ぐだぐだくらぶ

ぐだぐだと日常を過ごす同級生たちによる
目的はないが夢はあるかもしれない雑記
「ぐだぐだ写真館」、始めました

シカバネをください。 1…死神・沓水良嶺の日常(2)

2007年01月29日 01時28分06秒 | 小説
駅前の路地の外れ、階段を登った先に、目的の名前を見つけた。

扉に紫色の花のマークと共に、「カキツバタ探偵事務所」という文字が見える。

いかにも胡散臭い雰囲気だが、自分の置かれている状況が状況だけに、怪しい場所に行き着いてもそれほど狼狽えなかった。

ノックをしたが、返事は無い。ノブを回すと、ドアが開いた。

「すみませーん……」

中に入ると、ドアの外で想像していたよりも幾らか広い部屋に、机や本棚が所狭しと詰め込まれていた。

机上や床には、分厚い本やファイルの山が並び、資料と思しき紙束が撒き散らされている。

よく見ると、散らかった部屋の真ん中に置かれた事務机に、人が突っ伏している。

「すみませーん」

今度は声を張ってみたが、やはり反応が無い。


……死んでる?


突然ガチャリと音がした。思わず身構える。

見ると、開いたドアの傍で、両手に本を抱えた小学生くらいの女の子が、無表情のままこちらを見ていた。

本のタイトルはやたらと長くて完全に読み取れなかったが、「プロテスタンティズム」という単語が見えた。

対峙するは、制服姿で北斗神拳の構えを取る高校生、沓水良嶺。時間無制限一本勝負。

「……こんにちは」

「こんにちは」

女の子は素っ気ない返事をすると、部屋の真ん中の机へすたすた歩いて行く。

事務椅子に座って眠りこけている人間の傍で立ち止まると、手にしていた本を振り上げ――


スパーン!!


