愛知県吉良町 金蓮寺 観音菩薩立像
煩悩の原語はインドのサンスクリット語でクレーシャといい、悩ますもの、汚すものという意味であるとのこと。
煩悩は百八あると言われており、インドの仏典にはいくつかの煩悩の数を寄せ集めて、百八の煩悩を説いたものもあるが定説はないようだ。
昔、日本の修行僧で面白いことを言った人がいたそうである。煩悩が百八あることは間違いないが、お釈迦さまが説いた四苦八苦を四九八九と読み替えて、(4×9)+(8×9)=108という計算式を説明した。ウソのような話みたいだが、誠に面白くわかりやすい。
煩悩は智慧と対比してよく使われる言葉である。智慧は灯で表され、煩悩は闇で表されるという。仏像は煩悩を打ち払って智慧に満ちているので、光に包まれているお姿をしている。
煩悩だらけの私たち人間は、執着心に縛られて欲を捨てられずこの世で喘いでいる。しかし、少しばかりの欲得はあった方が生き甲斐があっていいのかもしれない。
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