then then 通じなかった
2023年11月25日(土)
ピアニストで指揮者のウラディーミル・アッシュケナージの演奏を2回聞いたことがある。1回目は、1970年頃で、2回目は、1998年5月18日(私が50歳)である。
私は、演奏会に行くことが多い方だとは思うが、サインを貰うとかで楽屋に奏者を訪ねるということまではしたことがなかった。しかし、2回目のときは、アッシュケナージに会って話をしてみたい、と強く思った。それは、1回目のとき、印象深いことがあったからである。
アンコールが終わり、サイン会は、楽屋ではなくロビーであった。多くのファンと一緒に並び、ドキドキしながら、自分の番が来るのを待った。いよいよ私の番になった。まず、「マエストロ」と切り出した。後は英語でどのように言ったかは、恥ずかしくて、ここでは書けないので、日本語で要訳する。
あなたは、1970年頃、広島で演奏をしたことがある。広島市公会堂という所でだ。外山雄三との共演だった。
アッシュケナージは、ファンのために次から次と忙しくサインをし続けていたが、「トヤマ」という言葉に、少し顔を上げ反応を示した。私は続けた。
休憩時間に、ある女性がステージのところまで来て、そして、ピアノを見て驚いた。そのピアノはヤマハだったのだ。彼女はスタインウェイだと思ったのではないかと思う。あなたが、ヤマハをスタインウェイのように美しく弾いたからなのだ。
すると、アッシュケナージは、「スタインウェイでしたよ」と言った。
私は、とっさに頭が混乱して、言葉を続けることが出来なくなった。それでなくても、多くのファンが並んでおり、私がアッシュケナージを独り占めすることはできない。「サンキュウ」と言って、やむなくその場を去った。
注 1970年のピアノは「ヤマハ」で、「スタインウェイ」のように弾いた。 1998年のピアノは「スタインウェイ」。
後から考えて、アッシュケナージは1970年の時のピアノではなく、今日のピアノのことだと勘違いしたのではないか(いや私の英語が勘違いさせたのだ)と気づき、「今日のピアノではなく、1970年のあの時のピアノのことですよ」という趣旨で、「then」と言えばよかったのだ。
「then」という言葉がとっさに出なくて、アッシュケナージに最も言いたかったことが「ゼン ゼン」通じなかった。