~NHK NEWS WEB 2021年12月5日 19時24分
テレビ放送で、はっきり分からなかったけど細谷もゴールして倒れたんじゃ~なかったかな?スポンサー企業のマイナビの社長だったのか?優勝のケニアのギザエ選手に被せる予定の月桂樹を持って立ちすくんだままの映像でテレビは終わった。ギエザの優勝インタビューも疲労で出来なかったようだ。3番手?の選手はゴールして倒れこんで担架で運ばれていたね。
福岡国際マラソンの歴史
日本選手で最初にオリンピック出場を果たした金栗四三の功績をたたえて、1947年に熊本で開催された「朝日マラソン」が始まりで、福岡のほか、香川や静岡、広島など日本各地で開催され、1959年から福岡での開催が定着し、ミュンヘンオリンピックの金メダリスト、アメリカのフランク・ショーター選手が4連覇を達成した1974年に今の大会名の「福岡国際マラソン」となった。
1979年の大会では前年に初優勝した瀬古利彦選手(福岡国際マラソンに5回出場し4回の優勝)が宗兄弟(宗猛 宗茂)との三つどもえの大接戦を制した。
写真は瀬古が早稲田のシャツを着ているのでその前年のよう。
(17番)中山選手はソウルオリンピックの代表選考会となった1987年の大会を独走で制した。(6番は、谷口浩美)
先に平和台球場から西鉄ライオンズが立ち去ったけど、今度は平和台競技場からマラソンが東京や大阪に移転?故郷が無くなっていくよう~(泣)
男子マラソンの低迷の一因は陸連の「駅伝偏重」にあると思います。テレビのご都合で冬になると駅伝ばからもてはやしますが、世界の陸上界から見ればローカル大会に過ぎませんからね。駅伝から世界的なマラソントップランナーが出て来るとは思えませんけどね。
みんなご存じなんですね、嬉しいです。
前後にも大選手は居たと思うのですが、私が一番テレビを観ていた時のスター選手です。
家から歩いて40分くらいの場所に平和台陸上競技場があったので何回かゴールに立ち会いました。
小学校の頃なのか?1位と2位が並んでゴールしましたが、報道記者たちは一斉に1位のところに駆け寄って2位にはしらんぷりだったのが「どうして?」と思ったものです(笑)
>スターが不在ではテレビ局も視聴率が取れず、スポンサーが離れていくのは仕方がないですね。
この日の細谷の2時間8分16秒でも凄い記録ですよね。
アフリカ勢がマラソンに強くなったのが現在の結果なんでしょう。
2時間7分51秒のタイムで初優勝したケニアのギザエは福岡第一高の留学生として育ったのだそうです。
私の記憶では福岡の朝日マラソン、別府大分毎日マラソンそして、びわ湖毎日マラソン大会(これも前回で終了しましたね)しかなかったと思いましたが、現在は東京、大阪などの大都市が華やかでスポンサーも集るでしょうね。
そうですよね~。
大相撲の九州場所が終わったら福岡国際マラソンで、後はクリスマス、正月へと進んだものです。
>低迷の一因は陸連の「駅伝偏重」にあると思います。
ああ、なるほどですね~。
本当に駅伝中継が山のようにありますね!
>世界の陸上界から見ればローカル大会に過ぎませんからね
そのような視点に気づきませんでした。
>駅伝から世界的なマラソントップランナーが出て来るとは思えませんけどね。
このような議論は聞いたことがないような気がします。
今ちょっとgoogle翻訳機に駅伝競走の英訳がどう出てくるか試してみました(笑)
答えはEkiden raceでした!
なんでも「最初の駅伝は、東京奠都50周年記念として讀賣新聞社会部長・土岐善麿の発案で同社が主催し 1917年4月27日に行われた「東海道駅伝徒歩競走」とされる。関西組と関東組に分かれ京都の三条大橋を午後2時に出発し、東京の上野不忍池までの23区間、約508kmを昼夜問わず走り抜けるもので、先着の関東組がゴールに到着したのは翌々日の午前11時34分であった。この時の関東組のアンカーは金栗四三である。」
とありましたが、国際と名のつくものでも
「国際千葉駅伝)は、1988年(昭和63年)から2014年(平成26年)にかけて行われていた、国際陸上競技連盟公認の駅伝国際大会。」
らしいですが、諸外国にはないのでしょうね。