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 朝日記240817 翻訳「ラッセルの逆説」その2ー1

2024-08-17 10:25:33 | 絵画と哲学

朝日記240817 翻訳「ラッセルの逆説」その2ー1

表紙へ 朝日記240817 翻訳「ラッセルの逆説」Russell's paradox

 

1.はじめに

数学的論理においてRussellの逆説Russell's paradox (Russsellの二律背反 Russell's antinomyとしても知られている)は集合-理論的逆説set-theoretic paradox であり、これは英国の哲学者であり数学者であるBertrand Russellによって1901年に公開された。[1][2]

 Russellの逆説Russell's paradoxはすべての集合理論 set theoryが非制限的理解原理 unrestricted comprehension principle を含むもので、これが矛盾contradictions に導くことを証明する。[3]

この逆説はすでにドイツの数学者  Ernst Zermeloが 1899年に独立して発見していたのであった。[4]

しかしながら、 Zermeloはそのアイディアを公開することをしなかった、このアイディアはDavid HilbertEdmund Husserlそして  University of Göttingenでの学者なかまにのみ知らされたままになっていたのであった。

 1890年代の末に Georg Cantor ―からは近代集合理論の祖といわれているが―は彼の理論が矛盾に導くということがすでに分かっていたのであった、そして彼は Hilbertと Richard Dedekindに手紙によって語っていたのであった。[5]

 

その非制限的理解原理unrestricted comprehension principleによれば、十分によく定義されたどのような特性 propertyに対して、その特性をもつすべての、およびそれを持つ対象objectsに限った集合the setがそこに存在する。 

いまR をそれ自身メンバーmembers of themselvesではないすべての集合all setsからなる集合the setとしよう、(ときにこれを "the Russell set"と呼んでいる)。 

もしそれがそれ自身メンバーでなければ、そのときこの定義では、それがそれ自身メンバーであることに帰着する;

否、もし それがそれ自身メンバーであるなら、それはそれ自身メンバーではない、なぜならそれは、それら自身メンバーではない集合すべてall setsについての集合the setであるからである。結果としてのこの矛盾resulting contradictionがラッセル逆説Russell's paradoxである、 

記号的には

Let 𝑅={𝑥∣𝑥∉𝑥}, then 𝑅∈𝑅⟺𝑅∉𝑅

 

 Russellもまた、その逆説がドイツの哲学者でありかつ数学者である  Gottlob Frege によって構築された公理システムaxiomatic systemで誘導されるひとつの版を示したのであった。かくして、 Fregeの試みのなかに潜む数学を論理へと帰納させ、そして logicist programmeとよぶ論理主義者プログラムを設問として招き入れるcalling into questionのである。

この逆説を克服するための二つの影響的な道すじが1908年に提案された;Russell自身の type theory と the Zermelo set theoryである。

特に Zermeloの公理は無制限的理解原理unlimited comprehension principleに制限をあたえた。

Abraham Fraenkelのさらなるなる貢献によってZelmeloの集合理論は今日標準のZelmelo-Frankel集合理論Zermelo–Fraenkel set theory へと展開していく、(選択公理 axiom of choiceを含むときこれはZFCとして一般に知られている)。

  RussellとZermeloの間の主なる違いは Zermeloは標準論理言語standard logical languageを使う一方で、集合理論の公理に変更を加えたが、 Russellは論理言語logical languageそれ自身を変更した。

 ZFC言語にThoralf Skolemの援けhelp of Thoralf Skolemを得たのが、 一階術語論理first-order logic.[6]のそれへと生まれ変わったのである。 

 

 

2.わかりやすい説明 Informal presentation

 

一般に遭遇するほとんどの集合では、それ自身はメンバーではない集合である。

いま、ある集合a setが"normal"と呼ばれるとき、それはそれ自身がメンバーではないとし、そして"abnormal" とよばれるとき、それはそれ自身がメンバーであるとしよう。

(原文)Most sets commonly encountered are not members of themselves.