反射的に瞑った目を、恐る恐る開く。プロテスタンティズムの一撃をもろに受けた頭は、それでも全く動きを見せない。

少女は再び無言で本を振り上げる。二撃目。続けざまに、三回目の快音が響いた。

四発目の構えに入った所で、ようやく机の上の頭がもぞもぞと動いた。

「姐さん、お客」

それだけ言うと、少女は部屋の奥へ行ってしまった。


机で眠っていた人間は、うーん、と声を上げ、上半身を反らした。

山積みになった本で隠れて見えなかった長髪が揺れる。

「はぁ……ああ、すいません」

ぼさぼさの髪を掻き上げ、女はよろりと立ち上がった。

葬式に着て行くような、真っ黒でよれよれのスーツを着ている。

ようやく見えた顔には、服のしわと涎の跡がくっきりと残っていた。

「どうぞ、こちらへ……」

テーブルとソファーが置かれた、応接用と思われるスペースに俺を誘導する。

一つ礼をして、ソファーに腰掛ける。

……固っ。何だこれ、ソファーじゃないぞ。

手で探ると、角材のようなものが中に入っている。木製の椅子に革を張っただけだ。

女は眠そうな表情のまま、ソファーにどかりと腰を下ろした。

向こうのソファーは、女の体重で凹みが出来ている。

女は柔らかそうな背もたれに頭を預けながら、大きなあくびをした。


「えー……カキツバタ探偵事務所の、鍔田(つばた)と申します」

テーブルの上に置かれた名刺は、「鍔田 燕」と記された周りを、紫色の燕子花(かきつばた)の文様が囲んでいた。

目の前のダメ人間オーラをこれでもかと纏った女が、本当に探偵だというのか。

そして、名刺にこれほどの繊細なデザインを施すセンスを、彼女が持ち合わせているというのか。

「……で?」

女は面倒臭そうに言う。

「……はい?」

「だから、ご用件は」

「ご用件というか……ここに行けって言われたから、来たんですけど」

「ご紹介で来られたのは分かりました、ご依頼内容をどうぞ」

「いやだから、カキツバタ探偵事務所へ行けって言われたんですよ、ナツキに。

鍔田さん、ナツキから何か聞いていませんか?」

鍔田は壁に掛けられた時計を見る。五時二十五分を指している。

「そんな話は知りません」

「そんなはずないですよ、話はつけておいた、って言ってましたよ」

鍔田は腕を組んで考え込んでいる。

腕組みした体勢のまま、瞼が徐々に閉じて行き、首がかくんと落ちた。

「姐さん、この人、ナツキ姐さんが言ってた人じゃないの」

さっきの少女が、コーヒーを両手に持って立っていた。

「どうぞ」

テーブルにコーヒーが置かれるが早いか、鍔田はカップを手に取り、一口すすった。

「あっ、そっちはお客さんのやつ……」

鍔田は少女と目を合わせると、カップを下ろし、ソーサーごと俺の前に差し出した。

……いやいや、あんた今口つけたよな。

「僕、こっちでいいですよ」

奪い取られない内に、もう一つのカップを手に取る。湯気が顔にかかる。

鍔田は不服そうな顔で、客用に入れられたコーヒーをもう一口飲んだ。

「……甘くない?」

「お客がお客だから」

客が子供だから、と言いたいのか? まさか、小学生に舐められてるのか、俺。

少女を睨みながら、コーヒーを口に運ぶ。

……苦っ。

「ほら、今日の五時に、例の件の手伝いで行かせるからって」

鍔田はまた時計を見上げる。五時二十六分。

「今は五時じゃないわ」

「あっ……すいません、道に迷って、遅れちゃいました」

鍔田は表情を曇らせる。

「そういう事は、最初に言うのが社会の常識よ」

それはもっともだが、あんたもさっきまで熟睡してただろ。


鍔田は立ち上がり、事務机の上の資料の山を漁り始めた。

コーヒーを持ってきた少女は、いつの間にか部屋から姿を消していた。

「念のため、事前にもらった情報と照らし合わせて、本人かどうか確認させてもらうわね」

一枚のA4サイズの資料を手に、ソファーの前へ戻って来た。

「これから幾つか質問をするから、答えてね」

「はい」

「名前は?」

「沓水良嶺」

「生年月日」

「××年の、六月五日」

「年齢」

「十七歳」

「家族構成は?」

「妹が一人、両親はいません」

「通っている学校は?」

「市立湖之岸高校の三年です」

「好物は?」

「マグロ、特に赤身」

「じゃあ、嫌いな物は?」

「……キュウリ」

「好きな色は?」

「黒」

「好きな女性のタイプは?」

「少し意地悪な年上」

「趣味は?」

「通販」

「特技は?」

「薙刀」

「好きな動物は?」

「インコ」

「好きな花は?」

「ヒガンバナ」

「理想のバストサイズは?」

「D……いや、E寄りのD」

「エロ本の隠し場所は?」

「本の類は持ってません、パソコンに入ってます」

鍔田は小さく頷き、ソファーに腰掛けた。

「……よし、そのスラスラと答える感じは、多分間違いないね」

「ちょっと待って下さい、そんな事まで書いてるんですか」

「会話の流れで情報を引き出すのは、探偵の基本よ」

「……」



「さて、悪ふざけはこの辺にして」

目の前に置かれた真っ白なA4用紙に絶句する俺を尻目に、悪徳探偵は切り出す。

「はい、これ書いて」

鍔田はいかにもかったるそうに、一枚の紙とペンを取り出した。履歴書のようだ。

「……何で履歴書?」

「一応、うちの職員って体で協力してもらいたいから」

「探偵のバイト、って事ですか」

「そそ。まあ、時給は0円だけどね」

ブラック企業……いや、ブラック探偵社だ。

「そんな顔しなくてもいいじゃない、冗談よ冗談。ほら、さっさと書く!」

ボールペンを押し付けようとする鍔田の前に、ギプスが巻かれた右手を差し出す。

「これ、見て分からないんですか?」

「見れば分かるわよ。でも君、左利きじゃなかったっけ」

ナツキの奴、どうしてそんな微妙な情報だけこいつに与えてるんだ。

仕方無く鍔田からボールペンを受け取り、書き込みを始めた。

「ん~?」

鍔田がわざとらしく顔を近づけ、声を漏らした。

「これ、何て読むの?」

氏名の欄に書かれた「良嶺」を差して、指をせっかちにトントン鳴らす。

「ナガレ、です」

「ナダレ?」

「山岳部の斜面上に降り積もった雪が重力の作用により高速度で移動する自然現象(Wikipedia)ではなくてですね。

川のナガレ、とかのナガレです。ナ・ガ・レ」

「ナガレ? 読める訳ないじゃない、そんなの」

「文句なら、俺の親に言って下さい」

「君の親御さんのセンスを詰るつもりは無かったんだけど……。ほら、ちゃんとフリガナも書きなさい」

見落としていたフリガナの欄を埋める。次は……なんだこれ。

「この学歴・職歴って、書く必要あります?」

「私、人の学歴とか見るの好きなんだよね。見下せるし」

見下される程度の学歴をちまちまと書き込む。次の欄、"免許・資格"。

「……薙刀三段って、資格に入りますか?」

「アピールになるなら、書けばいいんじゃない」

アピール……「どうだ、三段だぞ、強いんだぞ!」か。

最後の欄。恐らく、誰もが最も頭を悩ませる場所。

「志望動機とか、そもそも無いんですけど」

「そうね、私が感激で打ち震えるような事を書いてちょーだい」



文字で埋められた履歴書を受け取ると、鍔田は満足そうに懐にしまい込んだ。どうか彼女が詐欺師でありませんように。

「これで君も、めでたくカキツバタ法律事務所の仮職員ってわけだ。じゃ、本題に入りましょうか」

鍔田の目付きが心なしか鋭くなった。

「一か月程前に、私の事務所に依頼が来たの。人探しの依頼ね。

三年前に音信不通になった友人を探してほしいって、二十代後半の男の人が」

探偵って、本当にそんな依頼が来るものなのか。飼い猫を探すくらいが関の山だと高をくくっていた。

「その依頼を、どうして僕が手伝うんですか」

「違うわ、もう依頼は解決したの」

「……どういう事ですか?」

「一週間くらい探したんだけど、その友人さん、家族もいなかったから、足取りがほとんど掴めなかったの。

三年前に住んでたマンションから、夜逃げみたいに姿を消したっていう大家さんの話が、時系列では最後の情報ね。

でも、彼の当時の職場を訪ねて調べてみたら、ちょうど彼が行方不明になる数日前、その会社のパソコンから、

とあるサイト上に、複数人で自殺を計画しているような内容の書き込みがなされていた事が分かったの」

自殺。その単語に過敏に反応してしまうのが、自分の事ながらどうにも憎らしい。

「この事を依頼人に報告して、集団自殺を仄めかしている以上、友人さんはすでに自殺しているかもしれない、と言ったら、

もう調査は続けなくていいって、あっさり依頼を取り下げてしまったわ」

「身寄りの無い人が、誰に知られる事も無く死んでいった、という事ですか」

「そんな所ね。君も、家族は大切にしなさいよ」

緩利一家は俺の家族と言って良いのだろうか、という疑問が頭をよぎった。

「まあ、人生の教訓はそこそこにして、今から私たちは、この失踪した人間の死体を探して、回収しようというわけ」

ようやく話が繋がった。なるほど、俺が呼ばれるのも当然だ。

「でも、いいんですかね、それ。依頼者に断りもなく」

「依頼してきたのは家族でも何でもない、ただの友人さんよ。それに、依頼も取り下げられてる。後はこっちの勝手」

「探偵が、依頼者の情報利用しちゃまずいんじゃ……」

「そんな規定、うちの事務所の契約書には無いわ」

……どうにかして、さっきの履歴書を取り戻さなければ。



「ところで……鍔田さんも、俺と同じですか?」

「何が?」

「ナツキに使われてるというか、拾われたというか……」

「君は拾われて使われてるもんね」

「奴隷みたいに言わないで下さいよ」

「その点、私は人権と尊厳を兼ね備えた立派な人間よ」

「……僕には人権も尊厳も無いって言いたいんですか」

鍔田は憐れむような視線を向けてくる。何だ、やめろ。

「私はただの人間だけれど、事情は全部知ってるわ。一応、特例って事になるのかな。

でも、『あいつら』に協力する事が条件になってるから、君と大して変わらないわね」

「変わりますよ。僕はもう、ただの人間とは言えないし」

鍔田は変な物を見るような目つきになる。言い方がまずかったかな。

「あと鍔田さん、もう一つ聞きたいことが」

「さっきから言おうと思ってたんだけど、『鍔田』じゃなくて、下の名前で呼んで頂戴」

「え? あ、はい……」

どういう風の吹き回しだ。スパイ映画でよくある、「君と私は、今日からパートナーよ」的なアレか?

