朝日記141013 恩師のことや思い出こと と今日の絵
おはようございます。
Every weekly Typhoon is coming now.
外にお勤めやお出かけ方は大変ですね。
先週のときは、介護予防フェストで手伝いにいき
交通の便の悪いところなので 帰りは、傘貫けの雨でしっかりぬれました。
徒然こと 恩師を偲ぶこと
*研究室の恩師植田辰洋先生がこの春に89歳で亡くなり、先生を偲ぶ会が本郷の山上会館でありました。分厚い論文集をいただき、若い先生方からの総括的な講義を聞きました。「蒸気工学研究室」という長い伝統のある研究室で、多分いまは名前が替わっているとおもいますが確かではありません。
先生が退官されて以来、先生ご夫妻を囲む会に毎年桜のころに集まりました。今回の偲ぶ会では、夫人とお孫さんをふくめて御一族が出席されました。そのひとり、ひとりから思い出が披露され、こころ温まるものでした。 お祖父さんは、孫においしいものをたべさせるのが慕われるコツであることがわかりましたが、こちらは遅きに失します。
先生の関係先の偉い方が スピーチで思い出噺にのり、はなしの締めに うっかり おめでとうございましたと発してしまい 御本人には大わらわでしたが、会場を沸かしたハップニングでもありました。
先生は、丁寧にものを考え、計画的に研究に集中されるお人柄で、門下生から篤い信望を得ておりました。学会など表向きの場にはあまりお得意ではなく、極力避けておられたようです。 個人的には、ご媒酌の労をいただきましたので、今回も、家内とも一緒に出席しました。
徒然こと 思い出こと
* 私は学部は商船大学の機関科の出身です。あと受験して数物系研究科(機械工学)の大学院に入ったのですが、席をおいた「蒸気工学研究室」は、もともと舶用蒸気タービンやボイラーなど船とも縁が深かったようです。 家の方には、当時、’夢の原子力船’の第一号の乗り組みになると吹いて許してもらいました。商船大学は、期間が四年半の履修課程であったので、最後のニュージーランド遠洋航海が終って秋の卒業でした。東大との縁は、船乗りの免許の甲種舶用二等機関士の最終面接試験を受けたその足で、駒場に走り、機械力学や材料力学などの大学院の試験に必要な基礎科目の再履修の聴講を開始いたしますが、そんなことを思いだし、植田先生にたどり着くまでの曲折を思い返しました。
*たまたま一年生の秋に転校した先の高校が、理科三科目や数学二科目を二年間で並行して進めていく方式でした。途中からの履修が難渋であり、特に物理と数学のコンプレックスがその後、尾をひいていました。そして商船大学に入ったわけですが 高級船員になろうといっても、ただなれるわけではありませんね。専攻が機関科ですからどうしてもしっかり勉強が必要で これらと付き合うことになりますが、なかなか自分のなかのエンジンがかからずに大分低空飛行でした。
そんな状況で、いったんは 文系への転向を考えましたが、コンプレックスの裏返しのコンプレックスで 敢えて再スタートをこころみたのでした。したがって 大分 まわりに特に指導教授には面倒をおかけしたとおもいます。
当時、商船大学には 伝説が残って、船から東大に行ったのは、二人いて、一人はトップで ひとりはボトムであったというものであったそうです。
徒然ことおわり
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