ごめり語。

ごめり・りんご・「   」

優しいということ

2007年01月23日 | 読書
たくさん書きなぐっていると、どうも言葉のひとつひとつや、
単語のひとつひとつをおろそかにしてしまいます。
言い訳ですが。

<優しい>という単語、難しいですね。
偉そうなことを言いいながらも、私は安易に使っていますが・・・
個々それぞれ、その人なりに<優しい>の定義を持っているのでしょうし、
例えば男と女、若い人と老いた人、それぞれの傾向もあるでしょう。

何でこんなことを書き始めたかというと、
本田靖春の「戦後の巨星 二十四の物語」を読んだからです。
この本は、本田さんのインタビュー集ですが、
<優しい>というキーワードがたくさん含まれています。

本田「優しいでしょう、彼らは。」
萩原「うん。」
本田「人間として。」
萩原「うん。」
<映ってなんぼ、立ってなんぼ>萩原健一


「陳腐な言い方になるが、阿佐田さんほど人間に対するやさしさを感じさせる人はまれである」
<勝負の哲学と人間へのやさしさ>阿佐田哲也


「彼の生き方は流れ者として首尾一貫している。それを支えているのは、強さと優しさを兼ね備えた人間性である。」
<似たもの同士の小説家>生島治郎


「やさしさはそれとして、話しぶりには臆した風がない」
<世界のアヤコの「アメリカ土産」>岡本綾子


つか氏は<相手から親切にされたり、思いやられたりすることが一番残酷な仕打ちである>と書く。<私たちの心やさしさは、残酷さに裏打ちされたものでしかないと、実感しているとも>。・・・・・・だが、若者たちはそうした表層の下の隠された氏の心やさしさを敏感に嗅ぎとったのであろう。・・・・・・私も遅ればせながら、氏のサングラスの下に、そのやさしさを見た。
<残酷さと心やさしさと>つかこうへい


「検察官より被告人の立場に心をひかれる」という名人は、疑いもなくやさしい人間である。名人が盤面に向かったときに発揮するずさまじい執念と迫力が、そのやさしさとどう回路でつながっているのかは、私には見えなかった。
<碁によって救われた人生>趙治勲


本田「優しさというテーマはだんだん男の世界に限定されてきた。男の専売特許みたいになっちゃてさ。」
井上「話はひょっとして核心に触れるけども、本田さんって、離婚・・・・・・。」
<フォーク界の巨人の「透明感」>井上陽水


面と向かって「あなたは優しい人ですね」なんて言えませんから、
対談後に本田さんが文章でフォローしているケースが多いですが、
それゆえに、そこにこだわりがあったであろうことが想像できます。

私に言わせれば、本田さんは<テンダー><フェア><アローン>の人ですね。
同じ土俵で、同じ目線で、徒党を組まずに戦う人、です。
戦うということも、ひとつの優しさなんでしょうね、きっと。

このインタビューの人選が、本田さん自身によるものなのかよくわかりませんが、
登場する誰もが、自らの体験をもとに物事を考える、誇り高い人たちばかりです。
だから、インタビューから20年以上経過した今読んでも面白く、新鮮さを感じます。

最近、手塚治虫の「どろろ」が映画化されましたが、下記のような会話がありましたので参考まで。
手塚「その当時書いた私のものというのは、全体に本当に救いのないもので、いま読んでもイヤになるぐらい暗いんですね。」
本田「それを作品でいいますと、何になりますか。」
手塚「そういうのはご存知ないと思うんですけど、例えば「バンパイヤ」とか「どろろ」というのがそういう時期にありました・・・・・・


最初に戻りますが、<優しい>という単語、やっぱり難しいですね。
普通に考えれば<人を思いやる心>というような意味なのでしょうが、
一歩間違えれば<甘え・甘やかし>と同義になってしまいますからね。

写真は、昨日楽天で届いた「心にも体にも自然にもやさしいお茶」です。
こういう使い方もあるんだなぁ~。

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