時代の風:ともに生きる作法=京都大教授・山極寿一
毎日新聞 2014年05月25日 東京朝刊
◇他の生物たちと調和を−−山極寿一(やまぎわ・じゅいち)
私が子供の頃、「変なガイジン」という言葉がはやったことがある。日本語どころか大阪弁でしゃべりまくって周囲をあぜんとさせる一方で、おじぎや膝をそろえて座るなど日本人なら常識なことができない。つまり、言葉で会話ができるのに、しぐさでは別世界にいる人のことをこう呼んだのだろうと思う。
実は私も、30年余り前にアフリカでゴリラの調査を始めた頃、同じように呼ばれたことがある。現地のスワヒリ語でもガイジンに当たる、ムズングという語がある。これはもともと白人に対して使われたのだろうと思う。国が違っても肌が黒い人に対してはムズングと呼ばないからだ。ちょうど私たちがアジア人に対してはガイジンと呼ばないこととよく似ている。
スワヒリ語は日本語と発音が似ているので、私は会話で不自由することがなかった。奥地の村でスワヒリ語を流暢(りゅうちょう)にしゃべると、みんなが目を丸くする。その地方特有の言い回しや表現で話すので、みんな面白がって話しかける。地元の人にとっては珍しくも高い価値もない、ゴリラを見たいだけ、というのだから、ますます変なムズングに思えたことだろう。
さらに私は、もうひとつ「変なガイジン」になったことがある。野生のゴリラを観察するためには、人間に対する敵意を解いて、ゴリラの群れの中に入っていかねばならない、そのため、私はゴリラのしぐさや声をまねて、ゴリラのように振る舞うことにした。やがて、ゴリラは私を受け入れてくれたが、人間の私がゴリラになれるわけではない。おそらく、人間の姿をしているが、ゴリラの流儀を知っている「変なゴリラ」と思われていたのだろう。私はゴリラの子どもたちと取っ組み合って遊び、おばさんゴリラにからかわれ、オスゴリラと隣り合って昼寝をできるようになった。しかし、彼らの世界にどっぷりつかっていたために、人間の世界にもどってから人間の姿やしぐさがずいぶん不格好に見えたものだ。
今では多くの外国人が日本に暮らすようになり、変な言葉も、変なしぐさもあまり気にならなくなった。外国で暮らした経験をもつ日本人も増えて、日本文化になじまない人でも気楽に受け入れることができるようになった。日本人より日本人らしい外国人だって珍しくない。もう「変なガイジン」は死語になった。
それは、私たちが文化の枠を超えて、人間として共有できる作法に敏感になったからだと思う。日本人の作法を逸脱するガイジンたちの行動を通して、私たちは外から自分たちの文化をながめ、その欠点に気がつくようになったのである。特に男女の作法の見直しは、私たちの暮らしに重要な変化をもたらした。トイレは水洗になり、男女の別が常識になった。妻の前を威張って歩く夫の姿を見かけなくなり、手をつないで歩く夫婦が目立つようになった。レディーファーストが励行されるようになったし、個室が増えてプライバシーが尊重されるようになった。これまで私たちが当たり前にしてきたことが、ガイジンたちの目にどう映っているかを知ろうとした結果、こうした変化が引き起こされたに違いない。
ひょっとしたら、かつての私のように日本人が世界の隅々に出かけて多様な文化を肌で知り、自分が「変なガイジン」になった経験を通して、人間の作法を考えることになったのかもしれない。であれば、もう一歩進んで、今度は人間を超えて生きる作法に目を向けてほしいと私は思う。限りなく生活領域を広げている私たちには、他の生物とともに生きる方策が必要だからである。熱帯雨林で暮らすゴリラをみると、母性の強さとあっさりとした子離れに感心することがある。派手な身ぶりでメスに求愛するオスも、決して強制的にメスを意のままにすることはない。そして、他の生物たちと見事に調和した生活を営んでいる。そこには自然の作法とでもいうようなエチケットが存在する。
私たちは昔から人間だったわけではなく、つい最近まで多くの生物に囲まれて生きてきた。サルや類人猿の目で現代の人間をながめたときに、人間の由来と不自然な振る舞いが見え隠れする。それを現代の暮らしの中で再検討し、生きるための自然の作法を見つけ出すことが今求められているのではないだろうか。=毎週日曜日に掲載
小父さん的には「変なガイジン」というとNHKの人気バラエティ番組『夢であいましょう』のE・H・エリックさんなんだか、たぶん作・構成担当の永六輔さんあたりが作った言葉ではないかな?どうも山極寿一さんのの言う「変なガイジン」は別な人なのかな?
