団塊の世代の私は、幼い頃、近所にもたくさん同い年がいた。
南どなりは「Y君」、背が低く、目がくりくりっとして、左ききで運動神経が発達していた。北どなりは「K君」、一番頭が良かったかな、ちいさい時は家にとじこもりがちだったような気がする。北の2軒どなりは「H君」、その昔、家に牛やニワトリも飼っていて、柿はよく取らせてもらって食べた。
あと南に50mくらい行った処に「H.A君」が居た。彼のおじさんが、八百屋を営んでいて、小学校の給食に毎朝納品していたので、何回かそのオート三輪の荷台に乗せてもらって登校したことがある。そして、皆おばあさんが家に居たのが不思議な共通点だ。
それに、向かい側に、時期がづれて、テレビの月光仮面を見せてくれた「H君」も居たし、弟がいて、家の中でよく暴れているのが聞こえ、実にうらやましく感じた「S君」も住んでいた。
今思い出したが、H君ちの畑の、南どなりは、バイオリンを弾く「Y子ちゃん」が居て、H君ちの北東50mに、関西なまりの「T君」も居たなあ。
よく遊び、よくけんかもしていたが、彼らが皆、順番に還暦を迎えるわけだ。
「向う三軒両隣」に同じ学年の子がいたことになりますね。それが団塊と呼ばれる所以かな?
あの路地はどうなってるんでしょうね?
あの路地が今思うに、ユートピアだったんだな。今は、マンションが2棟ほど建って面影がなくなったな。
すぐ近くに、地下鉄の駅が出来ていて、1年くらい前、その駅で降りて、地上に出たら、自分がどこに立っているか解らず、しばらく東に行こうか、西に行こうかと考え込んでしまった。ようやく自分のすぐ後ろに昔からあった寿司屋の看板を見つけて、自分の位置が確認できたくらい、「猿の惑星のラストシーン」か「浦島太郎」みたいに思えた。