「じゃあ、えっと……燕さん、さっきの妹さんは、事情とか分かってるんですか?」

鍔田改め燕は訝しげな表情で首を傾げたが、すぐに合点がいったように顔を上げた。

「ああ、湊(みなと)ちゃんの事ね。あの子は妹じゃないよ。『姐さん』って呼ぶから、勘違いするのも分かるけど」

「……じゃあ、娘さん?」

「そんなに年食ってないわよ」

いやいやあなた、古井戸から出てきそうな風体してますよ。

「まあ、あの子はここの座敷わらしみたいなものね。マスコットみたいな感じ」

この探偵事務所には妖怪しかいないのか。

「質問に答えておくと、湊ちゃんにも当然話は通ってるわ」

「それならよかった」

燕は目を細め、身を乗り出してきた。もはや這い出て来た亡霊にしか見えない。

「……まさか、それを聞きたかっただけ?」

「はい、もう大丈夫です。安心しました」

燕は大きく溜め息をつき、背もたれに倒れ込んだ。埃が舞う。

「さっきから機密事項をベラベラと話しておいて、今更その質問をする神経を疑うわ……。

ひょっとして、クラスの友達にうっかり話したりしてない?」

「いやいや、流石にそこまで不用心じゃないです」

「そう? 顔を見る限り、思い当たる節がありそうだけど」

「まさか、そんな訳無いじゃないですかー」


足を組んで座っていた燕は、首を大きく一回転させ、よろよろと立ち上がった。

改めて見渡すと、ごちゃごちゃしているように見える資料の山も、分類して積み上げてあるようで、

整理が行き届いていないというよりも、多くの物が溢れすぎていて部屋に収まり切らない、といった印象を受ける。

さっきの湊とかいう子は、個室に籠ったきり物音一つ立てない。

他に勤めている人がいそうもないし、燕一人、もしくは二人だけで、これだけの仕事をこなしているのだろうか。

……いや、こんな辺鄙な町の一角にある探偵事務所に、そんなに依頼が舞い込む訳が無いよな。

「何をキョロキョロしてるの」

いつの間にか、燕はソファーの前で身を屈めていた。

燕が渡してきた紙には、幾つかの住所と共に、「万木 優慎」という名前が記されていた。

「えー……ま、まん……ぎ……?」

「『ゆるぎ』って読むの。ユルギユウマ。今から私たちが探す、行方不明の男の名前」

「ゆるり」と似ているのが何となく気分が悪い。いや、気分が悪いというのは相手方に失礼か。

「それじゃ、これからの具体的な計画を立てましょうか。明日からゴールデンウィークで、学校も休みでしょう?

