Yassie Araiのメッセージ

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朝日記170805 原子力委員会案へのパブリックコメントときょうの絵

2017-08-05 16:32:28 | 社会システム科学

朝日記170805  原子力委員会案へのパブリックコメントときょうの絵

こんにちは。 立派な暑い夏の日です。 家内の買い物の手助けで帰ったところです。

今日の絵はCasa blankaです。

わたくしが所属している学会は昨年、原子力発電にたいする基本的な考え方を討論をして提案10項目をまとめました。 学会が統一的な見解を出すことについては、異論も当然あり、結局 学会の中での個人の集合体ということのリリースになるとおもいます。わたくしも、末席に加わりましたが、私は、基本的には原発推進派ですので、大勢の廃止派のひととの距離があります。その意味では、原発の将来を考えるためには、基本的ににをなにを考えるべきか、なにに取り組むべきかという政策プロセス案といったものになりました。 これは、学会が、制度論として、ものごとの対象の本質を考えるという性質上 当然のことであるとみています。

5月にとき折しも 総理府原子力委員会から今後の原子力委員会のあり方に関する案が公開され、これに対する一般からのコメントが公募(パブリックコメント)されました。 これについては、もしあれば、コメントは個人として行うことにしました。 

以下は、私が提出したコメントについての報告でを上の学会誌に投稿する原稿です。

 なお、関連資料として 以下

朝日記170530 原子力委員会案へのコメントのことと今日の絵

http://blog.goo.ne.jp/gooararai/e/ea0f4e8d497e7d298ddc02f7eba08a36

 

 

 総合知学会誌 Vol.2016/1

Shorter Communication

 

 

 

 

「原子力利用に関する基本的な考え方」策定の向けたご意見の募集について

“About recruiting opinons for the formulation of “basic way of thinking about nuclear energy use”

荒井 康全

☏ 080-8834-8411

ARAI, Yasumasa

e-mail: araraiypol1a@nifty.com

 

 

 

 

 

Abstract:

 The Cabinet Office Nuclear Policy Department offered to call the public comment on the formulation  of “basic way of thinking about nuclear energy use.”   This author submitted his comment especially from the point of view to the new conceptual definition of to ‘risk’  and on  ISO31000 as risk management of ISO. 

Keywords: Cabinet Office Nuclear Policy Department,  basic way,  nuclear energy use, risk concept, ISO31000

要旨:

内閣府原子力員会は、平成29年4月29日付で「原子力利用に関する基本的な考え方」(案)へのパブリックコメントを募集した。当該委員会の任務がこれまでの計画型から政策方針型に代わったことによる彼らの新方針案の提示であり、募集はそれに対する意見を対象とした。 本報は、とくに、リスクに関する新理念とその道具についての提示案に関して 著者からコメントを提出したものである。

キーワード:原子力委員会、リスクの定義、ISO31000、パブリックコメント

目次

1.はじめに

2.パブリックコメント

3.パブリックコメントの意図

4.考察

5.おわりに

添付資料:(送付したFaxフォーマットでのコメント)「内閣府 原子力政策担当室 宛

「原子力利用に関する基本的考え方」策定に向けたご意見の募集について」

 

 

 

 

1.はじめに

内閣府原子力員会は、平成29年4月29日付で「原子力利用に関する基本的な考え方」(案)パブリックコメントを募集した。これは、平成24年に当該委員会の見直しのなかで、「長期計画のような網羅的な計画は策定しないこととされ、中立的・俯瞰的な立場を活かし、府省庁を超えた原子力政策の方針を示唆する」役割りの位置づけとなった。 これにより、長期的な方向性の示唆、および策定を担うことにもとづき、今回、その案を策定したものである。案の骨格はその理念と、道具をとりあげ、広くパブリックコメントを募集したものであり、著者は、これに応募したので報告する。

 

2.パブリックコメント

 添付したFAX(宛先 03-3581-9827)を示す。(巻末)

 

3.パブリックコメントの意図

原子力委員会の(案)の骨格は、日本の原子力を支えるものとして、理念と、その道具の二つを挙げた。すなわち以下である。

(1)理念として 「ゼロリスクはないという前提の安全」

(2)道具として リスクの思想的変革とシステム規格としてのISO13000/2009 の導入

上記理念は、広く国民的合意形成を必要とする国民道徳的な資質の変革を含むものであり、さらにこれが、国の文化と制度の在り方に関わるものと理解するものである。

したがって、 本コメントは、当該委員会が これについて、今後にこれまでの歴史的視点と反省、今後の世界的な展望ならびに施策の必然性の上に立つに至ったのかを問うものである。

