごろ。
Bの方はといえば宿題を忘れるということなど皆無で、コツコツ練習を続けてきましたが、中学生になり部活などに時間を取られるようになったころから成績は下降線の一途をたどっています。
この二人の場合、もちろんAの方は、アタマの回転も速く、ああいえばこういうというような子で、学校の成績も良かったので親は「ここに来ているおかげです」と感謝こそすれ、他の塾へ行くなどということはあり得ませんでした。
ですから、公文式学習で《考える力》を伸ばすことに成功している子は他塾へは行きません。
一方、Bの方はといえば、「この子はトロい」ということをお母さんも何かにつけて
感じていたため、「この教室に来ていなかったら小学校のころから落ちこぼれ」ということを思っていて、それでも小学校で一応できる子に数えられるようになった頃には、
≪他塾≫ということも考えられたようです。
そちらへ行ったら、もっと伸びるのではないかと思ったからです。(当人も)
けれど、いくつかの塾を検討してみた結果、やはりうちの教室での継続をということに落ち着き、
「部活をやめさせて、勉強時間を増やした方がいいか」というご相談に
「学校の成績だけが人生を決めるわけではないので、辞めさせないほうがいい、」という私の意見を汲んでくださり、落ち目の成績にがっかりしながらも
他塾への移動はしていないのです。
Bに近い子たちが、「もっと伸びるのでは?」と他塾へ行って
「くもんばっかりやっていて、考えない子になっている」とか思われているのでは?
何しろ、
「他塾へ行けばもっと伸びるのでは?」と親も当人も思うのであれば
それはおそらく、
「例題を見て自分で考えてみる」あたりで教われないということがつらくなってきているからであろう、と考えられるからです。
ここで頑張れれば、自学自習の核に触れ、ステップアップが可能なのに
そこを超える前にやめてしまって・・・・・・
(Bの場合、いまだに新出箇所は噛み砕いた説明が必要です、
学校の授業だけではわからないので、うちで何度でも解き方の説明します)
うちの教室の場合
AかBかということは、たいてい入会した頃から見当がつきます。
時折、Bタイプかと思っていたのがAに化けて「やったぁ・・・・・・」ということもありますが。
研究会では相変わらず
二先、三先の進度達成を奨励しているようですが
ほんとうに「例題を見て自分で考えて二先、三先」をやれるようになっているのかどうかということは気になるところです。
もし、新出箇所は噛み砕いた説明での高進度ならば、内実は伴っていないわけで
他塾から「これだから公文経験者は・・・・・・」と言われても仕方がないところです。
「公文経験のある生徒は考えるということが苦手」というような塾経営者の記事に当たりました。
いわく、
「考える力をはぐくむ」ということを基幹に据えている塾なのだけれど
「生徒の中になぜそうなのかということを考えるのを嫌がる子がいて、それは全員
公文経験者であった・・・・・」
というようなことで、公文の≪できるまで何度も≫という方式は
人間の本来持っている考える力を損なってしまうので良くない、とのこと。
うちの教室では幼児期から学習している生徒も多く、
小学生のころは「公文式」(テキストは違っても)でやってきているので、
中には確かに考えるということが苦手な子がいるというのはわかります。
同じ年からの学習開始で同じ教材を使ってきた二人は
中学二年生になった現在、片方は学年トップでもう片方は下から数えたほうが速いのです。
Aは小学校3年生ごろまで、いやいや来ていました。ぐんと伸び始めたのは5年生ごろ。
Bの方はといえば宿題を忘れるということなど皆無で、コツコツ練習を続けてきましたが、中学生になり部活などに時間を取られるようになったころから成績は下降線の一途をたどっています。
この二人の場合、もちろんAの方は、アタマの回転も速く、ああいえばこういうというような子で、学校の成績も良かったので親は「ここに来ているおかげです」と感謝こそすれ、他の塾へ行くなどということはあり得ませんでした。
ですから、公文式学習で《考える力》を伸ばすことに成功している子は他塾へは行きません。
一方、Bの方はといえば、「この子はトロい」ということをお母さんも何かにつけて
感じていたため、「この教室に来ていなかったら小学校のころから落ちこぼれ」ということを思っていて、それでも小学校で一応できる子に数えられるようになった頃には、
≪他塾≫ということも考えられたようです。
そちらへ行ったら、もっと伸びるのではないかと思ったからです。(当人も)
けれど、いくつかの塾を検討してみた結果、やはりうちの教室での継続をということに落ち着き、
「部活をやめさせて、勉強時間を増やした方がいいか」というご相談に
「学校の成績だけが人生を決めるわけではないので、辞めさせないほうがいい、」という私の意見を汲んでくださり、落ち目の成績にがっかりしながらも
他塾への移動はしていないのです。
Bに近い子たちが、「もっと伸びるのでは?」と他塾へ行って
「くもんばっかりやっていて、考えない子になっている」とか思われているのでは?
何しろ、
「他塾へ行けばもっと伸びるのでは?」と親も当人も思うのであれば
それはおそらく、
「例題を見て自分で考えてみる」あたりで教われないということがつらくなってきているからであろう、と考えられるからです。
ここで頑張れれば、自学自習の核に触れ、ステップアップが可能なのに
そこを超える前にやめてしまって・・・・・・
(Bの場合、いまだに新出箇所は噛み砕いた説明が必要です、
学校の授業だけではわからないので、うちで何度でも解き方の説明します)
うちの教室の場合
AかBかということは、たいてい入会した頃から見当がつきます。
時折、Bタイプかと思っていたのがAに化けて「やったぁ・・・・・・」ということもありますが。
研究会では相変わらず
二先、三先の進度達成を奨励しているようですが
ほんとうに「例題を見て自分で考えて二先、三先」をやれるようになっているのかどうかということは気になるところです。
もし、新出箇所は噛み砕いた説明での高進度ならば、内実は伴っていないわけで
他塾から「これだから公文経験者は・・・・・・」と言われても仕方がないところです。
現役指導者です。
これはよく指摘されますよね~。ただ、よく読むとこう主張されてる塾関係者は殆どが高校入試止りで論じてると感じます。
公文はご存知の通り高校数学を楽にするのをきっかけに始まってます。そこをもう少し喧伝するべきだと思いますがね。
反復練習は高校数学を迎え撃つための道具でしかありません。
勿論中学生あたりで他塾に移る生徒さんは学力が不安な方が多いけど、それだけではなく、最初のテストでそのお子さんに対して期待値が高くハイペースのクラスに入れられてしまうのではないでしょうか?
土台は見についているので。
公文は高校教材に入ってこそ真の価値があります。国語も高い教材に進んでいる生徒さんは素晴らしい成績の方が多いですよ。
英語はいうまでもなく。
うちの教室で、第一志望の高校には蹴られたものの、
入学した高校で、数学が良くできるので自信回復につながり、大学入試に向けて頑張っている、という事例はいくつもあります。
ただ、問題は。
高校での数学に向けて、何年間も会費を払い続け、送迎、宿題を続けるパワーが、いまどきの親にあるか、ということでもあるのでは、とも思われます。