目標は三日以内、子どもの日までに片付ける。七日の土曜日は打ち上げの予定だから、空けておいて」




扉から出ると、外はもう薄暗くなっていた。

「具体的な計画を立てる」とは言ったものの、既に彼女が立てていた予定を延々と聞かされただけで、

俺に関する予定といえば、「三日後、もう一度この事務所に来る」という事だけだった。

調査は探偵の領分だから、門外漢の俺が関わる必要は無い、という事か。

……つまり、俺はこの探偵事務所に、死体回収業者として雇われた事になるのか。


階段を降り、大通りに出た所で、ポケットの中で電話が鳴り出した。

……緩利か。

「あー、今から帰る。心配しなくていいって言っといて」

『良嶺くーん、まだ駅前にいるー?』

「……いるけど」

『湖ちゃん、まだ帰ってきてないのー。 迎えに行ってきてー!』

「……また?」

『じゃ、お願ーい』

「……」

……あっ、切れてる。


電灯の点き始めた大通りを西に進む。山の際がまだほんのりと明るい。

湖の事だから、どうせスーパーの前のゲームセンターだろう。

アイツの時間を忘れて熱中する癖も、そろそろはっきりと注意したほうが良さそうだ。

樹海の不審者はいいとして、今朝は市街で不審な人物がいたらしいって、先生が言ってたような……。

俺には関係無い話だが、兄としてたった一人の家族をないがしろには出来ない。

……「家族を大切にしろ」か。ちょっとくすぐったいな。


少し歩いた所で、人通りもほとんど無い歩道の向こうに、誰かが立っているのが見えた。

その人影が俺の気を惹いたのは、他に人が全くいなかった、という理由もあるが、どうもこちらをじっと見ているように感じたからだった。

近付いて行くと、その人物の姿がはっきりと見えてきた。

一人の少女。

まるで人形のような真っ白な肌、透き通った亜麻色の髪……一言で表すなら、妖精という言葉がしっくり来るだろうか。

だが、彼女のそういった身体的特徴を分析できるのは、俺が彼女の姿を見慣れているからであって、

何も知らない人が見たなら、真っ先に彼女の服装について言及するだろう。

……どうコーディネートしたら、帽子から靴まで全身ユニオンジャックになるんだ。


ユニオンジャックの少女は、俺が目の前まで来ると、にっと歯を出す。

何こいつ、夜中にくいだおれ人形みたいな格好でニヤニヤして、気持ち悪い。

「やあ良嶺ちゃん、おひさ~」

名前を呼ばれた気がするが、気のせいだ。そうだ気のせいに違いない。

そんな事より、早く湖を迎えに行かないと。

「ちょい待ちーや、無視すんな!」

早歩きになった俺を追いかけて、少女は俺の隣に付く。

「何や良嶺ちゃん、ちょっと会わんうちに薄情になったんやないか?」

「近付くな、知り合いだと思われる」

「冗談きついなあ、知り合いやろ~、うちら」

腕に手を回してくる。払い除け、小走りで距離を取る。

「どうしたんよ、何怒っとんのや」

「……その格好、何だよ」

「ああ、これか? この一週間、イギリスの方の研究所に視察に行ってきたんやわ。

身も心も、本場さながらのブリティッシュガールになって帰ってきたで」

「今すぐイギリスに戻って、本場のブリティッシュガールに土下座して来い」


少女は、俺の後ろにぴったりとついて来る。関西弁も相まって、もうくいだおれ人形にしか見えない。

「で、どうやった?」

「何が」

「行ってきたんやろ? 燕と湊んとこ。話はついたんか?」

「……あの悪徳探偵、何者?」

「燕か? むふふ……ナツキの、おねーさん」

「!?」

「なーに目丸くしてんの、『ナツキ』ってのはこの子やで、鍔田夏希。うちの身体」

ナツキは、自分の顔をつんつん指差す。

「燕は、色々あってうちとつるんでるんや。ええ奴やったやろ」

「いや全然」

「久々に、湊のコーヒーも飲みに行きたいなあ。飲んだか?」

「それより、ちょっと疑問に思うんだけどよ」

「話の腰を折るなや、今はコーヒーの話しとるんや」

さっきのコーヒーが手元にあったら、顔にぶっかけてやりたい。

「コーヒーは美味かった。しかもコーヒーを飲んでたら、何だか頭が冴えた気がして、ある事に気が付いた」

「おっ、何や? 言うてみ」

誘導成功。ちょろい。

「自殺して三年も経ってるんじゃ、死体を見つけても、骨しか残ってないんじゃないか?

そんな死体で、研究なんかできるのかよ」

言い切った後で、はっと周りを見渡した。誰もいない。車道には、ヘッドライトが点々としている。

「あー、それなら心配いらん。今回のは研究用じゃなくて、人間の身体を確保するのが目的やからな。

人間の身体は、下手に使うたら、死んだ奴の身内に見つかったりするやろ?

せやから、身寄りが無くて、しかも知り合いもほとんどおらん人間の身体ってのは、うちらが使うにはもってこいの貴重品っちゅー訳や」

俺はナツキの全身を舐めるように見た。貴重品、ねえ。

「宇宙人に自分の妹を品物扱いされて、燕さんも可哀想にな」

ナツキは険しい表情になる。

「宇宙人、って言い方はやめろって、何度言えばわかるんや?

知性のある生命体が、みんな人間みたいな姿形してるわけやない。うちらやってそうや。

そうやって自分らの価値観を押し付けたがるのが、人間のあかんとこやなぁ。せやから、いっつも戦争ばっかやっとるんやろ」

「人間の歴史まで引っ張り出して叱られる筋合いは無い」

「他に、ええ呼び方無いんか」

「それじゃ……『地球外生物』ってので、どう?」

「『地球外』ってとこが自己中やけど、まあええわ。で、妹を品物扱い、やったか?

別にそんな意味で言うた訳やない、言葉のアヤ、って奴や」

「宇宙人ってのも、言葉のアヤだよな」

ナツキは返事をしない。聞こえなかったのか、聞こえないふりをしているのか。


ナツキは俺の右腕のギプスを指差す。

「その腕、どーした?」

「ああ、これね……先週樹海で人に見つかりそうになって、慌てて崖から飛び降りたら、この通り」

「見つかりそうになった」ではなく、「見つかった」が正しいのだが。

「そうか、災難やったな。明日にでも新しいのに替えたるわ。暇な時に来てええよ」

「それはありがたいんだけど、お前がいない間に医者に連れて行かれたから、何度か通院しなくちゃならないんだ。

次の診察で急に完治してたら、いくら何でも不自然じゃないか」

「あー、それもそやな。じゃ、しばらく我慢してくれるか。痛みも感じないんやし、回収作業には支障無いやろ」

ナツキは、大きめのベレー帽を目深に被り直した。

「まあ、とにかく頑張ってくれや。報酬は弾むで」

「……はいはい」

ユニオンジャックの妖精は、緑の光に包まれ、姿を消した。

街灯が照らす大通りには、車一台通っていなかった。





→(3)へ続く

シカバネをください。 1…死神・沓水良嶺の日常(1)

