つづりかた210913 橘樹住香 おさなき日のこと
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(2021 -9-29 再掲載しました)
―随想―
おさなき日のこと
会員 橘樹 住香
からまつの林をすぎて からまつをしみじみとみき からまつはさびしかりけり たびゆくはさびしかりけり からまつの林をいでて からまつの林にいりぬ からまつの林にいりて また細く道はつづけり からまつの林も奥も わがとほる道はありけり 霧雨にかかる道なり 山風のかよふ道なり からまつの林の道は われのみか ひともかよひぬ 細々とかよふ道なり さびさびといそぐ道なり からまつの林をすぎて ゆゑしらずあゆみひそめつ からまつはさびしかりけり からまつとささやきにけり からまつの林をいでて 浅間ねにけぶりたつみつ 浅間ねにけぶりたつみつ からまつのそのまたうへに からまつの林の雨は さびしけどいよよしづけし かんこ鳥鳴けるのみなる からまつに濡るるのみなる
よのなかよ あはれなりけり つねなけどうれしかりけり 山川にやまかはの音 からまつにからまつのかぜ
さきの大戰で本土空襲となり、大日本帝國海軍聯合艦隊潜水艦の主機モーター主任として父がひとりであたり、勤労の学徒が組み立てを、その中で三浦三崎右大將ゆかりの椿の御所 北原白秋ゆかりの大椿寺の嫡子が、父の側近となり力量を發揮、命を守らむがために三崎にいざなはる。白秋に氣にいられしこの寺の娘は桃の御所の見桃寺に嫁ぐ。見桃寺は白秋の身内が頼りし寺。白秋の「見桃寺抄」そして「雨はふるふる城ヶ嶋の磯に」 「さみしさに秋成がふみよみさして庭にいでたり白菊の花」寺の庭の歌碑は唯一白秋の生前のもの。鎌倉殿の祈りに快慶が造りしといまも傳ふるゆかりの寺。
川崎の空襲がはげしくなり、ひとり殘りし父は火をふく我が家よりも、會社に馳せ参じ守ろうとする心意気に吾妻をのこを見たり。空襲のさ中、たいへんな父をひとり放つておけぬと、母は子らとともに歸ろうとすれど、すでに燒かれて家はなし。井戸に沈めし鎌倉の阿弥陀如來だけが殘る。空襲の後は阿鼻叫喚となり馬も横たふるありさま。我が家は京町にあり、手前の三の辻のあたりに爆弾が落ち、吹つ飛んだ家の燒け焦げた柱を井戸のあたりに運び、また、背負ひて戻ればもう何もなし。みなが右往左往。からうじて寝起きできるまでに。戰ののち大工の手がはいりしやも。その焦げし大黒柱の家でわれは生まれ育つ。なぜかその家を皆が気に入り、入れかはり立ちかはり人がつどふ。しかし大人になり家をととのふと、ぱたっと前のようにはと母。貧しさに人が心をよするあたたかきあはれさなのか。
父が市議会の交通委員長として、大戰後はじめてトロリーバスを創設、われも式典に、のちにトロリーバスは日本から姿を消し、市営バス創設へ、そして今が。横須賀線を川崎驛にとめ、役をひくと通過。その後父は横須賀線湘南電車を川崎驛にとめ、京濱工業地帯のまなかとす。社会党片山内閣の初代労働政務次官土井直作、内閣官房次官曾禰益が燒け焦げし柱を背に集ふこともありしときく。夜になると愛犬のピスを伴ひ、糊を溶いたバケツを持って電信柱に演説會の案内を貼りし日の寒さよ、貧しき日本の姿がそこにあり。
母は父の議員になるお願いに、われはひとりの留守を。姉が横浜市大の人文地理を卒業、そして日大の大學院に合格、しかし父が幼稚園を創設し任せらるることに。學者の道をあきらめ横浜市大の心理学科に入りなおす。學校から歸りくるとアンデルセンからはじまり、家なき子、レ・ミゼラブルなど世界文學全集の名作を夜ごと読みきかせしてもらい、朗読のうまさから物語の奥ゆきをしる。
住
近所に大津さんという方がゐて、姉が大學受驗の世話を。数學を威勢よく解きあかしてゐたる横浜市大で才媛と騒がれし姉が、えーと、通りがけの父がどうしたんだ、かしてごらんとさつと解いて行つてしまふ。驚いたのは大津さん、いちばん頭がいいのはお父さんかもと。
