朝日記210913 随想数学芸者のこと と今日の絵
絵は 大山 六題です。お楽しみください。
(NPO法人人間活性化研究科会[HEARTの草稿2021秋季号投稿予定草稿です)
徒然こと 随想・数学芸者のこと
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―随想―
数学芸者のこと
会員 荒井 康全
東京オリンピックが終わり、日本の経済大国への本格的な興隆期にさしかかる時代背景や、私が化学会社に職をえて、そして家庭をもって間もなく、まだ留学の制度も整っていないころに会社が派遣してくれ、乳飲み子であった娘をつれて家族三人で過ごした米国ウイスコンシン大学での留学生生活など、ひと飛びに思いがはせる。一ドル360円の時代。会社に留学制度ができる前でもあったので、ひと月300ドル内の生活費で、知人から生活保護制度適用水準といわれ、人一倍の貧乏、夏休みもなくいつも大学の中に。それが目にとまるところとなり、すぐに日本人会の会長へ、ベトナム戦争への厭戦空気がようやく出始め、若者の間で反体制的風俗のヒッピーが全盛で、それにならい、こちらも長髪でGパンのとっくり。その大学院の一学生が突如200名をこえる日本人会の会長となる。英語で The President of Japan Association、Madison、Wisconsin。
さあ、どうするか? 当時、御多分にもれず、この日本人会も貧乏で財政危機に瀕しており、会の活動資金獲得に焦点を。そして、大学での日本映画上映シリーズを企画。決定は単純で第1回は黒沢 明-三船敏郎「七人の侍」の映画を上映、アメリカのひとたちはいい作品はなんどでもみる。若い学生会員が必死で券をうり、6百人の大講義室が満員となり、前日、フィルムが他所の空港にとどまったりして、それがようやく解決して、これでよしとおもったら、当日定刻がちかづいても映写技師が会場に現れず、さあて、ともかくその合間をなんとか埋めねばならず。会長、場をもたせてくれと。内ポケットに用意した原稿とは別のはなしを、やむなく両腕をひらき、この事態を率直に披露すると、なんと会場がどっと沸く。そうだ、オネストがいいのだ。こういうときのかの国のひとたちの温かさに、いまでもジーンと感ずるものが残る。話しは日本の中世、戦国期の背景など一生懸命の解説。そしてその話のおわりのころには、道に迷った学生アルバイトの映写技師も到着。理由は、標識がわかりづらいとの弁明。たしか昼夜公演で、結果は大成功。何よりも戦後のちぢこまっている我々が、やればできるとすこし自信をとりもどす。
ところで、日本人会の会長として、中国やインドや、さまざまの国の団体の催しに招待をうけ、お祝いの挨拶に行く。会場に着いてみると、先方から遠慮がちに、会長はいつお見え?すかさず、私が会長と、にこっと手をさしのべ握手を交わす。あとで知るのだが他の国では、こういう会の会長は大体ノーベル賞級の大物のクラスが選ばれるらしい。片やこちらは大学院の一学生・・・そしてふと気づき、もしかしたら、いま日本は、もっとも健全にしてよい勢いを迎えていると直観。これでよい。そのときに場に居合わせ、背景の肩書きなどでなく、ともかくできるものが、ためらわずに当番でやればよい、それをみんなが応援すればよいという思い。おもうに、戦後の二十年を経たころの「平和日本国の興隆期」
でもある。
研究留学としてテーマは当然持っていくのだが、ここで頭を切り替えて学生として登録。猛烈なコースワークで、一週間を三日くらいの高密度ですごし、最後のコースで、仕上げに化学工学上級応用数学をねらう。マージナウ・マーフィーの「科学者のための数学」やヒルデブランドの「高等応用数学」がテキストであり、「移動現象論」で世界的に著名な物理化学者バイロン・バート教授のコース。