2007年01月14日 18時32分49秒 | 小説
案の定、週明けの3年D組の教室は、「樹海の死神」の話題で持ち切りだった。

だが俺の予想に反して、話の中心にいるのは「死神」本人ではなく、緩利、雁瀬、鈎の凸凹3人組だった。

今時都市伝説など流行らないものだが、それが現実味を帯びてくると、食いつく人間も増えてくる。

というのも、彼女たちが披露した情報は、「樹海で、長物を持ったフード姿の男を見た」ということだけで、

ある程度の常識を身に付けた高校生には、「死神」といったオカルトめいたものよりも、自殺名所を徘徊する「不審者」と捉える方が、しっくりきたようなのだ。


「旭ちゃんたち、どうしてあんな所に行ったの……?」

「大した理由じゃないよ、ちょっと興味があっただけさ」

「ユカリもぉ、旭ちゃんについて行くならいいかなーって」

「私は……なりゆきで」

「大丈夫だった? 怖くなかったの?」

「んー、思ったほどじゃなかったかな。迷うこともなかったし。途中に滝とかもあって、ピクニックにはちょうどよかったよ。

帰る途中で日が暮れちゃったのは、さすがに想定外だったけど」

「さすが旭ちゃん、頼りになる~」



「おーい、聞いてんのか、良嶺」

机の下から、陌間(はざま)の顔が目の前にぬっと出てきた。

その顔があまりにも憎たらしく、無視を決め込もうとしたが、その場から退く様子が見えないので、仕方無く返事をした。

「聞いてない、もう一度頼む」

「……いや、『よう』って言っただけなんだけど」

「それなら肩でも叩けよ」

「……だって、それ」

俺の右腕に巻かれたギプスを指差す。

「ああ、これね……転んで折った」

「転んで? 何だそりゃ、死にかけの爺さんかよ。墓ならいつでも用意するぞ」

陌間の腹に右ストレートが刺さる。

「おふっ……ってお前、腕大丈夫なのかよ」

渾身の力で振り抜かれた、右腕のギプスを慌てて庇う。

「あっ……痛い、痛いなあ、痛いなあー」

「痛みも感じない程ボケてるのか……そろそろお迎えも近そう」

無慈悲な左ボディ。


「はいはい、体張るのはもういいよ、ドM君」

陌間と対照的な澄んだ声が、後ろから聞こえてきた。

「誰がドMだ、この変態が」

「変態かあ、嬉しい事を言ってくれるね」

残念、相手がドMだった。

「それはそうと沓水、さっきからずっと女の子の方ばかり見てるけど、どうしたの?」

振り返ると、文室(ふむろ)が爽やかな笑顔で女子グループを眺めている。

「んー、別に」

「僕のオススメは押谷さんかなあ。顔もいいし、身長もお前と比べてもちょうどいいし」

「なあ、今雁瀬とかが話してたの、聞いてたか」

「雁瀬さんかあ、意外だけど、なかなかいいセンスだと思うよ。

男っぽいから敬遠されがちだけど、すごく整った顔してるもんね。何よりスタイル、特にあのたわわな……」

「人の話を聞いているのかな、変態くーん」

「また変態……今日は朝からアクセル全開だなあ」

誇らしげな顔で腕を回す。ツッコミを入れる気にもなれない。

「そんな事じゃなくて、あいつらの話の内容の事を聞いてるんだ」

「そんな事? 何言ってんの、青春に花を咲かせる話題じゃないか。それをそんな事だなんて、生きてて楽しいの?」

……ここで怒っても何ら咎められはしないだろうけれど、腕を振り上げる気力はもう残っていない。

「楽しいぞー、ゆるふわ系同級生とのひとつ屋根の下共同生活は」

文室の目付きが変わった。陌間はそれに気付かない様子で、腑抜けた声で言う。

「あー、そういえばお前、緩利の家に住んでるんだもんな」

「クソっ、同級生で、しかも離れた親戚の女の子と衣食住を共にするなんて、僕にもそんなラブコメ展開が欲しい……」

「いや、食住は共にしてるが、衣は共にしてない」

「沓水くん! どうすればいい、どうすれば僕もクラスの女の子と同居できるんだ!!」

クラスの男の子に何を訊いているのだ。

「……結婚でもすれば?」

「結婚……? ハッ、まさか……そういう事か」

文室は口に手を当て、俺を驚愕の眼差しで見ている。なんか誤解されてる。

「いやあ、悪い悪い。それなら、僕の話に興味を持たないのも当然だ」

文室は頭を掻きながら表情を緩めた。なんか納得されてる。

「それはそうと、何だっけ? 沓水くんの質問は」

質問されている自覚はあったのか。

「さっきから、雁瀬とかが話してた事だよ。死神がどうとか」

澄まし顔で言う死神の顔を見据えて、文室は頷く。

「樹海の死神、だっけ? それがどうかしたの?」



湖之岸市の南部には、湖之岸樹海と呼ばれる森林地帯が広がっている。

古くから人の手が加えられていない自然豊かな地であり、

湖之岸市全体が起伏が激しい石灰岩地帯であることもあって、大きな滝や鍾乳洞も点在している。

数年前には、この一帯を世界自然遺産に登録しようと、自治体が働きかけた事もあった。

その際、湖之岸樹海は全国的に有名になったのだが、手つかずの自然のイメージと同時に、

入り組んでいる、常に薄暗い、おまけに手頃な木や崖が無数にあるという、三拍子揃った自殺名所としての知名度も急激に上がってしまった。

一時期は毎日1体、時には複数の首吊り遺体が発見されていたこともあり、湖之岸市の印象はガタ落ち、宣伝活動を進めた市長の支持率も急降下した。

結局、世界遺産登録を目指す運動は頓挫し、以後は自殺名所のイメージだけが残っていた。


事の発端は、去年の年末頃から、樹海で自殺遺体が全く発見されなくなった事だった。

普通なら喜ぶべき事なのだが、自殺者が増加する年の瀬に、突如として自殺者が一人たりとも現れなくなったのは、余りにも不自然に思われた。

土地所有者が調査を行った所、樹海のあちこちで、太い枝が刃物のようなもので切り落とされているのが発見された。

