おでかけmemory

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出雲 西谷墳墓群

2011-11-20 | 遺跡/現地説明会

荒神谷遺跡を後に  次は 西谷墳墓群へ 行ってきました。

     《王家の谷》と呼ばれるに相応しく3世紀(弥生時代後半)から古墳時代にかけての500年に渡り 墓地だった遺跡です。

     その中でも 6基の日本最大級 四隅(よすみ)突出型墳丘墓は 代々の出雲王の墓地だろうと言われています。

         前に読んだ幾つかの本には 高句麗、新羅に類似した墳墓があるので それが伝わり 摸したのだろうと書かれてありました

四隅突出型墳丘墓とは
    中国地方の山間部で作られ始め 山陰(出雲)地方を中心に広がり 北陸地方にかけて作られた墳丘墓
    これまで約90基が確認されています。形状は のように方形でコタツに布団をかぶせたような形

    外側の法面には石積みがされ 墓裾は2列の石で囲われていた。また墓上では葬送儀礼が行われたと考えられています。

       2号墓(約46m x 29m x 3.5m)   

 

 (パンフ

墳丘墓より発掘された土器の中に 儀礼用の吉備(岡山)や北陸の土器が見つかりました。

それら他地域の土器が発見されたことで それらの地域との交流があったと想像できます。

こちらの2号墓は 中に入ることができます。中は展示室になって 埋葬時が再現されています

  

                    3号墓 実際は芝ではなく こちらも石積みだったそうです

    

   今回 訪れた1~4号墳墓の位置 (パンフ

  出雲地方を中心に建造された四隅突出型墳丘墓は 

  3世紀後半古墳時代が始まると突然消え 

  大和政権勢力の強力化と並行して

  近畿地方で発展した古墳へと姿を変えた。 

 ということは

 ・・・大和政権に屈した?神話の国譲りにつながるか?

 

 

 王の墓は 古墳時代から【古墳】と呼び それ以前は【墳墓】と呼ぶ)

四隅突出型墳丘墓の側にある 出雲弥生の森博物館    ( パンフ

   

  こちらの博物館では 四隅突出型墳丘墓より発掘された

  副葬品の展示や 出雲王についての解説、

  弥生時代の衣装に着替えるなど

  様々な体験もできる施設です。

  小学校低学年生が 楽しげに体験学習をしていました


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2 コメント

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全く知りませんでした。 (ゴチ)
2011-11-20 00:48:11
岡山県での古墳の存在は存じていましたが、出雲の古墳は初めて知りました。四隅突出型は精巧な造りで驚きました。これだけのものを中学校レベルで教えなかったと言うのもおかしな話です。大変勉強になりました。有り難うございました。
返信する
ゴチさんへ (sapphire)
2011-11-20 10:28:56
興味が無いと スルーしてしまうニュースですし
出土したころは きっとお仕事にお忙しい時期だったのでしょうね

出雲は神話が盛り沢山なのに
近世まで 物証となるものの出土が少なく
神話の世界に閉じ込められていたのかもしれません
しかし 神話の元になる出来事が必ずあるはず。
出土すると その数や規模の大きさが想像以上で
だれもが驚きを隠せません
返信する

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