お掃除のプロフェッショナルが紹介されていた。
何事も、極めればアートになる、と思う。
しかし、この「極めよう」と思う、
モチベーションはどこから来るのだろうか?
単なる好奇心とか、そういうものでは
片付けられないものがあると思うし、
それほど多くの人が持っているわけではない
ようにも感じられる。
高いレベルになればなるほど、
そこから一歩先に登るために、
指数関数的なコストがかかるようになる。
これは、一般的な効用逓減の原則だ。
自分を省みると、どうしても
コストパフォーマンスを考えてしまうので、
効用逓減が見えてくると、
そこまでしなくても、まぁこのくらいで、
と思ってしまう。
そこを無視して「極めよう」と思うのは
どういうモチベーションからなのか?
昔々、確か美空ひばりのエピソードとして、
前日の自分よりも少しでも向上したい、
と言っていた、というようなことを聞いたことが
あったのを思い出した。
あるレベルに達することではなくて、
シンプルに、あと一歩前に進むこと、
向上すること自体を
モチベーションにしている
ということか・・・
泳ぎ続けていないと死んでしまう
マグロのようなもので、
向上し続けていないと、生きている
という感じがしないのかもしれない。
これも才能なのか、それとも、
幼い時の条件づけなのか?
自分にとっては、まったく未知というか
縁遠い世界ではあるのだが、それでも、
その結果として現れるもの、アート、に
共感することはできる、というのが
また不思議なことだ、
と思ったときに、
大事なことを思い出した。
でもやっぱり「好きだ」
ということなのだろう。
到達するとか、極めるとか、
向上するとか、それはそれで良いが、
好きだからやる、それで自然に向上する
というのが一番美しい。
だからこそ、感動する、
のかもしれない。
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