行政は、自然保護の観点から一時樹海への立ち入りを禁止したが、枝が切り落とされる事件はその後も度々起こった。

2ヶ月後、自治体は無意味と判断し立ち入り禁止を解除した。当然、それ以降も死体が見つかることはなかった。

そんな中、想像力逞しいどこかの誰かが、「死神が首吊り遺体を枝ごと持ち去っているのでは」などと言い出したのだ。

突拍子も無い話なのだが、この説はここ数か月の現象をぴったりと説明できるものであった上、

「樹海で鎌のような長いものを持った人影を見た」という目撃情報が複数出たことで、

「樹海の死神」の噂は、小中学生を中心に瞬く間に市内に広がった。



文室は興味が無いと言わんばかりに爪を弄っている。

「オカルト話は嫌いじゃないけど、物騒なのは関わりたくないってのが本音だね。

だって、人が首吊ったり崖から飛び降りてる場所に、今度は不審者でしょ? 治安はどうなってるんだか。

それに昨日隣の市で、人の腕が見つかったとか……」

「えっ、マジ? 怖くね?」

「今朝の新聞に載ってたな、それ」

「良嶺、新聞とか読むのか? 意外だな」

「緩利の弟が毎朝読んでるから、嫌でも目に入ってくるんだ」

「興味が湧くのも分からなくは無いけど、危なっかしい事はするもんじゃないよ。君子危うきに近寄らず、ってね」

「君子にしては、欲望に従順すぎるんじゃねーの」

「何言ってんのさ、思春期は欲望塗れなくらいがちょうどいいんだよ」

……欲望塗れなのは認めるのか。


教室の前の方から、ガタガタっと音が聞こえてきた。

「先生来たみたいだな」

文室は二つ隣の席に座る。陌間は慌てて一番前の席へ走って行く。

そして前には、俺の視界を遮る長身。

「沓水君、今日の数学、どこからだっけ?」

教えた所で、どうせ寝てるだけだろう、雁瀬。




「ゴールデンウィークの宿題、少なくて良かったよ。今日帰って終わらせそうだ」

帰り道での文室は、普段より妙に真面目に見える。

いやそうじゃない、帰り道なんかは関係無く、周りに女がいなけりゃ、こいつは至って真面目なただのイケメンだ。

「ゴールデンウィーク、なんか予定あるの? 旅行とかさ」

「んー、ちょっと忙しいからな」

「何? バイトでもやるの」

「まあ、そんな感じだ」

「へえ、よくやるなあ。僕、バイトとかした事ないから。面倒臭くないの?」

バイト先で女の子と知り合えるかもよ、とでも言えば、すぐ始めそうだけどな。

「それで、今日はどうしたのさ。緩利さんの家、こっちと反対方向じゃなかったっけ」

「ちょっとな、今日は駅前の方に用があるんだ」

「デート?」

「どうしてすぐそうなる」

「じゃあ、女の子と会うの?」

「同じじゃねーか」

「じゃあ、男と……!」

「誰かと会う事しか頭に無いのか、お前」

「当たり前じゃん」

「……」

「じゃ、僕こっちだから。どんな人だったか、また話聞かせてよ」

「……」

「あっ、右腕、お大事に」

「……おう」



街を歩く。この辺りに来るのは久しぶりだ。

緩利家に来てからは、樹海近くの所謂「田舎ゾーン」ばかり徘徊していたから、駅前は土地勘が無い。

しかも、俺は目的を持ってここに来た癖に、その目的を、俺自身はっきりと知らないのだ。


「確かこの辺りに、ファミレスがあるはず。そこを北に曲がって……」

ファミレスなんてない。

「いや、違うか? その先のドラッグストアの角だった気も……」

北に曲がる角がない。

「でも、さっきゲーセンの前を通り過ぎた所だから、まだ先か……?」

………………。

よし、迷った。

道の無い樹海では迷ったことが無いのに、街中で迷うというのもおかしな話だ。

どうしようか。交番に行って聞こうにも、交番の場所が分からない。

仕方が無い、さっきから背後についてる、あいつらに聞いてみるとするか。


「おーい、とっくに気付いてるから、出てきてもいいぞ」

建物の陰で、縦に並んだ三つの頭がわかりやすくビクッと動いた。何やら小声で話している。

「ば、バレてるよぉ」

「もうやめませんか、こういうコソコソしたことは……」

「いや、気付いてるっていうのは僕たちの事じゃないよ、きっと……」

「名前を呼ばれたら返事をして下さーい。雁瀬さーん」

「……市内に、雁瀬っていう家が他にもあったはずだから……」

「もしもーし、雁瀬旭さーん」

「……はい」

とうとう観念したようだ。175cmオーバーの長身が、歩道に姿を現す。

「次、緩利由さーん」

「はーいっ」

元気に飛び出す。お前は小学生か。

「あと、鈎……何だっけ」

「珠乃(たまの)、です」

小学生のような体格をした少女は、自ら日の当たる場所に出て来た。

「慎重に尾行していたつもりだったんだけど……流石は沓水君、ストーカー対策も万全なようだね」

「残念だが、ストーカー被害を受けた経験も、今後受ける予定も無い」

そりゃ、三人でちょこまかと背後を動いていれば、誰だって気付く。


「で、何だ? どうして俺をつけ回す」

「理由か? そうだね、大した事では無いんだけれど……」

「死神さんの日常を、探るためなのです!!」

緩利のふわふわボイスに、目の前が真っ暗になる。やっぱりバレてんじゃねーか。

「いや、まさか『樹海の死神』の噂が事実だったとはね……しかも、死神の正体がクラスメイトときた。

これは、知的好奇心をくすぐられずにはいられないじゃないか」

「……それなら、どうして教室であんな曖昧な言い方したんだ」

「君だって、言われたら困るんじゃないのか」

「それはそうだけど……」

「沓水君のような真面目で小動物のような男の子が、理由も無くあんな真似をするとは思えないからね。

何か深~い訳があるのだろうと、様子を見させてもらっていたのさ」

「……私は、通報しようと思ったのですけれど」

「ユカリと雁瀬ちゃんで、説得したんだからねー、感謝してよっ」