反応や熱流など化学現象を数学モデル式に誘導して解析解を求める問題で延々一晩かかるような宿題が。
宿題の終わりまでの途中に、いくつかの山を越えなければならない巧妙な問題構成で、ドイツからきたクラスメートであるRichard Weil君、フランスのエコールポリテクニークからきたPaul Auclair君などと競って、夜中にどの辺の山を越えたか互いに電話でポイントを確かめあい、そしてようやく明け方に宿題のゴールに達す。また、定期試験は24時間試験というのがあり、どこにいてもいい、なにをみてもいい、ともかくその時間以内に答案を提出しろと。きちんと勉強していれば あとは体力で勝負できるところが、この国らしい特徴をそなえている。
アメリカの大学での受講ノートは、カーボン紙を差し入れてコピーをつくり会社におくり、ノートを売るのかと同級のアメリカ人の学生が感心。いずれにしてもこれらのノートは日本に帰ってから仕事でおおいに役にたち、当時としては日本ではめずらしい数学で製品開発や製造品質を支援する研究所を作り、たとえば化学反応器やアルミ精錬炉などのなかでおきている物理化学現象を数学によるモデルで表現してこれをコンピュータ・シミュレーションにする。おおげさになるが、これによって、開発から製造、そして製品品質や省エネルギーなどの広範な問題解決に直接に貢献。ここの部員たちは「数学芸者」といわれたこともあって、技術的な困難に直面している現場に駆けつけて支援活動するところからそう呼ばれる。
また、英国リーズ大学からの博士課程をおえた新卒、アメリカ・ピッツバーグからモデル計算の技術者などが同僚として加わり大いに活躍。こういう系統の技術は 通産プロジェクト「材料設計プラットフォーム」(土井正男プロジェクトOCTA)という形で我が国の材料設計システムとして花開くことになり、日本におけるこの一連のうごきが、いまはスーパーコンピュータの時代となって、天気予報や、製薬・材料の開発の大型、加速化などの形で、一般のわれわれの前にさりげなく登場。広い意味でのこういうソフトウエアの技術と、インフラが将来のこの国の繁栄に対して、常時決定的な分水嶺をもつことになるであろう。「聞いても、わからないからよいのだ、だからやろう」と励ましてくれた仲間の「侍」も。我が国は、それぞれの科学技術の重要なところにおいて、世界で一番でなければいきのこれぬ。
1960年代は、日本全体が製造技術の革新の時代の最中で、私は、化学工業開発へのコンピュータ応用技術の研究の中心にいる。一方、そのなかでも、日本の製造業は、平凡ではあるが、デミング博士の指導による統計的品質管理を吸収。さらに現場にはたらく従業員も自分の職場の仕事の仕方を品質としてとらえ、問題解決のQCサークル活動などが展開される。日本独特の全社的自主管理が展開し、これは、ものづくりに徹底的に愛情をそそぐという文化へまで成熟。そういう意味では、この時代は日本のもつ潜在的な力に注目され、世界がそれを学ぼうとした時代にさしかかる。
音楽や文芸の例でも、ながらく、西洋の猿真似とか、技巧はすごいが、味がないと密かに揶揄される時代もあり、なれどいつしか熟成をむかえる。 二年ごとにあるイギリス日本年やフランス日本年、イタリア等々 文化の面でも日本の存在がおおきくなっていくのをたのもしくおもう。特に十九世紀の中葉パリ万国博覧会を契機として、フランスからのジャポニズムは西側世界に日本の深い精神文化の影響をあたえ続ける。フランス料理の芸術的料理(アート・クイジンヌ)などもまさにその派生であろうとおもうが、「浦霞禅」に至ってフランスのワイン文化にもあらたなジャポニズムを生んだのであろう。吟醸という高級米ワインなのだろうか。