 Let us call a set "normal" if it is not a member of itself, and "abnormal" if it is a member of itself.  

 

あきらかにいずれの集合every setもnormalか abnormalでなければならない。

例をあげよう、ある平面のなかにすべてが四角形からなる集合the set of all squares in a plane.を考える。この集合setとしては、それ自身は平面上の四角形ではないnot a square in the plane、かくしてそれはそれ自身のメンバーではない、したがってnormal集合である。

   

(原文)Clearly every set must be either normal or abnormal.

 For example, consider the set of all squares in a plane. This set is not itself a square in the plane, thus it is not a member of itself and is therefore normal.

 

 

対照的に、この平面内で、四角形a squareではないすべてを含む集合(つまり補集合complementary set)は、それ自身その平面における四角形a squareではない、そしてそれはそれ自身のメンバーのひとつでありそして したがって、abnormalである。

(原文)In contrast, the complementary set that contains everything which is not a square in the plane is itself not a square in the plane, and so it is one of its own members and is therefore abnormal.

 

いま、すべてが normal集合setsである集合the set、 Rを考えてみよう、そしてこのRがnormalかabnormalであるかを決定することを試みる。

(原文)Now we consider the set of all normal sets, R, and try to determine whether R is normal or abnormal.

 

もしRがnormalならnormal setsすべてからなるthe set(つまりそれ自身)のなかにRが含まれることになる、そしてしたがってRはabnormal集合になってしまう;

(原文)If R were normal, it would be contained in the set of all normal sets (itself), and therefore be abnormal;

 

一方もしRがabnormalであったなら、それはすべてのnormal setsのthe set(つまりそれ自身)のなかに含まれないであろう、したがってRはnormal setになってしまう。

(原文)on the other hand if R were abnormal, it would not be contained in the set of all normal sets (itself), and therefore be normal.

 

このことは、R がnormalでもなく、またabnormalでもないという結論に導くのである: つまりラッセルの逆説Russell's paradoxである。

(原文)This leads to the conclusion that R is neither normal nor abnormal: Russell's paradox.

 

 

 

3.式的表現 Formal presentation

 

The term "naive set theory" is used in various ways.

In one usage, naive set theory is a formal theory, that is formulated in a first-order language with a binary non-logical predicate ∈, and that includes the axiom of extensionality:

∀𝑥∀𝑦(∀𝑧(𝑧∈𝑥⟺𝑧∈𝑦)⟹𝑥=𝑦)

and the axiom schema of unrestricted comprehension:

∃𝑦∀𝑥(𝑥∈𝑦⟺𝜑(𝑥))

for any formula 𝜑 with the variable x as a free variable inside 𝜑.

Substitute 𝑥∉𝑥 for 𝜑(𝑥) to get

∃𝑦∀𝑥(𝑥∈𝑦⟺𝑥∉𝑥)

Then by existential instantiation (reusing the symbol 𝑦) and universal instantiation we have

𝑦∈𝑦⟺𝑦∉𝑦,

a contradiction. Therefore, this naive set theory is inconsistent.[7]

 

 

術語「素朴な集合理論」 "naive set theory" はさまざまに使われている。

ひとつの使い道としては以下である;この集合理論はひとつの形式理論formal theoryである、この理論においては一階述語論理 first-order language のなかで形式化されるものであり、この言語レベルでは二元的な非論理的術語binary non-logical predicate ∈  を使う、そして理論は外延性公理axiom of extensionality を含むのである;

∀𝑥∀𝑦(∀𝑧(𝑧∈𝑥⟺𝑧∈𝑦)⟹𝑥=𝑦)

 

そして無制限の内包unrestricted comprehensionの公理をつかって;

∃𝑦∀𝑥(𝑥∈𝑦⟺𝜑(𝑥))

 𝜑はその内部は自由な変数としての変数free variableをもつ式であれば

どのような式でもよい。

 𝜑(𝑥)のために 𝑥∉𝑥を代入すると

つぎの関係を得る;