どうやら鈎以外の二人は、恐怖心や倫理観よりも、好奇心の方が勝るタイプの人間らしい。


雁瀬は大袈裟な身振り手振りを交えながら、さらに語る。

「僕は沓水君を信頼しているし、困っているなら協力する事にもやぶさかではないんだが……

とにかく、バレてしまったからには仕方が無いな。じゃ、率直に聞くよ」

振り下ろされた雁瀬の人差し指が、俺の顔を指して止まる。


「何故君は、あんな人の道草を食うような真似をしていたのかな」


「……?」

「?」

「えっと、じゃあまずはその決め顔とポーズをやめようか」

「よし、やめたぞ」

「今の台詞だけど、もしかして『人の道を外れた』って言いたかったのかな?」

「ん? ああ、そうそう。それだそれだ」

「何で俺が訂正しなきゃならねーんだよ……」

「沓水君! 何故君は、あんな人の道を外れた真似をしていたのかな」

「何事も無かったかのようにに言い直すな」

「誰にでも、間違いの一つや二つや三つあるだろう?」

「三つも間違えてたら、伝言ゲームじゃ致命的だけどな」

「間違えちゃった、てへっ」

「安心しろ、全然可愛くない。あとキャラぶれてる」


「……とにかく沓水君、君が首吊り遺体を持ち去ろうとしていた理由を教えてくれ。僕達が納得できる理由を」

最大の見せ場を潰された雁瀬は、我に返ったかのように男口調に戻る。間違った方向に刺激してしまったか。

「理由? 知らねーよ」

「知らない?」

「頼まれてやってるから、理由は知らない、以上。それじゃ、急ぐから」

歩き出そうとする俺の左腕を、雁瀬が引き寄せる。

「待ちなよ、説明になってないぞ」

同級生の女の子に腕を掴まれる、と言うと聞こえはいいが、

自分より体格の優れた相手に腕を引っ張られるとなれば、話は別だ。

「納得できる理由を、と言ったはずだけど」

そんなもん、俺が教えて欲しいくらいだ。

「仕方無いだろ、俺が言える事はもう無い」

「頼まれた、と言ったな。誰だ?」

腕を握る手に力がこもる。

「誰か聞いたところで、分からないだろ。あと、あんまり強く握るな」

雁瀬は手を放そうとしない。

「質問に答えるまで、放さないよ」

雁瀬の背後で、鈎が携帯電話を掲げている。

「……警察に通報しても、いいんですよ」

「……それだけは止めて下さいお願いします」


「雁瀬ちゃん、もう止めてあげようよ」

雁瀬の背中に、緩利がひしとしがみついてきた。

「でもゆかりん、理由を聞かなきゃ、僕は犯罪者を野放しにして置く訳には」

「良嶺くんは犯罪者なんかじゃないっ」

「いや、でもこの前の夜見ただろう、沓水君が……」

「犯罪者なんかじゃないっ!!」

人通りの少ない通りに、緩利の声が響いた。辺りが水を打ったように静まり返る。

気圧されたのか、雁瀬は渋々手を離した。緩利は途端に柔らかい表情に戻る。

「何か、深ーい訳があるんだよ、きっと。ね、良嶺くん?」

俺はほっと胸を撫で下ろし、頷いた。

そうだ。緩利は俺と生活を共にしているにも関わらず、この週末中、金曜の夜の話をする事は一切無かった。

初めから、彼女は俺を疑ってなどいなかったのだ。


「……それじゃあ、質問を変えよう。沓水君、君は今からどこへ行くんだ?」

「何だ、懲りないな。もう質問に答える必要は無いだろ」

「急に態度が大きくなったな……どうかな、ゆかりん」

緩利はにっこり笑った。その天使のように無垢な笑顔を見ていると、さっきまで内心びくびくしていた自分が馬鹿らしく思えてきた。

純粋な人間ほど、頼もしい味方はいない。俺には初めから、天使が味方についていたんだ。ゆかりんは天使なのだ。

「ユカリも気になる! どこ行くの~?」

えっ。

「……ということだそうだ、答えてやってくれ」

「ちょっと待てゆかりん……じゃねえ、緩利、お前俺の味方じゃなかったのか」

「えっ? ユカリ、変なこと聞いたかなぁ?」

緩利は戸惑った様子で、俺の顔を窺っている。

よく考えてみれば、雁瀬は「今からどこに行くのか」と聞いただけで、普通ならば答えに詰まるような質問ではない。

「……つまり、今沓水さんが向かっているのは、金曜日の一件と関係がある場所なのですね」

二人の背後で、鈎が小さく呟き、眼鏡をくいっと上げた。しまった、ブレーンはあいつか。

「……ああそうだよ、俺に死体を集めるように頼んだ奴が、ここに行けって言ってきたんだ」

ポケットから地図が描かれたメモを取り出し、ちらつかせる。

紙を掴もうと雁瀬が手を伸ばしたのを見て、紙を引っ込めた。

「どうしても教えてくれないようだね」

雁瀬は不満そうに言う。

「頼む、これ以上踏み込んで来ないでくれ。お願いだ」

これでもかという角度で頭を下げる。通行人の視線を感じるが、それは雁瀬達も同じ事だ。

これでダメなら、最後の手段に訴えるしかない。

頭上から、大きな溜め息が聞こえた。

「わかったよ。そこまで言うなら、今日は引き下がろう」

全身の力が抜けた。渡る世間に鬼は無し。俺の友人も鬼では無かったようだ。

「但し、いつか話せる時が来たなら、その時は包み隠さず話してくれ。それだけは、約束してくれるか」

「ああ、約束する」

そんな時が来るとは思えないけどな、と言いかけたのを、俺はぐっと抑え込んだ。


「じゃ、俺は急ぐから。緩利、暗くなるまでには帰るって、お母さんに言っといてくれ」

緩利は頷き、手を振る。

その隣で、鈎が疑惑に満ちた凄まじい表情をしていたので、俺は慌てて背を向け、走り出した。

さて、時間を食い過ぎた。早くこの地図の場所に向かわなければ。

……あっ。

肝心な事を思い出した俺は、Uターンして三人の元へ戻った。

揃って首を傾げる三人に、地図が描かれた紙切れを手渡す。

「あの……この『カキツバタ探偵事務所』って、どこだか分かるか?」





→(2)へ続く

シカバネをください。 1…死神・沓水良嶺の日常(0)

