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寂聴残された日々45 まだ生きている

2019年03月16日 12時01分58秒 | 慈しみと悲しみと

              福島県 願成寺 勢至菩薩坐像 

朝日新聞毎月第2木曜文化・文芸欄掲載の瀬戸内寂聴さんのエッセイ「寂聴 残された日々45 まだ生きている・残り命役に立っているなら」をもう一度読む。

あと2ケ月で97歳になるという寂聴さん曰く、

図々しい私は、まだ、だらだらと生き続けて役にも立たなくなった自分の命を持て余しているような気もする。生きるということは、その存在が誰かの役に立っていることではなかろうか。夫婦の、恋人の、家族の、よりどころになっているという自覚がある時、人は自分の命の重さをひしひし実感することができる。(中略)51歳で出家してからも45年にもなっている。仏に守られていると、ひしひしと感じることが多い。 

寂聴さんだから書いてある言葉一つ一つに重みがある。凡人の私が共感するのは、「その存在が誰かの役に立っていること」の部分。私が健康で生き続けるということが、妻や息子たち家族のよりどころになっているということ。その自覚だけでも自分の命の重さを実感する。

また、「仏に守られている」という部分は、紛れもなく真実であり、家族のみんながおかげさまで無事に生きていられる証である。

 



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