日々の寝言~Daily Nonsense~

受動的な人生

踊る阿呆に見る阿呆、
同じ阿呆なら踊らにゃ損々!

確かに、一度きりの人生、踊らにゃ損だ。
踊ると痛い目にも会うけど、
得られるものも大きい。

とはいえ、自らを省みると、
ずいぶんと「見る・聴く・読む」に淫してきたと思う。

仕事、恋愛、結婚、最低限の子育て、以外は、
膨大な時間を「見る・聴く・読む」に費やしてきた。
iPad が来てから、さらに、その比率は増えている。

「仕事」にしたところで、
いろいろと見たものや数字をまとめる、
というような仕事を選んでいる。

20歳くらいでヨーロッパを旅したときに、
これでもう「見る」のはおしまいにして、
「社会参加(アンガージュマン)」するのだ、
と人並みに思ったのだが、それから幾年月を経て振り返ってみれば、
相変らず、何かを見て、聞いて、ぶつぶつと言っているだけ・・・
全く、黒沢明の「生きる」の主人公のようだ。

見てお金を払うことも稀で、
見て宣伝することも、このブログを書くくらいのこと。
好きなアーティストができても、コンサートに行くわけでもなく、
ましてや、ファンクラブに入るわけもなく、
ただ見て、感動して、それで終わり。

見て、感動して、それを絵にする、写真にする、とか、
聴いて、感動して、同じように演奏したくなる、とか、
見て、感動して、同じように運動したくなる、とか、
そういうことが全く無いわけではないが、
まあ、どれにもそれほどの執着は無く、
全く自己満足のレベルにとどまっている。

思えば、小学校の頃から、
成績表には、積極性が少ない、と
書かれていたのだなぁ・・・

「生きる」の主人公とは違って、
このまま終わっても、それが自分の人生だとも思うのだが、
なにか根本的に物足りない気分もあるのは事実。

映画のように、死を宣告されたら、
何か変わるのだろうか?
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