また、道具立てについては、あたらしいリスク定義にもとづく標準規格ISO 31000の導入を提案している。 ちなみに、「リスクの定義」は以下である[1]

(1)目的(関数)に関する不確実性への効果。

(2)不確実性は、 負の帰着ともに正への帰着の二つのカバーを意味する。

(3)リスクに基づいて、個人、家庭、社会、政府、国際関係を考える基本的態度。

ここでのリスク概念は、安全社会の定義としても世界史的にも、大転換といえよう。 これについて我が国では官民とも、「リスク」を自律の理念と道具として価値共有を検討することを意味するものである。

たとえば、大理念として我が国で共有されている「ひとの命は、地球より重い」のもとで、おの保持、実現のためには、制約がともなうが、その判断基準を合理的な限界(おおくは数値)を設定する義務と責任が伴うことになろう。 これは、国民的合意のための公論を広機に興す次元の案件である。本バプリックコメントは、本原子力委員会案が、これらを如何に認識したうえでの案であるのかを、国民の前に透明感を以て問うべきであることを主張したものであった。

 

4.考察

筆者は、この原子力委員会案をみて個人的に興味をもったのは、二つであった。ひとつは「ゼロリスクはない」として考えることを明言する点にあった。 もうひとつは、このために、リスクに関する国際標準ISO31000/2009を前面に出してきたことであった。

一方、一国民として 一原子力委員会が、この段階で、これを案の形で、世に問うのは相当な勇気であり、賞賛するが、やや唐突観をもつことを禁じ得ないものがある。多分相当に違和感の反響があることを想像するに難くない。

我が国が、特に産業分野は、これまでにたとえば組織の品質保証であるISO9000シリーズにはじまる組織の品質保証、環境のそれ(14000)などに、果敢に挑戦し、その成果を世界から模範とされているにいたっている。 一方で、原子力に関わってきたひとたちは、その間に これらと相対して、いかなる姿勢にあったのか、いかなる状況にあったのか。これらを良心的にして、建設的なレビューの公開を問うものでもあった。

今回の31000は、制度institutionのルールとして位置づけられる。ここでの、リスクについての定義の革新、および制度institutionの質(危険、利得)へのシステム的な保証をルールつくりとなっている。そういう意味では、原子力はひとつの先陣のケーススタディとなろうが、それにしても、日本という国を制度(論)institutionとして見直すという大テーマとしての前提位置づけに気付くべきであると考えるものである。

 

5.おわりに

日本が、21世紀の世界が抱える問題を先取りし挑戦するという意味で、「問題解決型先進国家」という近未来概念があるが、その課題意識は正しいと考える。

そのための前提として それを支えるのが科学技術のさらなる挑戦があるという根底思想にブレがあってはならないと考える。あたらしいリスク定義からの技術へのチャレンジがそれを支える基盤となろう。

国の原子力施策も、その方向性の基盤として、「ゼロリスクはないという前提の安全」を前提に 国民主体としての建設的な辛苦を重ねることが予期せざるを得ないが、この国民的、国家的な長期施策の推進を容認するものである。

 

なお、筆者は、平成28年に、当総合知学会内の我が国の原子力発電のあり方についての検討研究チームに参加し、提言作業にも関与したが、本原子力委員会案についてのパブリックコメントは、筆者の個人視点から行ったものであることを付記したい。

以上

 

添付 FAX(宛先 03-3581-9827)                                (様式)

内閣府 原子力政策担当室 宛

「原子力利用に関する基本的考え方」策定に向けたご意見の募集について

 

 

1.お名前

(法人・団体等の場合は、法人・団体名、意見提出者のお名前をご記入ください)

荒井 康全

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2.ご意見及び理由

(ページ1 対象事項 1.) 原子力委員会の「在り方」が「計画策定」ではなく、「方向性を示唆」することに変わった。これを、「原案」にまとめていますが、貴委員会のこれまでの責務からの歴史的なレビューの姿勢に触れていません。これがないと、単なる参考資料からの知識の寄せ集めか、あるいは頭越しの押しつけという唐突感がのこります。

(ページ5 対象事項 3.) その唐突感は、ここに顕著になります。文章に主語がないのが気になります。「国民性は価値観や社会構図に組み込まれて」と書きますが、これまでの原子力行政で、 これを如何に取組み、困難性、矛盾性などへの歴史的な認識にふれていません。 これを加えるべきです。

