2枚のレンズを偶然組み合わせて遠景をみたことから望遠鏡が発明され、それが天体に向けられるとガリレオ式からケプラー式、ニュートンの反射望遠鏡、更にその後も様々なユニークな天体望遠鏡が発明されてきた。
その時代、その時代ごとに人々はその限られた有効径で如何に更によく見える望遠鏡を開発するか、そのための工夫の歴史がそのまま望遠鏡史と言って良いと思う。様々な収差を軽減するために400年以上かけて、レンズ素材や成形技術、研磨技術、レンズ構成、コーティング技術、接眼レンズ等それぞれに進歩を遂げてきた。
そんな天体望遠鏡の発展史の中で、この如何によく見えるように、という流れから一歩離れた、言い方は悪いがあだ花の様に見える望遠鏡が存在する。
1980年代以降一大ブームを巻き起こしたジョン・ドブソンが手掛けたドブソニアンだ。これは望遠鏡史の中では極めて異色だがエポックメーキングな望遠鏡であることは間違いない。それはこの望遠鏡が、歴史の中で唯一”最高の光学的パフォーマンスを追い求めることを第一義としなかった望遠鏡”だからだ。
望遠鏡のパフォーマンスを決める集光力と分解能のうち分解能を切り捨てた。最高の光学的パフォーマンスを敢えて追い求めない、これは決して日本の製造文化では発生しないコンセプトである。
望遠鏡発展史の中で、この人々が追い求めてきた第一義を払拭したドブソニアンは稀有な存在で、これにより得られたものとは、重い架台をオミットしたことによる”可搬性”と、光学性能をダウングレードしたことによる低価格化(”大口径の普及”)である。そしてこの望遠鏡により多くの天文マニアは、探し求めた暗い夜空のもとで自分自身の大口径望遠鏡を気ままに操りながら深宇宙を存分に楽しめる、という恩恵を受けた。
コールター社のオデッセイが我が家に届いたときにはその簡素かつ大雑把な造りに衝撃を受けた。こんな天体望遠鏡もありなんだと。
分解能を犠牲にし低倍率に限定することで、手軽に持ち運びできる25cm反射が300ドルで買えたのだ。
裏返せば従来の天体望遠鏡は、全てのユーザの誰もが気付かないままの過剰スペックだった可能性もある。敢えて機能を削るという作業は、大袈裟に言えば禅に通ずるもので、シンプルな成立ちに立ち戻った後、不足物を補填していくという手法が功を奏した。事実その後のドブソニアンの発展は、中国メーカの努力もあり、反射鏡の光学パフォーマンスは素晴らしく改善し、経緯台ながら自動追尾システムも装備され、アマチュア天文家が天体観測に使用するに何一つ不自由のない立派な天体望遠鏡としての1ジャンルを確立した。
振り返ってみれば極めて”コロンブスの卵”的発想の望遠鏡だが、大口径化への劇的シフトに貢献したという意味では意義は大きい。