2023年末にラジオを聞いていたら、合唱曲の歌詞の感想をMCの方が「哲学的なニュアンスがある」といっていました。
小生は哲学というものは”ニュアンス”はなくて、すべてを明確に述べることを使命とすると考えていたので、”哲学的”ということばと”ニュアンス”ということばは相反するものではないかと思いました。
ニュアンスをコトバンクの定義の”ある語・語句の持つ表面的な意味以外の、情緒的な意味や細かな意味。また、語句や文章の言外に表わされた意味や話し手の意図。”としたときに、後半は例えば言語行為論などでいうところの発話媒介行為というのでしょうから、哲学の中ではニュアンスとは言わないように思います。おそらくMCの方は前半の意味でおっしゃったと思いますがまあ哲学的というのも、何かを考えさせるような、というくらいでしょうか。
しかし、やはり、もし世間の人が、哲学というのが何か難しい概念をもてあそぶように思っていたとしたらとても残念だと思います。小生が教えられてきた哲学は、とにかくわかりにくいものを明確に語る訓練のように思っているからです。そこでは、できるだけ、あいまいさ=ニュアンスがないように語ることが哲学的な語りとされていたと思います。
逆にいうと、なんで哲学という言葉がそのように使われるのかは興味があります。例えば高校の倫理社会などでの哲学の扱いなのでしょうか?