ドイツのジャーマンウイングスのA320が墜落した。最近飛行機事故が多いような気がする。それもみんなA320。それぞれ原因が推測されているが、A320ばかりということを見落としてはいけないと思う。意識して何かある、という目で見る必要がある。バグがあるのか、アラームの出し方が悪いのか、操作ミスを起こしやすいコンソールなのか、そういう目で見ることが大事である。
映画「Boyhood」で出演し、最優秀助演女優賞を受賞したパトリシア・アークエットはアメリカの男女不平等について「この国のすべての納税者と国民全員を産んだすべての女性、私たちはみんなの平等の権利のために闘ってきました。今こそ、米国の女性たちは賃金の平等、そして平等の権利を享受するべきです」と述べた。アメリカは枠組みとしてはかなり男女平等社会であるが、男の心の中は少し優越感が支配している。日本は逆で、枠組みとしてはアメリカより劣るが、男の心の中は男女平等だと思っている。だんだん歩み寄ると思うがどちらかと言うと日本の方が良い。心が一番だから。
ギリシャは2月末にEUとIMFからの金融支援の期限を迎える。国家の国民経済は、基本的な考え方として輸出入をバランスさえたうえで、生産したものを分け合うことで経済的に自立できる。ところがEUは経済的に自由度が高いため産業的に弱い国は一気に貧しくなっていく。それを借金で賄ってきたのがギリシャである。それが借金ができなくなると崖から転落するように経済破綻する。それをソフトランディングさせるためには、返済を待つかわりに節約しろという話になる。それがEUとIMFの金融支援である。ところが、新政府は国民に節約の苦しさをさせないと言ってできた政府である。その公約を守るためにチプラス首相はEUとIMFの支援をいらないといっている。他から借金をするということだ。そして最低賃金も上げると言っている。ありえない。もうギリシャが破綻するのは目に見えている。(僕の個人的な見解です。)
宗教というのは個人の心の中に存在するべきだ。同じ宗教を信仰していたとしても、その教義や教えを守らなかったと言って他人を攻撃するべきではない。それを守る守らないは個人の意思に委ねるべきだ。信仰することによって心の平安が得られるのであれば信仰すればよい。それだけのことだ。教義によって他人を束縛することの意味は何か?合理的な答えはない。その宗教が唯一正しい宗教で、その教義が完全に正しく、その神様だけが唯一の神様であるという前提でないと答えがないのだ。その条件が存在し得るのは個人の心の中だけだ。人はこのことに早く気づくべきだ。気づけば宗教対立による戦いなどなくなる。
ランキングを見ていたらホンマでっかに出ていた矢口真里への批判がかなり激しいようだ。前夫の中村さんにとってはひどい仕打ちであったことは確かだ。しかし、矢口真里は1年半の間、芸能活動を中止していたのだし、反省もしているのだから、現在の態度や行動や言動をあの不倫と結び付けて批判するのはどうかと思う。芸能活動と言っても職業なのだから、不倫をしたから辞めろとも言えない。そんなことを言ったら生きていけないかもしれない。そういうことがあったということはなかなか忘れられないから、収入は減るだろうし、その内消えてしまうかもしれない。それはそれでしょうがないだろう。自業自得なのだから。しかし、みんがバッシングをして不幸におとす必要もないと思う。
話題のワードのところに、「愛子様、不登校問題深刻」というのがありました。通常、人は天から基本的な人権が与えられているかのように教育されます。実際は国家や社会が与えているのにです。私は、基本的な人権というのは、個人の精神を健全にし、社会を維持するためのツールだと思っています。それに加えて、社会が文化的になり豊かに発展していくためには、特別な人が必要です。科学を発展させる人、経済を発展させる人、楽しみを増やす人、こういう人たちの中で最初にそれを作り出した人、偉人といわれる人が必要なわけです。ノーベル賞をもらった人たちもこの中に入るでしょう。その中で、皇室というのは特別で、日本の繁栄と安寧を祈り、日本人の心の模範となることを使命とされています。このためには、多くのことを犠牲にして、無私、利他というストイックな生活をしなければならないでしょう。ですから皇室に対しては特別に尊敬する気持ちを持って接する必要があるのだと思います。一般の社会に直接触れるような形を残して登校することなどできないでしょう。それではあまりにも精神のバランスが崩れてします。不登校になられるのは、そういう環境を作ることのできなかった者の責任です。敬う心が足りないのだと思います。
