Yassie Araiのメッセージ

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朝日記230616  デービッド・ヒュームの哲学のこと、事実命題と価値命題について、そして今日の絵

2023-06-16 20:02:06 | 自分史

朝日記230616  デービッド・ヒュームの哲学のこと、事実命題と価値命題について、そして今日の絵

絵画は、わたしの家がみえるけしき ひとつ、この季節の花々 四つです。おたのしみください。

本文は以下です;

近代哲学のひとつの金字塔がカントにあるとは、かれの哲学は大陸側の合理主義と英国の経験主義のふたつの潮流をひとつにまとめあげたという点にあり、その後の哲学の展開はすべて彼の哲学から出発するといって過言ではないと思っています。したがって、なにか新しい問題に遭遇し、混沌とするとひとまずカントに帰るということがかれらの常とう手段のようです。ゆえあって、目下、経験と知識(主観)という視点から目下、ヒュームの哲学に触れています。それはカントがヒュームの哲学を学んだということと無縁ではないと考えたからです。

徒然こと1  ヒューム主義哲学についてのメモです。

ここから、別稿のかれの哲学の解説記事についてのあらいくんの感想文です。

該解説記事はWikipedia英文からの和訳を別添掲載します。以下にクリックください;

朝日記230616  Humeanism ヒューム主義哲学 (その1)

 

徒然こと2 事実命題と価値命題のこと

これは2011年の朝日記からの抜粋です。実生活上においてじつにお世話になった考えかたですが

この根源がヒュームの哲学にあったことで、記憶のためにあえてここに掲載いたしました。

 

徒然こと1  ヒューム主義哲学(June 2023)

                           荒井康全 asumasa Arai

本稿はWikipediaの自由百科英語版(2023年4月検索)の和文は翻訳ある

これはスコットランドの哲学者デービッド・ヒュームの哲学の概説である。

Humeanismヒューム主義哲学はDavid Humeデービッド・ヒュームの哲学を意味し、彼から起こされたthought(思考)の伝統を指している。  

彼はスコットランドの哲学者であり、empirical approach(経験主義的アプローチ)が哲学のさまざまな応用のfields(場)をあたえたという点でよく知られている。このアプローチは、私見よればスピノザとカントにおいて決定的な影響を与えている。

大陸の思弁的アプローチと統合され批判主義哲学として金字塔がたてられたのであり、現在も強力なる影響力を与えている。

今回、筆者が着目したのはたまたまかれのHumean a-priorについてしらべることにあったが、この記述欄で彼の哲学の要点の説明して秀逸なので以下翻訳としてのこすことにした。

Consciousness(意識)についての哲学は19世紀末以来、そして前世紀をとおして合理主義哲学と分析主義哲学、もしくは観念主義と物理主義の乖離があってきたこと、そしてその解消への願望とゆるやかな統合知的回復実現が双方からの焦眉であり、今世紀の一大課題してひろくみとめられるものである。

その動機を与えたひとつとして、これもまた私見であるが非線形・動的・非平衡現象やフラクタル現象など現代の力学系理論が投げかける生化学系現象での自己復元性(ホメオスタシス)の消失や多様な状態への分岐などの数学的論理構造がまた、人間のメンタルな主観系意識の動態類型現象論理としての説明構造を主観系としての存在パラダイムを、および知としての向かうべく方向性を示唆している観を抱かせるものである。

このままでいくと予想もつかない超カオスとそれによる巨大破壊や破滅に遭遇するかもしれない。

それは自然系ばかりでなく、社会系それ自体のなかに、そして双方の複合系のなかからくるものであろうことを人類は予感しているがその複雑性からの文明破滅の機構や現象流を捉える糸口すら見えない。これに対してもういちど、近代人間に与れているという思考と存在からの知識と行動の仕組みの原理を見直そうという人たちがいる。

たとえばMeillerssoux等ににみる最近のSpeculative Realism思弁的現実論にみるような、たとえば人類出現以前の化石と人類知の関係から出発するのもそのひとつである。人間が目撃しえない事実をいかにして知として主観のなかでわかったと意識できるのかと言う次元から出発する。これには知りたいという目的意識とはなんであるかということでもある。*ところで、われわれがあること、つまり事態を自らが意識するのは、因果関係での「原因」が知覚や意識ではなく、入るのは「結果」である。これが我々の意識のなかの情動の部分を駆動し、つぎにこれを結果目的「標的」としてその手段としての行動原因「弓」を使うことになる。通常の熟知した事態のものであればそれでよいが、事態が何であるかわからない、それが意識として起きた場合には、その事態がなんであるか、なにが原因であるか、それはこれまでの経験のなにに似ているかという感覚や思考判断が必須であろう。Humeはあくまでも原因を経験によって探索し、それによって得た原因の候補と選別により原因「矢」と目的(標的)を構成しこれによって行動をとることを教えている。

実際は「原因」ではない事態からの「結果」であったのであり、思考錯誤がともなうであろうがこれが人間の知であることを哲学的に説いたのである。

これをHumean a-priori(Hume的アプリオリ)として"perceptions"(知覚)の基本的な態度して現在にいたるまで影響を与えたである。因みに、これに対するアプリオリとしてはKantean a-prioriを上げておく。これはintuition(

洞察)からのものである。

これらはまた、「事実命題」と「価値命題」との行動的知区分として知られ、近代での教育啓蒙に資したことを容易に想像できよう。

この過程では得るepistemic finding(認識的なみつけ)は semantic conclusion(意味論的結論)を含むからである。

筆者の個人的経験で恐縮であるが、わが人生における、その実践的徳恩には多大なる謝意を表することをを記すものである。 

Humeanismヒューム主義哲学

Causality and necessity起因性と必要性

Theory of action行動の理論

Practical reason実践的理性

Metaethics[メタ倫理学

Bundle theory of the self それ自身の束理論

おわりに 

文献類

朝日記230616  Humeanism ヒューム主義哲学 (その1)

 

徒然こと2 事実命題と価値命題のこと

「東大入試に学ぶロジカルライティング」(吉岡友治著、筑摩新書)というすこし硬い本がありあます。

いまさら受験は関係ありませんが、きちんと考えることを受験生に教えている内容は、まことに普遍的で

いまさらながらに感心します。友人が、ごの本で、一番 おもしろいところは
「事実命題」と「価値命題」のところでした。

**

これは科学的なものの考え方で、どうも日本人が 不得手らしのです。 戦争という事実をかんがえることと

戦争はしてはいけないから、考えてはいけないとが一緒にしてしまって、思考停止にしてしまう。このような

例はたくさんありますね。
**
個人的には、事実と意見をわける発想にはずいぶん助けられてきたようにおもいます。
仕事で課題に取りかかり、すぐ、いろいろな事象や意見が出てきて、錯綜してきたときには、すばやく、ここに立ちかえることでした。
なにか調べごとをするときも、ことばの定義から見ていくところなど、まず事実から手ほどきをしていくなどで、思考を解放して、楽にしてくれます。そして、報告書などをまとめるときも楽です。経験的には この辺の矜持がしっかりしていないと もうアウトです。

 そういうことを最初に考えたひとはやはりえらいなとおもいます。 科学的方法にしたのですね。

出典; 事実命題と価値命題 <朝日記110724 おはよう>

https://blog.goo.ne.jp/gooararai/e/c9ad347d5264ba9120a51c2eae3bb9ef

(康全)


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