ところで「母性の強さとあっさりとした子離れする」ゴリラには現代のお母さんは大いに学ぶべきところだと思うね。どうも乳離れ出来ない子供と、子離れできない親たちをたくさん見てきた気がする。
「私たちは昔から人間だったわけではなく、つい最近まで多くの生物に囲まれて生きてきた。」この言葉に小父さんは重さを感じるね。科学や文明を手にした人間はきっと奢っているんだろう。う~ん、人によってこの受けとめ方はいろいろだと思うが小父さん自身一度反省してみる価値がありそうだ。
田舎では、めったに外国人と出会うことなどなかった時代
には「ガイジン」=変な人だったように思います。
しかし、日本人も結構変だということに皆が気づき始め
他という理由もあるのではないでしょうか。
↓これ面白いですよ!
http://matome.naver.jp/odai/2134726058395967001
ゴリラの中で暮らした山極教授のお話は、深い意味を持っていると思います。
人類学、霊長類学者である教授の著書にも面白そうなものが沢山あるみたいです。
ゴリラやチンパンジーから学ばねばならないこともたくさんありそうですね。
私の町でも外国人と言ったら、キリスト教の布教をする
人かアジア人労働者くらいですが、どちらもほとんど
見かけませんね。
ここは相当田舎です(笑)
そうか!、今は小中学校の英語の教師なんかに時々
欧米人がいるのかな?
でも出会いませんね。
いやはや「ここがヘンだよ日本人」は山のようにありますね。
日頃なんとなくやっている習慣が不思議思われるこ
喜ばれことが羅列してあります。
私は「50メートルぐらいごとに、どこにでも自動販売機があること」が面白く、外国人には理解できないと思います。
私だって不思議ですもん!
山極教授のお話も興味深いです。
前に女性学者ダイアン・フォッシーさんの記事にも出会いましたが、
http://blog.goo.ne.jp/goo221947/e/395cfc1de08674a5f6a2c06d1847ff8c
日本にもゴリラのオーソリティーがおられたとは!
日本はあらゆる学問が進んでいますね。
アジア各国も外国人でしょうが、髪の色や目鼻立ち、体格などが顕著に違う欧米人に対する感覚とは異なります。
郷に入れば郷に従えではないですが、外国へ訪れたときはその国の文化を尊重し、その国ではそれなりに振る舞うべきでしょうが、文化レベルの低い国々はどうも違うようです。
日本人も外国へ行けば外国人ですから、日本人として恥ずかしくない行動をしてほしいと、改めて感じました。
ガイジンさんと言えば、パッと思い浮かぶのが
中国人さん?
とにかく、すごく目につきます^^A
なにしろ、団体さん御一行ですからね。笑
私も、海外へは何度か行ったことがありますが
やはり異国ということで、ちょっと緊張しますが
その国々の文化や歴史に触れることって
貴重な経験ですし、大切なことですよね。
難しいことは、よくわからないのですが^^A
でも、その時に絶対感じるのは『英語』を学んでば良かったな~ってf^^
やはり、コミュニケーションは必要ですものね!
はっはっは
明石に住んでじっとしていると欧米人に会うことがまれですが、
私はまともに英語を聞いたり話したりは無理ですが、
会話したくなりますね(笑)
20歳を過ぎた頃、福岡で宣教師二人に出会って
「日本語を話せますか」とボールを投げたら私の後輩
が驚いていたことを思い出します(笑)
アジアの外国人に出会うとどうしてか、上から目線を
してしまいますね。
それと行きかう彼らと会話したいという気持ちも起こらないようです。
>その国ではそれなりに振る舞うべきでしょうが、文化レベルの低い国々はどうも違うようです。
この傾向は中国系の旅行者に強く感じますね。
兄貴の話ではシンガポールで要らなくなった洗濯機を
中国系の人がアパートの窓から放り出すようなところに出会ったそうです。
シンガポールが法律がとても厳しく、独裁政治を断行するのもそんなことも関係しているとか。
日本人の外国での振る舞いはどうなんでしょうね?
昔はお金持っているユダヤ人が世界各地に散らばっていたように聞いていましたが
今、世界のどこにでも出没する日本人が昔の金持ちの
ユダヤ人みたいに見られてはいないのかな?と勝手に想像しています(笑)
>ガイジンさんと言えば、パッと思い浮かぶのが中国人さん?
