石野容三・紀美子の芸術

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高槻雑感

2014年10月31日 | 日記

(1)各地の紅葉の知らせを聞く。これよりますます紅葉は深まり、やがて秋から冬になる。人間どもの政治のゴタゴタに関係なく,時は悠々と流れる。

 (2)格差拡大と貧困層の増加が問題になつている。しかしながら、格差拡大を認めなければ、危険を顧みずとか、大変な努力をするとかが報われなくなる。格差拡大は世の進歩のため必要と思うのだが。極端な貧困層の増大はいろいろな問題を惹起する。しかし、貧困から抜け出そうと努力しない人達はどうしようもない。

 (3)大多数の人間は出来るだけ楽をして最大限の結果を得ようとする。これは無理な話である。特別な能力のある人は別として、大多数の人々は努力して良い結果を得る

    (4)日本の町の佇まいは大変乱雑、醜悪。電柱はある、テレビのアンテナは屋根の上にある。家、町の設計、色彩はてんでばらばら。狭い土地に押し合うようにある。これの改善には何百年とかかるが美しい日本を作り直そうではなあいか。


教育雑感

2014年10月29日 | 日記

(1)学校の一組が35人か40人かの問題。昔は一組50人から60人が普通だった。これで結構教育ができた。いつの間に35人とか40人とか、生徒も先生も過保護になったのか。

(2)教育の平等とはその能力に関係なく同じ教育を与えることではない。能力に応じた教育を与えることではないのか。現在の義務教育では同レベル,同内容の教育を与えるため、できるできないの差が大きすぎる。できない子は九年間劣等感に苦しむ。先生は出来ない子を放置する。

(3)どんな子でも何らかの能力がある。勉強だけが能力ではない。その能力を見分けて教育するような教育制度が必要ではないのか。

(4)教育において日本は世界の国々に遅れをとつている。この子たちが大人になった時日本はどうなるのか。

(5)学校だけで充分の教育ができるようになることが必要。塾に行く財力が親にない場合でも、学校だけで充分ということにならないか。現実は教育が金で買えるようになっている。

(6)国として強くなるためには能力別という考え方を導入するのが良い。現にスポーツの世界ではそのようになっている。何故教育ではそれができないのか。

 

 

 

 

 

 

 

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愛犬ゴロ

2014年10月27日 | 日記

犬は直線的に主人についてくる。猫も主人についてくるが、同時にどこか自分中心で自由行動する。私は犬の性格のほうが理解できて好きだ。

 

ゴロは今まで叱られたことがない。叱られるようなことをしたことがない。誰からも可愛がられてきた。性格、容姿愛らしく人を疑うことを知らない。犬も人間も同じで愛されて育つと素直な性格になる。 

 

私達が外出するときゴロは門まで送ってくる。本当に寂しそうな目付きになる。帰宅すると待っていたとばかりに大喜びする。一生懸命に我々について来ようとするのがゴロの生き方だ

 

           

 

ゴロは庭を自由に動き回っている。散歩は一日一回。交通事故の恐れもあり紐につなぐ。賢い犬で老人とか、家内が疲れているときはゆっくり歩く。何年も散歩しているとそこらは弁えているようだ。

 

ゴロは散歩のときだけ大便をする。一日一回の散歩だから二回,三回、四回と大便する。我々は大便を拾って処理する。大便をそのままにしている飼い主も多く、道路にそのまま残っているのは不愉快である。

 

ゴロはゆっくりゆっくり老いてゆく。ゴロと過ごした年月を思う。あと数年でゴロはいなくなると思うと、たまらない気持になる。まさに家族の一員であるからだろう。