2日続けての記事。1日目は東京理科大と東工大の記事であった。
特になんともな感じがしたのがこちらの東工大幹部のインタビュー。
(大学入試の「女子枠」、どう考える:上)井村順一さん、井門康司さん:朝日新聞デジタル
ネットで無料では読めないが、紙面に書いてあったのは、なんと食堂で女子向きのメニューを出している、などというものであった。もしかすると、東工大関係者の中にはこのような記事をまじめに当然と思う人もいるのかもしれない。そういう方は是非とも翌日の東大と東北大特に東北大の大隅氏と話してみてほしい。
東京理科大と東工大の記事はどちらかというと、どうすればいいのかいまいちわからん、という感じが見えている。また、入れるのはいいけど扱いは難しいね、みたいな感じもにじむコメント。
一方の東京大は広報の担当者を出してきていた。こういった取材に専門家を出さないとまずいという認識はあることがうかがわれ、いかにも官僚的な感じが透けて見える。どう扱えばいいのか難しいと思いつつも医学部や農学部などの女子が入りそうな学部があったり、特定の女子高などから入る人もいるので、人数的にはそれなりにいるということかもしれない。
この中で東北大は副学長に女性がいたり、学部長レベルでもいるなど、かなり進んでいる印象を受ける。
高校生が4つを比べて一番惹かれるのは東北大なのではないだろうか?(もちろん住居の問題などはあるにしても)
ということで、一方では多くの大学のように、かつては文系とみなされていたような学科を理系と分類することによって、理系の人数を増やすようなこともあるようだが、そんなことをしても日本の国力は上がらないので、もっと真剣に文部科学省も取り組んでほしい。
ということなのだが、ここまで書いてきて、何かちょっと前に書いた”ボウスハンズシュート”の話と似ているような気がしてきた。何か女子向けのやり方がある、ということを過度に強調して、女子にはそういった方策が必要だということをいうことで、”区別”を正当化すると。そのような指導が小さいころから行われれば当然それはマジョリティーになってしまうだろう。
両方に共通するのは小学校くらいからの教育を変えていかないと、おそらく、世界で戦える学者や技術者もバスケットボール選手も、女性はなかなか育たないのではないかということだ。もちろん日本はある程度豊かな国なので、戦わなくても食っていける。それは男子のスポーツ(野球やバスケット)を見ていても分かることだ。また、実際にまさに東北大の大隅氏のように、女性で戦っているひとも数多くいる。しかし、それはかなり本人のリスクのもとでやっていたり、男性よりもずっといろいろな点で苦労しながらやっているということだと思う。例えば男性の学者で家族や子供がいることが、苦労の理由として、特段あげられることがどれだけあるだろう。それが女性を取材するとそういった話題が出てくることが多いのはなぜ?
またまたバスケットボールになってしまうが、8月9日の朝日新聞の朝刊にカナダの3X3の女子選手について書いている記者はまさにこの”男性選手であればとても聞かないようなこと”をあえて書いていた。いったいどういうつもりでああいったことを得意げに書くのか。海外でも子供がいる女性プレーヤーが活躍するのにはそれなりの苦労があるといいたいのか。それならそういえばいいのにと思うのだが、よくわからない記事だった。
それを書くなら、東京五輪を子供のために断念した大崎選手のことなども書いてほしいものだ。確かにカナダの選手も海外の5人制のチームからは断られたが、3人制という活路を見出した。日本で大崎選手は3人制の位置づけもあったりするのかもしれないし、カナダの選手はまだ30歳ということもあるのかもしれないが、とにかく環境の違いはあるのではないか。もっとも朝日新聞の記者はバスケットを専門にやっている人ではなくピンチヒッターのような人のようなのでそういった視点を求めることは無理なのだが。
ということで、まずは小学校からの教育。また、進学校といわれる地方の公立高校での過度な大学進学者数の競争をやめることから始まるのではないだろうか。地方の公立高校の進路指導では、とにかく国立大学の合格者数を増やすために、女子には地元の教員養成系の学部を勧めたりするようなこともいまだに行われているようですので。