大阪は中国からの旅行者が多いでしょうね。
そうだ!、姫路城、明石海峡大橋、京都駅に出向くと中国人旅行者とたくさん会います。
>なにしろ、団体さん御一行ですからね。笑
そう言えば、テレビの報道番組で神戸に着いた中国人旅行客がぞろぞろと、大丸神戸店に入って行って
何も買わずに通り抜け、近くの安価な商店街に行ってどんどん土産を購入しているのがありました。
ユーモラスでしたね。
あっけにとられた大丸の店員さんのコメントもあったような・・・(笑)。
>その国々の文化や歴史に触れることって貴重な経験ですし、大切なことですよね
すばらしいですね。
思い出しました、知人の奥さんは中近東に旅行して、現地人に間違えられるそうです(笑)。
>でも、その時に絶対感じるのは『英語』を学んでば良かったな~ってf^^
どうも、英語はほとんどの国での媒体になっているようですね。
でも最近は、案内文字の中国語プレートも世界中にあるようですね。
恐るべし、中国語!
“中国人の惑星”になんてならなければいいですが!(笑)
その国々での作法って色々あり、理解するのも大変ですね。
(日本人の作法を逸脱するガイジンたちの行動を通して、私たちは外から自分たちの文化をながめ、その欠点に気がつくようになった)
そうですよね、何かを通してみてわかることだし、
必要な物をぬかさず、目的からそれずに
文化を大切にしていきたいものですね。
私は難しいことは分かりませんが、
どんなことでも学ぶことの大切さを改めて感じました。
>その国々での作法って色々あり、理解するのも大変ですね。
「所変われば品変わる」で価値観が180度変わることもありますよね!
>日本人の作法を逸脱するガイジンたちの行動を通して、私たちは外から自分たちの文化をながめ、その欠点に気がつくようになった
ふと、幕末の文久2年(1862年)の騎馬のイギリス人が薩摩藩士に殺傷されて薩英戦争までが勃発したことまで思い出してしまいました(笑)
>必要な物をぬかさず、目的からそれずに文化を大切にしていきたいものですね。
いやー、この文化の混在する、価値観もむちゃくちゃな
世の中の50年後や100年後の日本はいったい
どうなっているんでしょうかね?
茶化してすみません、年とってくると、ついつい若い
世代の考え方なんかをついつい心配してしまいます。
もうとっくに、彼らの時代になっているんでしょうが・・・。
>どんなことでも学ぶことの大切さを改めて感じました。
いや、せめて自分だけでも学ぶことを忘れない爺でいたいものです(笑)。
私の住んでいる市は、以外にも外国人の方が多く住んでいらっしゃいます。
というのも、大学院大学があり、そこにアジア各国から留学生が来ているからなんです。
その方たちに日本語を教えているということもあって、色々な国の文化を知る機会が多いです。
え~?と思うようなことでも、他の国ではそれが当たり前ということも多々あるし、またその逆もありです。
なので、どんなことでもそれがその国の文化なのだと受け入れる心が必要と感じますね。
山極教授のゴリラのようにして接していったという話も興味深いです。
「愛情は深く、でも子離れはあっさり」
これは今の母親は見習うべきだと思います。
結婚させてもなお、子離れが出来てない親、多いですよね。
子どものほうも、いつまでも親を頼りすぎかと・・・・
いかに私の町が単一民族、昔、神戸・大阪へのベッドタウン
今、年寄りの町かが分かります(笑)
国道沿いのコカコーラに富士通もどんどん縮小してきましたし、
JRの線路を越えた海側の神戸製鋼所はマンション群と
イオンに変ってしまったし・・・。
そういえば一番活気を呈しているマンション・イオン街
ですら外国人は見かけませんね。
あらあら大学院大学で教鞭を執っておられるとは!
アジア各国からの留学生ですか、
そう言えば3年くら前に大学のキャンパスを歩いていたら
留学生専用の寄宿舎?か何かが構内にありました。
やはり日本熱は高いんですね。
>どんなことでもそれがその国の文化なのだと受け入れる心が必要と感じますね。
なるほど。
イスラム圏の人の文化は大きく違うでしょうね。
この山極教授のゴリラの研究は面白いです。
いったい、誰がゴリラを凶暴性のある暴れん坊に仕立てたんでしょうかね?
優しい、ゴリラは極めて迷惑していますね(笑)
いや、彼らに人間界のことを学ぼうとは思いませんでした。