子供向け番組に戦隊シリーズというのがある。・・ジャーという5人のグループが怪獣をやっつけるというストーリーだ。違和感というのは、強い怪獣一匹(一人)に対して、それほど強くない5人のヒーロー達が力を合わせて怪獣をやっつけるというストーリーにだ。ヒーロー達も少し屈折した性格のものがいることもそれに拍車をかけている。火星から望遠鏡で覗いて見ると、一人を五人がかりで虐めているように見えるのではないか?この構図は、少し見方を変えれば、学校における虐めとよく似ている。やっぱりヒーローはピカピカのスーパーマンであるべきであろう。
矢口真理が年末特番で復帰するらしい。ロンブーの敦と二人で司会をする。批判が殺到しているそうだが、職業だから批判するのはおかしい。十分反省したのを社会が認めるまでは働くな、とか、良い仕事はするなというのは嫉妬でしかない。生活をするためには働かないといけないのだから、何か気に入らないことをしたからといって飯を食わせないわけにはいかないだろう。それにしても運のよい子には違いない。男がさんざん勝手なことをしてきた世界において、女が男と同じことをするのは女にとって小気味がよいのだろうなあ。だからあまり傷がつかない。聖子の時と同じような気がする。もしこれが当たっていたらコメントください。
バカとしか思えないような裁判官がいたものだ。
戸籍上の父親が本当の父親でなかったことが分かった時、どちらを父親とするべきかという問題である。この最高裁の裁判官は思考能力が欠如しているし、法律の立ち位置を誤解している。この裁判官は、法律家にありがちでなことはあるが、法律に現実を合わせようとしている。これが間違いである。現実の世の中に法律を合わせないといけない。現実の世の中が全体的に持っている価値観や判断基準に合わせて法律を適用しなければいけないのである。この裁判官はこれが分からない、致命的な欠陥を持っている。民法の場合、婚姻関係にある時に生まれた子供は夫の子供と推定するとあるらしい。この推定によって親子関係を決定することになる。しかし、この推定が間違っていた場合はどうするのかについては書かれていない。だから、これを法律で裁けるわけはないのである。こういう場合は、個々のケースにしたがって関係している人(戸籍上の父、実父、妻、子供)の損得がそれぞれの責任や落ち度に対する償いやこれからのそれぞれの幸福度を考え、さらに将来のもめ事を回避するするようにバランスを取って父親を決める必要があるのである。このケースでは、妻が不倫をしてできた子を夫が自分の子供として育てようとしたが結局破たんしたというケースである。戸籍上の親は1年半の間に子供に対する愛情が芽生え、親子関係を維持したいと考えている。判断する重要なポイントは一緒に暮らした時間と、今はどちらと暮らしているかであろう。これによってどちらが父になるかを決定する必要がある。現在の戸籍上の父は、不倫した元妻とその相手が自分の心に深い傷をつけ、子供まで奪っていくとなると耐えられない気持ちになるのは当然のことである。この感情が今の親子関係を維持したいという気持ちに影響を与えていることも想像できる。不倫をして子供ができたという全体的にみるとマイナスになる事象を落ち着かせるのであるから、傷つけた人は傷つけられた人にお金を渡してすこしは傷を癒し、傷つけた人は経済的なダメージを受けるということでバランスさせるしかないのである。この裁判官は、次の点をどう考えるのであろうか?
1 この戸籍上の父が養育費を払うであろうか?不倫した子供を不倫カップルのもとで育てられる状態でとても養育費が払えるとは思えない。
2 戸籍上の父が再婚した時、そして自分の子供ができた時、自分の財産に対する権利を不倫の子に与えられるであろうか?妻はどうか?子供はどうか?争いが生じるのは容易に推測できる。
3 単なる戸籍上の父を、子供が父と認めるであろうか?一緒に暮らしていないのだからそんなことはありえない。戸籍上の父が再び傷つけられるだけであろう。
4 こどもがそんな複雑な関係を理解できるだろうか?子供を傷つけるだけではないか?
