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成人迎える天国の娘へ、笑い声届けたい 

2016-01-11 08:12:13 | ブログ
成人迎える天国の娘へ、笑い声届けたい 風見しんごさん

 11日は成人の日。タレントの風見しんごさん(53)の長女えみるさん(当時10)も今年、20歳を迎えるはずだった。交通事故で亡くして約9年。風見さんは命の大切さについての講演を各地で続けている。これからハンドルを握る若者たちにも、耳を傾けてほしいという。
(写真は風見しんごさんと4歳のえみるさん=風見さん提供)

 「朝、赤いランドセルを背負い、『行ってきます』と笑顔で家を出ました。事故はその数分後でした」

 2007年1月、えみるさんは自宅近くの横断歩道を青信号で渡っている時、3トントラックにはねられた。運転していたのは22歳の男性だった。


亡くなる2週間前のえみるさん=風見しんごさん提供
 事故がなければ今年成人式を迎え、両親らに晴れ姿を見せていた。

 悲しみ。憎しみ。後悔。恐怖。事故後、風見さんは次々と襲って来る感情に混乱した。「時間は何も解決してくれなかった」

 えみるさんを失って半年後、風見さんは事故防止を呼びかける講演活動を始めた。心にあいた穴はふさがっていなかったが、「自分で一つひとつの感情に決着をつけるしかなかった」。


交通安全を訴え講演する風見しんごさん=2014年5月、福井市今市町
 自分と同じ思いをして欲しくないと願い、各地に赴く。学校や地域の集まりで交通安全や命の大切さを訴え、年に50回を数えることもあった。

 「今でも『ただいま』と帰ってくる気がします。交通事故は数多くの深い悲しみをうむ。誰もが加害者にも被害者にもなる。アクセルを踏む前に、えみるのことを少しでも思い出してもらえれば」。講演では事故当時の悲惨な様子を語りながら、そう呼びかける。

 交通事故で家族を亡くした遺族から手紙が届くこともある。「混乱の中にいます。どうしたらいいでしょうか」「子どもを亡くして3カ月。事故から3カ月の時の気持ちはどうでしたか」「風見さんのように笑顔になれるでしょうか」

 風見さんは万年筆を執り、便箋(びんせん)2、3枚に返事をつづる。

 「何年経っても忘れられません。忘れる必要はないし、何年経ったから前を向かないといけないということはない。お気持ちのままでいい。泣きたい時は泣いてください。ただ、ご無理だけはしないでください」


6歳ごろのえみるさん=風見しんごさん提供
 風見さんは今も、「えみるが最期に見た風景はどんなだっただろう」と1日に1度は考えてしまう。信号待ちでトラックが隣に止まった時、子どもを見た時などふとした時に思いがよぎり、恐怖が残る。

 えみるさんの勉強机から、将来の夢の欄に「かわいい子どもを持つこと」と手書きされた「名刺」を見つけたときは、妻と泣いた。死に化粧でなく、花嫁化粧を施した。

 約1年前から、えみるさん宛てに振り袖や記念撮影の案内が届く。振り袖姿を想像しようとしても、できなかった。「10歳のまま止まっているから」

 風見さんは、悲しいことも楽しいこともすべて天国での土産話にしようと決めた。すると、少しだけ気持ちが楽になった。

 えみるさんの小さな体は事故後1時間半、必死で生きようとしたという。「生きるために頑張ることを、最期の最期で強烈に教えてくれた」と風見さん。悲しくてもつらくても、踏ん張る力になっている。昨年の交通事故死者数は4117人。00年以来15年ぶりに増加した。これから車を運転する若い世代にも、命の大切さを語りかけたいという。

 風見さん宅には、えみるさんを初めて抱いた1996年産のワイン十数本が大切にしまってある。成人したら一緒に飲もうと買った。今年、そのワインで家族や仲間とにぎやかに祝うつもりだ。「それぐらい声出して笑わないと、天国まで届かないから」(貞国聖子)
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