2007年01月09日 14時26分37秒 | 小説
突然だが、一つ考えてもらいたい。

何故人間は、人の死に恐怖し、忌み嫌うのだろうか。


そりゃあ、人間だって動物なのだから、生き残るために死を避けたいと感じるのは当然だろう。

あるいは、他の個体の死を目の当たりにすることで、ヒトに残された僅かな野性が、危険を知らせているのかもしれない。

動物と比べるなら、人間社会は、直接触れる事のできる「死」からあまりにもかけ離れている。

一般人が死と関わりを持つのは、親族の看取りと、葬式の時くらいだろう。

その葬式も、堅苦しい儀式によって、生々しい死の空気を誤魔化しているように思えてならない。

死という未知の存在に対する恐怖に怯えながら、死を知ることすら避けたがる、矛盾を抱えながら生きるのが人間だ。

だから、死を目にする事の無い日常では、人の死体は否応無しに特異なものに映る。時にグロテスクに、時に鮮烈に。

逆に言えば、死の実体すら知ろうとする好奇心を持った人間、もしくは「死を知る者」にとっては、死は恐怖に値しない。

そして、そもそも「死」という概念を持たない存在は、死を恐れるどころか、関心を抱くことすら無い――

大げさな例えをするなら、机や椅子が死を意識するなんて、まるで無いのと同じ事だな。

つまり、死を不気味なもの、忌むべきものとするのは、人間社会の教義が背景としてあるのであって、

死を誰もが忌避する対象として考えるのは、全く以て的外れな話だ。


……どうして俺がこんな堅苦しい話を持ち出したのかと言えば、

俺自身が半年前、「ナツキ」と名乗る少女にこんな感じで説明を受けたからだ。

今みたいに、本当に唐突に、何の脈絡も無く。

俺は今の話で、宗教じみた思想やらを語りたかった訳では無い。

ただ、突然哲学的な問いをぶつけられた時のぽかーんとした気分を、俺以外の人間にも味わってもらいたかっただけだ。

俺もこの話を初めて聞かされた時、まるで意味を理解していなかったからな。

それに、これから俺が今置かれている状況を説明するのに、何か枕になるような話があった方が、

何というか、ちょっとくらいショックが和らぐような気がしたんだ。

この話はここらで切り上げて、何故俺がこんな話をとうとうと聞かされる羽目になったのか、それはまたの機会に話すとする。



さて、前置きが長くなったが、ここで今の俺の状況を見てみよう。

俺の視界には、三人の人影が映っている。

薄暗くて見えにくいが、顔は十分見えるし、その背格好にも見覚えがある。


まず右端ののほほんとした顔付きの人物が、緩利由(ゆるりゆかり)。

俺とは遠い親戚関係、具体的には……「はとこ」にあたるのか。そして、同じ高校のクラスメイトでもある。

事情があって数ヶ月前から、俺は妹と共に彼女の家、緩利家に居候している。

そういった意味では、俺と緩利は密な関係と言えるのだけれども、未だにこいつには苦手意識がある。

掴みどころが無い。緩利有彩を説明するには、この一言に尽きる。

「ゆるり」という苗字も何と言うか、人の名はその人の性格を表すのだなあと、妙に納得してしまう。


その隣、三人組の真ん中にいる、背の高い影。

顔付きは一見男に見えるが、シルエットで分かる。同じく市立湖之岸高校3年D組の、雁瀬旭(がんせあさひ)だ。

息を呑むほどの中性的な整った顔、男勝りな性格、そして体格。通り名は、イケメン。

誰に対してもフレンドリーで、俺もよく会話を交わす仲だ。

学年ではまず間違いなく、ダントツでモテる。――主に、女の子から。

あけすけに言ってしまえば、誰もが彼女を女性だと認識できるのは、

そのボーイッシュな見た目に反して、胸が大変激しく主張なさっているからだ。


最後に、左端の小柄な少女……他の顔ぶれからして、恐らく鈎(まがり)だろう。

下の名前は、何と言ったかな。「たまちゃん」と呼ばれていたから、玉何とかだったと思う。

彼女については、俺はよく知らない。緩利や雁瀬と、一緒にいる所を時々見かける程度。

この前、アノマロがどうとか、呪文みたいな事を緩利に言っていた気もする。

記憶にある彼女の他の言葉も、意味不明なものが多い。とにかく、それくらいしか繋がりが無いと思ってもらっていい。



俺が三人を見ているのと同じように、あの三人の目にも、俺の姿が映っているはずだ。

ただ、薄暗い上に、俺はフードを被っているから、俺だと気付いてはいないかもしれない。

それにしても驚いた。こんな所で顔見知りに、それも女子ばかりの所帯に遭遇するとは、思ってもみなかった。

大体、日本中から毎日のように人が押し寄せる、スリリングでエキサイティングな自殺名所である所のここ湖之岸樹海に、

日も落ちたこの時間になって、女の子だけで来るなど、非常識にも程がある。

だが、彼女たちも俺に対して同じ感想を抱いているはずだ。

彼女たちはその自殺名所で、クラスの同級生の沓水良嶺(くつみずながれ)を見つけただけでなく、

あろうことか彼が、通販で4980円の特価で購入した高枝切りバサミを両手に持ち、木の枝を切ろうとしている姿、

そしてその枝の先に結び付けられた紐から――顔は黒く鬱血し、身体は重力で伸び切ってはいるが、

恐らくは人と思われる死体がぶら下がっているのを、目にしてしまったのだから。



さて、どうしたもんか。

見知らぬ人間ならいざ知らず、知り合いに見られてしまった以上、いっそ正直に全てを話してしまおうか。

事情を説明すれば、情状酌量の余地もあるかもしれない。

……いや、有り得ない。「樹海を徘徊して死体を集めている」なんて、口が裂けても言えない。

かと言って「よく分かんないけど、とりあえず遺体を下ろした方がいいと思った」なんて言い訳をしても、

高枝切りバサミなんて都合の良いものを携帯しているのが怪しすぎる。

俺が今思いつく最善の方法は、彼女達には目の前のフード野郎の顔が見えていないと信じて、

最近市内で噂になっている、「樹海の死神」とやらのイメージに合わせた対応をする事だ。

得体の知れない化け物みたいなのが相手となれば、あの三人もこの場から逃げ出すだろう。

死神って、どんな感じなんだろう。「ヴアァァァ」とか叫んで、襲いかかればいいんだろうか。

いや待て、下手に危害を加えようとしたら、もし三人の誰かが俺に気付いていた場合、

「夜の樹海で沓水君に襲われた」みたいな、誤解を生む事を言われかねない。

高三まで通って、そんなバカな理由で退学処分なんてまっぴら御免だ。

それなら、言葉でそれっぽい雰囲気を出して、追い返すしかないな。

こんな事もあろうかと、この前風呂場で練習しておいたのさ。

神様っぽい厳かな口調で、地獄から這い出てきたような低く気味の悪い声で……


「ここから出ていけ……さもなくば……ゲホゲホっ、ゲホっ」





→(1)へ続く