その上で、現原子力委員会の位置と意思を表現しておくべきです。

(ページ8 対象事項 5.重点的取組とその方向性)

(ページ8 対象事項 5.1 共通的留意事項) ここも、「真摯に反省し」、「留意」する点をあげているが、当委員会としてがなぜ、「現場把握」および「国際的な知見や経験」の利用が、安全文化に至らなかったのかにふれて欲しい。その欠落の反省から、以下5.2が出てくると理解するが、これに触れておくべきです。

(ページ8 対象事項 5.2 重点的取組とその方向性)

(ページ8 対象事項 5.2.1 ゼロリスクはないとの前提での安全への取り組み)

(ページ9 対象事項 (4) ゼロリスクはないとの認識のもとでの安全性向上への不断の努力) ここが本案のコアになる提言であることに、読んでいて気づく。 原子力委員会の(案)の骨格はそれを支える理念と、道具として以下の二つであるとよみとりました。1)理念として 「ゼロリスクはないという前提の安全」 2)道具として リスクの思想的変革とシステム規格としてのISO13000/2009 の導入

1)理念として 「ゼロリスクはないという前提の安全」 要は、近代国家としての日本が、今後 「ゼロリスクはないという前提の安全」に対して主体的に受け入れることができるかが最大の案件です。 明治開国以来、西洋に追いつけの国民的な合意で来て、科学の進歩とそれからの社会還元において、国民はリスクの存在を認知し、先進文明からの恩恵として積極的に受容してきました。しかしながら、自らの科学技術への挑戦のなかであらわれるリスクについては、その危険性の部分に、この国の市民は、みずから合理的判断を忌避してきたことは否めません。 たとえば、「ひとの命は、地球より重い」は、不磨の理念でありますが、一方で、社会的および物理的な制約があり、この認識から判断基準を数量値化する努力を 理念への侵害としてみたまま、欠落となっています。 国民は、科学的な判断力および社会安全保障を許容する進取の精神の復活が求められます。 その根底は、これまでの先進社会インフラの基盤を支えてきた科学実証主義への理念を再確認するとともに、それらが社会への生活環境安全や経済市場活動への正負の効用・負担を客観俯瞰し統合社会制度次元でとらえることがどうしても避けて通れません。

つまり、積極的に科学技術と社会情報共有する「科学安全社会インフラ」を見据えた国民合意の必要性であります。

これを提案していると理解しましたが、原案では、社会や科学に対する我が国の歴史哲学的な認識レビュー記述が皆無であることが、国民全体が「ステークホールダー」となるべきことへの説得力を欠きます。

 

(ページ12 対象事項 5.2.3 国際潮流を踏まえた国内外での取り組み)

2道具として  リスクの思想的変革とシステム規格としてのISO13000/2009 (注1)の導入について「リスク」の定義が 大きく変革しています。要約すると 以下3つです:

1)目的(関数)に関する不確実性への効果。 2)不確実性は、 負の帰着ともに正への帰着の二つをカバーを意味する。 3)リスクに基づいて、個人、家庭、社会、政府、国際関係を考える基本的態度。

 

ここではアメリカで成功している例を示唆していますが、リスクのあたらしい国際的概念を強調すべきです。一原子力委員会が、安全リスクの国民的な意思改革の先兵になる覚悟があるのかの意思表明なり、戦略的なヴィジョンをみせるべきであると感じます。

世界は、いまIoT(Information of Things)技術での巨大データ・人工知能社会情報ネット社会の到来を告げており、その方向性をとるべきことの合理性と喫緊性を認識するものであります。 つまり「ゼロリスクはない」という成熟した先進国民社会へと真に脱皮していくための意識改革の大テーマであるとおもいます。

しかしながら、本案での説得性は、弱く、むしろ一般からの反発誤解さえ生む記述となっているのが残念です。

 

なお、内閣府には、同趣旨の投稿:題名「朝日記170515  安部首相への「原子力利用に関する基本的な考え方」(案)関する提案と今日の絵」(注2)を行っています。

また、筆者が所属する総合知学会は、平成29年度「我が国原子力発電のあり方を問う- 還暦を迎えた原発 -」(注3)をしています。

以上。

参考

(注1)

https://en.wikipedia.org/wiki/ISO_31000)

(注2)

http://blog.goo.ne.jp/gooararai/e/2ec44e63deaa843953be0bf8ddf62b2b

(注3)

http://www.sougouchi.org/blog/?p=241

 

 

 

 

 



[1] (From Wikipedia, the free encyclopedia

https://en.wikipedia.org/wiki/ISO_31000)


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