

昨日の講座だったが、復習も兼ねて配布資料に基づいてやっとこっとでまとめた。ふーっ!(笑)。しかし、明石に住んでいると言ってもこんなに知らないところがあったのかと感心するところがしきり。
これは「ぶらり歩こう会」の題材にもなりそうで面白い。これを全部歩きつくすには何年くらいかかるだろうか!?明石シニアカレッジふれあい漫歩グループさん、誠に有難うございました。
尚、地図上の位置を示す番号で、19、20、22は記入されていない。

下の写真はクリックにより拡大。アンダーラインがある項目はウエブサイトへリンクしています。

















明石 休天神社 ひな形祭り_2
17.休天神社 菅原道真は延喜元年(901年)、大宰府への途中でここに立ち寄り、明石の駅長(うまおさ)の出迎えを受ける。


建設当時の社会の様相とラジオの普及の過程を物語る。



私もそうだと思います。
子供の頃から住んでた会津若松も、地元を離れて改めて意識すると知らない事が沢山あると思います。
今から息子の事で学校に行って来ま~す!!
人にも寄りましたが うまく開きませんでした。
私も高知の事で知らない事はおおいでしょうね
#16 面白いですね。
すみませんでした!
私はてっきり私のブログにだけ悪戯が入ったかと勘違いして慌てていました。
イジーさんによると他でもあったようですね。
>私もそうだと思います。
私は知らない明石をぶらり歩こう会で、とことん行き尽くしたなんて思っていたんですよ。
ところが、ところがほんの一部しか歩いていないことがよく分かりました。
>会津若松も、地元を離れて改めて意識すると知らない事が沢山あると思います。
私の生まれ育った福岡市は完全に変貌してしまいました。
あっ、ここにも書いてありますね(笑)
夕べ遅く、自分のブログを何回も開こうとするとぱっと開いて消えてしまうんです。
どこかのGooにアクセスすると開いたので、私個人的な問題かと思っていました。
>人にも寄りましたが うまく開きませんでした。
そうでしたか!
>私も高知の事で知らない事はおおいでしょうね
イジーさんは高知を早くに離れられた気がしますが、
とても高知を愛しておられるように見受けます。
>#16 面白いですね。
はっはっは、三韓とは高句麗・百済・新羅のことで
小千益躬は、降参したふりをして、朝廷へ向かう先導役となり、
明石の浜で鉄人達が休息をした時、空が突然曇り、
稲妻がおき、おどろいた馬から鉄人が落ち、足の裏を見せた隙に
益躬が弓矢で足裏を射て鉄人達はほろんだとありますね。
誰がこのような話を作り上げたんでしょうか?(笑)