∃𝑦∀𝑥(𝑥∈𝑦⟺𝑥∉𝑥)

 

したがって 存在的例化existential instantiation (記号𝑦を再度使って)そして普遍的例化 universal instantiationによって、次のようになる;

𝑦∈𝑦⟺𝑦∉𝑦,

これは矛盾となる。したがってこの素朴な集合理論には一貫性がなくなるinconsistent[7]

 

 

 

4.哲学的意味性 Philosophical implications

 

 Russell's 逆説(そして他の同様な逆説はその時機に発見された、たとえばBurali-Forti paradoxがそれである)に先立ち、集合理念の共通概念化common conception of the idea of setとして「集合の拡張的概念」"extensional concept of set"がvon Neumann and Morgensternによって示されたのであった;[8]

集合setとは対象objectsの任意の集合体collectionであり、これら対象の自然性と数量について、件の集合の要素elementsについて絶対的に何ら制限が置かれない。 

その要素はその集合the setを構成し、決定するのにそれらの間になんら種類の順序、関係性を持たしめないものである。 

特に、集合setsと特定クラスproper classesとの間の区別はしていない。

さらに、集合体a collectionの各要素の存在性については、言うところの要素の集合the set の存在性は十分性があると見たのである。

しかしながら、Russell's およびBurali-Forti'sのような逆説が、集合概念conception of setの不可能性impossibilityを証明した、それらの例では、言うところの対象すべてが存在的であるにもかかわらず、集合setsを形成しない対象objectsの集合体collectionsの例が示された。 

 

5.集合理論的応答 Set-theoretic responses

 

古典論理の破裂の原理 principle of explosion of classical logicから提案されるものはどれも矛盾contradictionをとおしての証明である。

しかしながら、 Russell逆説のような矛盾がそこにあるということはまことに災害的でもあった;それはどのような式であれそれが真であると証明されるなら、その式は真僞のこれまでの通常的意味性をも破壊するからである。

さらに、集合理論は他のすべての数学分野の公理的展開のためのの基礎として見られていたから、 Russell逆説は全体として数学の基礎を脅かすことになったのである。

この動機が刺激となりおおくの研究が 二十世紀中におこり一貫性のある(矛盾から解放される)集合理論が開発されたのである。

 1908年に Ernst Zermelo は集合理論公理化 axiomatization of set theory を提案した、それは 素朴集合理論naive set theoryの逆説paradoxesを避けるものであり、任意集合の理解をより軽微なweaker existence存在公理、たとえば彼の分割公理 axiom of separation (Aussonderung)のようなもので、おきかえるのである。 

(逆説を避けることは Zermeloの本来意図ではないが、しかし  良き秩序理論well-ordering theorem を証明するのに彼が使用した仮定記述の代わりとなるものであった)[9]

  Abraham FraenkelThoralf Skolemによって1920年代に提案され、さらにZermelo自身によって ZFCとよばれる公理的集合理論axiomatic set theoryの提案が出現したのである。

 

この理論がひとたび世にでると、ひろくZermelo's 選択公理axiom of choiceとして論争がおさまり、受け入れられることになった、そしてZFCは今日に至るまで教科書的な公理的集合理論axiomatic set theoryとして残ったのである。 

ZFCはすべての特性propertyに対してその特性を満足するモノすべての集合があるということを仮定しない。 

むしろその主張するところは、集合Xがあたえられたら、第一術語論理first-order logic をつかって定義するサブ集合subsetとしてならどこでも存在することにあった。

Russell逆説による定義のこの対象 R はどのような集合Xのサブ集合としても構築することはできないのであり、したがってZFCでの集合ではない。

ZFCのある拡張において、von Neumann–Bernays–Gödel set theory が良く知られているが、R のような対象objectsを特定クラスproper classesと呼んでいる。

ZFCは型式typesについてはおとなしいsilentな 累積階層cumulative hierarchy型式で型式typesが似ている層概念notion of layersをもつにもかかわらずである。

