「最後のパ・リーグ会長」小池唯夫・元毎日新聞社社長が11月30日に亡くなった。2001年の就任からプロ野球のコミッショナー事務局とセ、パ両連盟の統合により退任するまでの8年間、現在のクライマックスシリーズにつながるプレーオフを導入したほか、04年には、近鉄とオリックスの合併に端を発した球界再編問題に直面し、プロ野球史上まれにみる激動の1年を過ごした。
会長として尽力したのは「パの底上げ」。就任当時は1993年のフリーエージェント(FA)制導入や98年のポスティングシステムの導入などで有力選手の流出が相次ぎ、「人気も実力もセ」になることが危惧されていた。会長1年目の01年、オールスターゲーム第1戦を前に、当時8連敗中だったパの選手たちに「何が何でも勝て」と発破をかけた。
さらに04年には「手をこまねいている時期ではない。動くことが先決」とセ・リーグに先駆けてプレーオフ導入を決断した。
一方で球界再編問題では、当時の西武・堤義明オーナーや巨人・渡辺恒雄オーナーらが描いた1リーグ構想を当初から知っていたものの、表だって動くことはなく、労働組合プロ野球選手会のストライキなどによって構想が崩れるのを最後まで見守った。
パの独自性を主張し、リードした小池さんが、パ最後の会長となったのは、やや皮肉だが、再編問題後、交流戦などでパの球団が力を示し、人気を盛り返したことを最も喜んだ一人だったのも、確かだ。【冨重圭以子、村社拓信】
会長として尽力したのは「パの底上げ」。就任当時は1993年のフリーエージェント(FA)制導入や98年のポスティングシステムの導入などで有力選手の流出が相次ぎ、「人気も実力もセ」になることが危惧されていた。会長1年目の01年、オールスターゲーム第1戦を前に、当時8連敗中だったパの選手たちに「何が何でも勝て」と発破をかけた。
さらに04年には「手をこまねいている時期ではない。動くことが先決」とセ・リーグに先駆けてプレーオフ導入を決断した。
一方で球界再編問題では、当時の西武・堤義明オーナーや巨人・渡辺恒雄オーナーらが描いた1リーグ構想を当初から知っていたものの、表だって動くことはなく、労働組合プロ野球選手会のストライキなどによって構想が崩れるのを最後まで見守った。
パの独自性を主張し、リードした小池さんが、パ最後の会長となったのは、やや皮肉だが、再編問題後、交流戦などでパの球団が力を示し、人気を盛り返したことを最も喜んだ一人だったのも、確かだ。【冨重圭以子、村社拓信】