GENKINGが語る「セレブ生活は女性を隠すための防衛術だった」
1月29日、昨年5月にタイで「性別適合手術」を受けたことを告白したGENKING(年齢非公開)。GENKINGと言えば、インスタグラムで「謎の美男子」として注目を集め、'15年に芸能界デビューするや、オネエとは違う“ニューキャマー”、「気分により男と女のときがある」、“ユニセックス”として一躍時の人となった。インスタグラムのフォロワーは100万人をほこった。
今年1月、自叙伝『僕は私を生みました。』(双葉社)を出版。そこには、3歳のころに気づいた性の目覚め、自分の性に対する違和感と苦悩、そして昨年7月に性同一性障害が認められて戸籍上も女性になるまでの半生がつづられている。
今回、女性として人生を歩み出したGENKING(本名・沙奈さん)が、本誌に女性になるまでの苦悩を明かしてくれた。
こっそり母親の口紅を借りて口にぬるのが好きで、ピンクの靴を履いて、部屋もピンク一色だった幼少期。
「小学生のとき、赤い筆箱を持っていたことをきっかけに『あっ、オカマだ!』と言われるようになりました。それから『本当の性を隠さないといじめられる。そしたら大好きなママが傷つく』と、心を閉ざしていくようになりました」
そんな反応に変化が起こったのは、小学4年の夏休み。年の離れた姉に、髪を明るく染めてもらったときのことだった。
「盆踊りに行くと、みんなが髪を染めた私に興味津々で集まってきました。『人より目立つといじめられない』と、気づいたんです。本当の自分を守るためにヤンキー小学生、ギャル男、謎の美男子、ユニセックス……と別の誰かを“ファッション”として演じるようになりました。ようやく堂々と生きてゆくための“防衛術”を見つけたと思いました」
やがて、その“ファッション”がメディアに注目されて、芸能界デビューを果たす。
「別人を演じるという意味では、その最高潮がGENKINGでした。子どものころからの夢だった芸能界デビュー。最初の1~2カ月は夢心地でしたが、当時の事務所からは、自分のことを『僕』と話すようにと言われていました。普段着としてはいていたスカートやワンピースも禁止。メディアに出れば出るほど“偽り”の時間は増えていき、そのギャップに必死に耐えていました。そして、本来の姿に戻りたいという葛藤にさいなまれ