ところで、私の末弟である荒井住夫は大和絵の絵師で前田青邨画伯のながれの守屋多々志画伯の弟子。これが箱根にアトリエがあり、ときどき大観山での富嶽のスケッチを。そしてバスで、椿ライン経由で、湯河原スケッチを何度かしたことがあり、昭和のなごりがある街の風情がとても好き。
漱石の「吾輩は猫である」を今読んでいる。このなかで猫の主人は 中学校の生徒が主人の家の庭先に野球のボールをひろいにくるのに業を煮やし、逆上したあげく、ついに神経にさわり体調をこわしてしまった。主人と旧友で、吾輩が「哲学者」と呼んでいる山羊のような髭を生やした人が主人を諭している場面がある。自分の思いを立てるために、積極的にうごき、障害をとりのぞいていく、手前の樹木がめざわりなら切るようにすると、こんどは下宿屋が見えてわずらわしい、これも退去させる、そうするとつぎの家がめざわりになっていつまでたっても不満が募る。そういう西洋流の積極主義は窮屈であり、いつまでたっても不満足は解決しない。場合によっては死ぬまで、こころが自由になれない。 ここは 古来日本文明のもつ消極主義がいいと主張する。根本的に周囲の境遇、つまり環境は動かすべからざるものであると一大仮説をとる、それに対して、最適なる適合に工夫する、つまりときには消極主義の極みのなかにあることがものごとの行き詰まりを解決するという、そういう大切さを説いている。そういえば「草枕」の冒頭のあの命題とつながるようだ。
さて、筆者はなぜこんなことを書いているのかと振り返る。さて、団塊、エイジフリーと活きのいい「積極主義」がもてはやされ、わたくしも踊らされてしまっているが、ふと胸のなかを覗くと、べつな思い「消極主義」が交錯してくるようにおもえる。生き甲斐についてあらためて考えさせらたことになるのかもしれない。ご参考に「猫」のその部分をしばし およみあれ。
「僕はそう云う点になると西洋人より昔の日本人の方が余程えらいと思う。西洋人のやり方は積極的、積極的と云っている近頃大分流行るが、あれは大なる欠点をもっているよ。第一積極的といったって際限がない話だ。いつまで積極的にやり通したって、満足という域とか完全という境にはいけるものじゃない。向に檜があるだろう。あれがめざわりになるからとりはらう。とその向うの下宿屋がまた邪魔になる。下宿屋を退去させると、その次の家がしゃくに触る。どこまで行っても際限のない話さ。西洋人の遣り口はみんなこれだよ。」
「川が生意気だって橋をかける。山が気に喰わんと云って隋道を掘る。交通が面倒だといって鉄道をしく。それで永久満足ができるものか」
「西洋の文明は積極的、積極的かもしれないがつまり不満足で一生をくらす人の作った文明さ。 日本の文明は自分以外の状態を変化させて満足を求めるのじゃない。西洋人と大に違うとこころは、根本的に周囲の境遇は動かすべからざるものと云う一大仮定の下に発達しているのだ。」
「自然その物をみるのもそのとおり。 -山があってと隣国へいかれなければ、山を崩すという考えを起す代わりに隣国へ行かんでも困らないという工夫をする。山越さなくても満足だと云う工夫をする。山を越さなくとも満足だという心持ちを養成するのだ。それだから君見給え。禅家でも儒家でもきっと根本的にこの問題をとらまえる。」
「いくら自分がえらくとも世の中は到底意の如くなるものではない、落日を回らすことも、鴨川を逆に流す事も出来ない。ただ出来るものは自分の心だけだからね。心さえ自由にする修業をしたら、落葉館の生徒がいくら騒いでも平気なものではないか、」
「なんでも昔の坊主は人にきりつけられた時電光影裏に春風を切るとか、何とかしゃれた事をいったという話だぜ。心の修行をつんで消極の極みに達するとこんな霊活名作用ができるのではないかしらん。」
「とにかく西洋人風の積極主義ばかりがいいと思うのは少々あやまっている様だ。」
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