この裁判官は法律の不備と立法府の怠慢を指摘するべきであろう。
戸籍上の父親が本当の父親でなかったことが分かった時、どちらを父親とするべきかという問題である。この最高裁の裁判官は思考能力が欠如しているし、法律の立ち位置を誤解している。この裁判官は、法律家にありがちでなことはあるが、法律に現実を合わせようとしている。これが間違いである。現実の世の中に法律を合わせないといけない。現実の世の中が全体的に持っている価値観や判断基準に合わせて法律を適用しなければいけないのである。この裁判官はこれが分からない、致命的な欠陥を持っている。民法の場合、婚姻関係にある時に生まれた子供は夫の子供と推定するとあるらしい。この推定によって親子関係を決定することになる。しかし、この推定が間違っていた場合はどうするのかについては書かれていない。だから、これを法律で裁けるわけはないのである。こういう場合は、個々のケースにしたがって関係している人(戸籍上の父、実父、妻、子供)の損得がそれぞれの責任や落ち度に対する償いやこれからのそれぞれの幸福度を考え、さらに将来のもめ事を回避するするようにバランスを取って父親を決める必要があるのである。このケースでは、妻が不倫をしてできた子を夫が自分の子供として育てようとしたが結局破たんしたというケースである。戸籍上の親は1年半の間に子供に対する愛情が芽生え、親子関係を維持したいと考えている。判断する重要なポイントは一緒に暮らした時間と、今はどちらと暮らしているかであろう。これによってどちらが父になるかを決定する必要がある。現在の戸籍上の父は、不倫した元妻とその相手が自分の心に深い傷をつけ、子供まで奪っていくとなると耐えられない気持ちになるのは当然のことである。この感情が今の親子関係を維持したいという気持ちに影響を与えていることも想像できる。不倫をして子供ができたという全体的にみるとマイナスになる事象を落ち着かせるのであるから、傷つけた人は傷つけられた人にお金を渡してすこしは傷を癒し、傷つけた人は経済的なダメージを受けるということでバランスさせるしかないのである。この裁判官は、次の点をどう考えるのであろうか?
1 この戸籍上の父が養育費を払うであろうか?不倫した子供を不倫カップルのもとで育てられる状態でとても養育費が払えるとは思えない。
2 戸籍上の父が再婚した時、そして自分の子供ができた時、自分の財産に対する権利を不倫の子に与えられるであろうか?妻はどうか?子供はどうか?争いが生じるのは容易に推測できる。
3 単なる戸籍上の父を、子供が父と認めるであろうか?一緒に暮らしていないのだからそんなことはありえない。戸籍上の父が再び傷つけられるだけであろう。
4 こどもがそんな複雑な関係を理解できるだろうか?子供を傷つけるだけではないか?
この裁判官は法律の不備と立法府の怠慢を指摘するべきであろう。
セクハラについて考えないといけない時期に来ている。ある行為や言動によって、その対象となった人が嫌だと感じたらセクハラだなんていうことを認めてはいけない。大多数の人がある条件下で行われた行為、言動が人を傷つけていると考えるのであればそれはハラスメントであろう。「結婚しなさい」、「子供を産みなさい」という言葉が普通の人に対して言われたのであればそれはセクハラではない。何らかの原因があって、結婚できない人や子供を産めない人がいて、その人に対して言われたのであればそれはセクハラである。さらにもう一つ、都議会で問題となっているヤジはセクハラの問題ではない。議会において発言者が言っていることを一方的に聞かされているのでは民主主義とはいえない。聞いている人が自由に発言できて初めて民主主義が成立する。それができないのであればヤジを飛ばして反対するのは必要なことである。ところが今回のヤジは何だ。不妊治療の充実を図るための質問に反対できるであろうか?その政策の優先順位を決めるための質問で、これを推進するためには他の政策が捨てろというのであればヤジを飛ばすのは当然のことであるがそうではない。ヤジを飛ばす理由は一つしか思いつかない。きれいな女性にチョッカイを出したかったとしか思えない。ここが問題なのである。