姉の人文地理の卒業論文のテーマは、信濃國千曲川源流川上村の日本一の落葉松の苗木の生産について、今はレタス、そのまま落葉松を続けていればスギ花粉の悩みもなきものを。その緣で川上村の村長由井武、宗助家に泊めていただくこととなる。
蒸氣機関車で上野をたつと町の屋なみから青田へとつづく稲穂の里に、信越線の難所の碓氷峠を越え小諸に着く。小海線に乗りかへ、前と後ろに二台の蒸氣機関車をつらね、もくもくと黑き煙をはきながら難所の山道をぐんぐんと越えゆく。夏の暑さに窓を開けはなち、トンネルに入ると客室に黑き煙がながれ、咳き込み、とつさに窓にはしる。小諸から行けどもいけども森が続き、突然ぱあつと明るき渓谷を過ぎ、またどつと暗き森へ、トランプをしながら車窓から走りゆく森をながむる樂しさよ。とほりすぎゆく村々に馬と牛と山羊が、初めての日の本の景色を目のあたりにす。津々浦々に藤原鎌倉のうぶな荘園の氣配をとどめ、まさしく國破れて山河あり。昭和三十年前後を境に、いにしへの日の本らしさをなくしてゆき、いまは跡形もなく最後に見しすがたか。明治に汽車がはしりし日の頃と、かはらぬ木の驛舎のつらなる恋しき小海線は。
汽車に乗り遅れると東京に歸れぬ、あわてて馬に女子大生の姉を乗せ、由井さんはぱつかぱつかと驛まで馬をはしらす。まだ伊藤佐千夫『野菊の墓』のごときあはれのただよふ日の本が。
卒論の名論文はのちのちまでお手本として学生たちの力となり傳說とならむか。
月日はめぐり、たけき年ごろのわれが新芽のもえいづる頃めぐりあひし益荒男をり。お國はときくと、信濃、ならば川上村は、おお、まさしく川上村。ならば由井宗助は、おれの村の村長。村では役者のおれのこと新海丈夫を知るが、由井宗助の名に驚く。幼き日の心に残りし面ゆゑおもわず。ともに温泉巡りから深き緣が。
住
由井さんの話に戻るが、その緣で姉がわれらをつれだち毎年夏休みに由井家に。一階が厩で二階の床の間の鹿の角から村長らしさを感ず。千曲川源流の渓谷の美しき隣の広瀬村に由井さんの緣で菊池さんの家にも泊めていただき、その後、菊池さんの息子さんがうちを頼りに下宿し川崎市役所へ、父が亡くなり兄康全がめをとで仲人を、その後川崎市の水道局長へ。兄康全が菊池さんのひつぎを。
田舎をしらぬさみしさゆゑ二つの村をふるさとに、幼き日の夏は千曲川源流へ。
天然記念物 信濃のこうさかりんごは
葉月に実をつけ千年前にはすでにあり
ママのお顔の頬のいろ
さくらの花のお絵かきの
遠くに見える汽車ポッポ
みんな仲良く乗っている
お日さままぶしい金の色
ゆりかごゆりかご幼稚園
リスのお目目はまんまるい
澄んだお空の青くるみ
おつむにそよそよ風受けて
ブランコ揺れて雲が飛ぶ
パパと見上げた海の雲
ゆりかごゆりかご幼稚園
青いマントの王子さま
赤いドレスの王女さま
窓にはりつく粉雪に
おとぎばなしとおねむりの
ママも聞きましょ子守唄
ゆりかごゆりかご幼稚園 父
いつも昼間は母がおらずつねにひとりで留守番を、部屋の炬燵にマッチが。疊いち面にマッチをつなぐと大きなゑとなる。母が歸るころにはもとに戻す。月日はながれ新聞廣告の白き裏側に目をつけ、日本の聯合艦隊の繪を一艘ずつ描き紙を裏打ち、切り取りて疊に戰艦を立ち浮かばせ、くりひろげたる聯合艦隊を輪ゴムで打ちあひ、弟兄でいくさとなる。そのなかで戰艦陸奥長門の美しき姿よ。なれど、戰艦武蔵大和は最後まで描かず。いま思ふに尺で生み出されし陸奥長門は東大総長平賀譲の大正期のりりしき若さにあふれ、平賀の夢にほれしか。武蔵大和は平賀の手からはなれ多くの方の手が加はりメートルで造られしすがたを幼心にはじきしやも。
NHKの影傳のちに小谷傳アナウンサーは兄康全の商船學校の同期で、寄宿舎生活の夏休みにいつも我が家に泊まり、戰艦の旧い寫眞を影さんにお借りしてよみがへらすも、あまりにも熱心な艦隊の再現に責任を感じ、そういうものを描くのはやめてはと戰艦の打ち止めに。
