48番:仏教セミナー(2)

2025-03-11 20:17:15 | 語学学習

仏教セミナー(2)

(旧478番より 仏教学習日記(1) 如風於空中一切無障礙

2021-09-07 12:00:00 | 日記

如風於空中一切無障礙

 

法事のときにお坊様が来て、むにゃむにゃとお唱えしてくださるお経文、

『法華経』の中の偈頌のひとつです.

如風於空中一切無障礙(ニョフウオクウチュウイッサイムショウゲ)

これを読み下しますと、風の空中にあるがごとく一切に障礙無き(とならん)

(とならん)は勝手に付け足したのですが、この下りを読んでみますと、

どうやら、この経(法華経)にしたがって生活をしますと、このようになる

と書かれているようです.実は私もよくわからなくて、あちこちのブログ

を渡り歩いてみましたが、十人十色のご意見に触れました.

 

そこで、私も自分なりの解釈をしてみました.

空中に浮かんでみますと、地上の煩悩から解放されるようです.

地上に降りてきたときから、また膠のような切っても切っても

なおくっつく煩悩に付きまとわれます.

 

だいたいこの世は、いいこと半分、悪いこと半分で構成されていると

思いますので、お酒でも夢でも、それに酔いしれたあとに、つまり、

いい思いをした反作用の力がどこかで充填されていて、それが、

いつか縁に従って、悪夢が発生するのではないかと思うのであります.

 

ですから、あとでいやな思いをするのなら、「始めからいらない」

と思うようになったのであります.

 

『ブッダのことば』(岩波文庫)第642番に

<快楽>と<不快>とを捨てて、清らかに涼しく、とらわれることなく、

全世界にうち勝った健き人ー彼をわたくしはバラモンと呼ぶ.

 

ブッダは、バラモン教の国と時代に生まれましたので、成道後も

バラモン教と共存していました.

 

さて問題は、<快楽>と<不快>とを捨てて、というところです.

やっぱり、<快楽>は捨てるのがブッダの道であるようです.

 

そのためには、意識を「空中」で生活している辺りに保っておくこと

なのでしょうか.

 

 

仏教学習日記(2)

仏道修業2日目

如風於空中一切無障碍(2)

 

私の祖母が生前、こんな話をしてくれました.
それは祖母が寝屋川にある小松病院という総
合病院に入院していたときのこと.当時病室
には祖母ともうひとりの女性がいました.ふ
たりは同年齢ほどだったらしく、何でも話し
合う仲だったようです.ある日、祖母の外出
中、それは起ったのです.この同室の女性(
仮にきぬえさんという名前で呼びます)きぬ
えさんが、ちょっとした用向きで行っていた
ナース・ステーションから戻ってきたときの
こと.部屋に戻ってみると、自分のベッドに
誰かが寝ていたというのです.
 「一体誰が私のベッドで寝ているんだろう」
と思って、よくその人を見ると、それは、まさ
しく、自分自身だったといいます.そんな奇妙
な話を祖母にしたというのです.

これは一種の幽体離脱現象ですが、身近にこんな
テレビで見るような不思議体験をしてくれると、
そういうことって、やっぱりあるんだと思わざる
を得なくなりました.

幽体離脱がある、ということは、霊魂と肉体は
別物である、ということが言えると思うのです.

よく聞く話は、生死の境を彷徨った人の話.多く
共通するのが、死にかけた人は、霊魂が肉体から
抜け出たあと、部屋の天井辺りに浮かぶのだそう
です.

この状態って、まさしく、私が理想と考える「如風
於空中一切無障礙」の状態なのです.

そして、命尽きた人は、生前の行いによって、その
因果の報いに応じた世界へと旅立ちます.まだ命の
尽きていない人は肉体にもどってきます.

法華修行中の人は、戻ってきても、尚も空中に浮か
ぶが如く暮らしていきます.来世は仏国土なのかも
知れません.

 

*自分のブログにログインできないので、

閲覧でコピペしました.二段階認証って迷惑ですわ.

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