大量販売のお米でなく、農家自前のお米を食する人が増えている。
知り合いの女性が農家をお米を食べている、という話をたまたま耳にした。
「ネットで探して買いに行ったのか」
「人の伝手で買うようになったのか」
「買わされた、という感じはないのか」
「その農家と交わした最初の会話はどんなものだったのか」
面白そうなのでそのきっかけ話を聞きたくなった。
自分が五郎兵衛米に出会ったのはたまたま実家が近かっただけだが、
その農家さんと知り合ったのは偶然の賜物だ。
人はどうやってそのお米に巡り合うのだろう。
何十年も、ほぼ毎日向かい合うお米とどうやって知り合うのだろう。
そのお米を知ったきっかけは人それぞれにドラマがあるはずだ。
「その農家さんのお米にどうやって巡りあったんですか」
その女性に聞いてみた。
「その方が会社で新人の時に、たまたま私が研修で教えたことがあったの。
その人は代々の農家さんで、以来、毎年新米を送ってくれる。食べきれないほどね。
おいしいのかどうか専門家じゃないから判らない。でもおいしいよ。
近江米っていうの」
その新人さん、自分の食い扶持となる仕事の知識を教わったことが、
余程ありがたかったのだろう。
数時間の食い扶持が、何十年の食い扶持に化けてしまった。
この女性、忙しい時間を割いて研修をしたのだろうけど、無心で教えていた
のだろうな。
そういう姿勢は言葉や行動の端々に出るものだ。
出合いの一瞬のきっかけが、何十年の人の繋がりになってゆく。
ドラマだなぁ。
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