はたと思ふことあり、さらなる世界をきりひらかむと、小學校の圖書館で日本の歴史をむさぼり読む。平安鎌倉南北朝、花鳥の据金物の鎧の鎌倉滅亡から建武の中興へ、鎌倉の北條氏、新田義貞、足利尊氏、楠木正成に心惹かれ、楠木勢のひとりづつの騎馬武者をゑにし、新田の軍勢も造りて切り取り、疊に並べくりひろぐ。そして旗を靡かせ盾を作り陣を組立て、鶴翼の陣など陣形のおもしろさを知り、また弟兄で戰をするのだが、そのうちに治承から寿永の鎧を描くやうになり、子供ながらに藤原から鎌倉の鎧の美しさに目覚め、南北朝になるとなにゆゑ鎧が崩るるのかと、とくに南蛮貿易以降のものはまるでダメという我が見識がいまも。
貯めたるお年玉を手に姉に伴はれ有隣堂にて東大教授の中村孝也博士の新日本歴史文庫『鎌倉幕府』の本を手にいれ、それを頼りにむさぼるやうに繪を描く。向學心に燃え全巻欲しくもかなはず、母は大人になりて自分の買ひたいだけ買ひなさい、今はわれの時代と、あでやかな る一日晴れの着物をきそひ、そして本をしとねの今がある
影さんはNHK松江放送から大阪、そして鹿児島へ、高校の修学旅行で鹿児島に行き担任の許可を得て小谷さんの家へ、なんと、はいはいしてゐるおみなごが。幾年月をへ、京都の暑き朝のNHKニュースに小谷真生子アナウンサーが、そののち民報の名キャスターとして名を馳す。いまは大江麻理子。小谷傳のNHK時代の子分にあの東工大の池上彰が。
時の担任は府立一中一高東大出の秀才、見事な日本の古典および漢文の授業はいまの我を育てしか。あの風貌は東京帝國大學で主席を誇り、マルクスに心惹かれ、官僚になれず秋田の山の村の分校の教師になりしとは。後年、花の都に戻りて女學校の教師となり、大戰後、女學校は共學へ。われのころはその過渡期にあり女子生徒が圧倒的ななか、わずかにをのこが、まるで技藝髙等女學校のまま。入學当初國語の先生は着物姿の女教師、お茶の水女子師範學校の才媛、倭が國最古の女學校の教鞭をとりし学び舎の日よ、この日々が最後の授業となりし。授業の最初にわたしではなくわたくしと。わたしからはじまる言の葉は崩れてゆく、なれどわたくしからはじめれば崩れぬと。
男子生徒を落第させ、クラスの仲良き友も落第、學年が上にゆくと、小學校の同級生の兄が同じクラスに、われはサックスを、その隊長も同じ學年となり、あくまでも女學校を守ろうとしし鼻息が。
女子クラスがいくえにもつらなる廊下を歩く時は、女學校にこっそり忍び込みたるよやうなこはさとせつなさとあこがれと色気に胸が高鳴り、音樂室から流れいづる女子學生のかぐわしき歌聲、窓の外に三つ葉四つ葉を摘み花冠を作るおみなごたちが集ひ、大戰前の桃の花園のような技藝女學校が。下駄箱に、知りたい話したい見ていたいと想うのはいけないことなのでしょうか、と女學生からの恋文が、青柿の切なさを。時の我は京都大學の零式戦闘機特別攻撃隊のごときりりさにあふる。髙校入學試驗の日、兄の小學校の恩師加勢先生は時の県立多摩髙の教師、試驗を終へて家に歸ると入試問題をすべてもう一度させられその場で採點、うちの髙校なら合格と。クラスのをのこはお父さんが偉いから入れしかとの噂も耳に。後年クラス會があり。そのころは言葉を交はすこともなかりしかつての女學生が、確かお兄さんは東大ではと、そんな噂も流れてゐしかと。今回のおもしろき自慢話はここまで、こうご期待。
住
いまは山中いまは浜
いまは鉄橋渡るぞと
思う間もなくトンネルの
闇を通って広野原
遠くにみえる村の屋根
近くに見える町の軒
森や林や田や畠
あとへあとへと飛んでいく
まわり燈篭の絵のように
変わる景色のおもしろさ
見とれてそれと知らぬ間に
早くもすぎる幾十里
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