 Zermelo彼自身は 第一術語論理を使っているZFCの定式化Skolem's formulationをけっして受け入れていないのである。

 José Ferreirósが記すように、Zermeloが代わりに主張したのは"提案関数propositional functions(条件や術語)であり、サブ集合とは別に考えるためにつかわれるものであり、置換関数replacement functionsと似ていて、全般的任意'entirely arbitrary' [全きに任意ganz beliebig]"であるとしたことである。“;

この言述にあたえられた現代的解釈は、 Zermeloが Skolem逆説 Skolem's paradoxを避ける目的でさらに高階術語の量化higher-order quantification を含むことを求めたということである。

 

1930年代に、 Zermeloもまた(明らかに von Neumannとは独立に)基礎公理axiom of foundationを導入した、かくしてFerreirósが観察したように―これは循環的'circular' と 'ungrounded'非根拠的なる集合setsを回避することによってであり、それ[ZFC]はTT [type theory]の重要な動機のひとつ―引き数の型式原理the principle of the types of argumentsと関連していたのである」。

2nd order ZFCをZermeloは好み、これは基礎公理axiom of foundationを含んでおり、豊かな累積構造cumulative hierarchy.を許すものであった。

Ferreirósは"Zermelo'の層 'layers'は基本的にGödel and Tarskiが提供した単純なTT [type theory]の現代版型式と同じものであると書く。

ひとは累積的階層を記述するにZermeloは彼のモデルを累積的TTを宇宙the universe of a cumulative TTとして展開したのであるが、そこでは有限からくる無限transfinite typesがゆるされるのである。

(ひとたび、自己参照的な意味でこの非予想的観点impredicative standpointを採用してしまうと、クラスclassesを構築する観念ideaを捨ててしまい、それによって、有限から出てくる無限transfinite typesを受け入れることが不自然になる) 

 

単純TTとZFCは、斯くして、いまや同じ意図のもとでの対象について基本を語る'talk' essentiallyシステムとして見なことができるのである。 

主なる違いはTTが強力な高次術語論理strong higher-order logicに乗っているのであり、一方Zermeloは二次術語論理second-order logicを採用していること、そしてZFCは一次術語式first-order formulationをあたえることもできるのである。 

累積階層cumulative hierarchyの一次術語記述first-order 'description'は数え上げモデルcountable modelsの存在性 (Skolem's paradox)が示すように、かなり弱いものであるが、ある重要な利便を与えてくれるのである。[10]

 ZFCにおいて、いま集合Aがあたえられたとしよう、このときつぎのような集合B を定義することは可能である、集合 Bとはまさしく集合A のなかの集合setsから成り立っているが、その集合setsはそれ自身のメンバーではない。

 B はRussell's Paradoxにおける同じ理由によってAのなかにあることはできない。

 Russell's paradoxの見方を変えると、すべてのものを含むような集合などはないということを証明しているといえる。

Zermeloと他の人たちの業績をとおして、特にJohn von Neumannを上げるが、ZFCによって記述される「自然」対象"natural" objectsのようにひとから見る構造が実質的にあきらかになった;それらは von Neumann universeV要素であり、 べき乗集合操作power set operationを究極まで繰り返し実施transfinitely iterating することによってempty set 空集合からつくりあげた要素elementsである。 

 

非公理的な様式non-axiomatic fashionでの集合についてそれがVの逆説paradoxesから逃げおおせる理由付けは斯くして、現在可能となるが、それはVの要素elements of Vについての理由付けにひとえに依っている。

この道すじでの集合の考え方が適正であるかどうかは 数学哲学 philosophy of mathematicsに関する競合する観方のなかでの内容に掛かっている。

ラッセル逆説Russell's paradoxへの他の解は  Quineの新しい基盤New Foundationsと  Scott-Potterの集合理論Scott–Potter set theoryを上げることができる、これらは型式理論のそれに近い戦略をその根底においている。

複数の要素系と適切に考慮された理解への起案はいまだそのアプローチさえ定義されていないがDouble extension set theoryが目下それにあたる。

 

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