昨日の朝、いつもの散歩コース。朝日に光る重厚な夏の雲のせいで坂上の景色がいつもと違ってとても新鮮に感じられました。
近くのお屋敷で植木屋さんがハサミを入れるパチパチという音が心地良く響いていました。この時、朝8時過ぎ。青空も見えていたのに僅か5分後くらいに大雨になってしまいずぶ濡れで帰宅しました。
4連休最後の日曜日の東京は天気が不安定で晴れたり大雨になったりで公園へも行けず、家でずっと子供たちと遊んでいました。
iPhoneに入っているディズニーの「美女と野獣」のテーマソングを流すとアナ雪のエルサのドレスに着替えた娘が1才の弟の手を取ってベル(美女と野獣の主人公)になりきって気取った様子で踊り始めます。じっと見つめると照れて止めてしまうので関心のないフリをしてチラチラ見ていると、このまま時が止まってくれたらいいのになと思えてきました。
その後はテレビで美女と野獣の映画を見ました。何度も何度も観ているのに、まだ野獣が怖いらしく、私の膝の上に乗らないと一人で観ることができません。「アナ雪」や「ラプンツェル」同様、何回も付き合って観ているのでこの映画もすっかり覚えてしまいました。
ディズニー映画は何観ても面白いです。そして安心して観れるのがいいです。娘も息子もYouTubeも大好きですが、時々変な動画が紛れ込んでしまうことがあるので最近年齢フィルターをかけてみせています。
「クレヨンしんちゃん」は毛嫌いする親が多いと昔から聞きます。私は個人的にしんちゃんの大ファンなので子供達にもみせています。
アマゾンプライムで昔のエピソードを見ているとほぼ毎回のように「みさえ(お母さん)」がしんちゃんをゲンコツで殴るシーンが出てくるのだけ気になってしまいます。下品なのは気にならなくても「暴力」の描写は親としてちょっとな、と思ってしまうのです(ゲンコツシーンは毎週土曜日の放送される最近のエピソードではあまり見かけなくなった気がします)。
でも日本ではまだまだ「しつけ」と称した暴力が容認されている雰囲気があります。おもうに人が暴力を振るう時は人が理性を失った時。弱い立場の子供は叩かれる痛みよりもそんな状態になってしまう「大人」が恐ろしく思えてしまうのではないでしょうか。
今読んでいる英語の本"Pure Invention"で漫画界の巨匠、手塚治虫について書かれた章を読んでいます。
当時の漫画の本場アメリカでは1954年に発効された"The Comics Code"という子供を守るための表現の規制により漫画は完全に子供向けのモノとなった一方、日本の手塚治虫はパッと見可愛らしいキャラクター達はそのままに暴力や性の要素を含んだストーリーを描いて物議を醸し出したそうです。
「ドラえもん」に度々登場するしずかちゃんの入浴シーンやスカートがめくれる描写など、私も子供の頃から疑問も持たずに楽しんで観ていましたが、幼い子供が日頃接するテレビやマンガにそんな「エッチな」場面が登場するのは日本特有の「文化」だとか。
日本人として誇れることなのか恥ずかしいことなのか"Hentai(変態)"というワードはすっかり国際語として海外では認知されているそう。"Pure Invention"の中で著者(アメリカ人)は浮世絵の葛飾北斎を例にあげて
"The refined and the vulgar have long existed side by side in Japan."
(洗練さと低俗さは日本では隣りあわせのように長く存在してきた)
と綴っていました。
北斎は「富嶽三十六景」の「神奈川沖浪裏 」(英名:The Great Wave off Kanagawa)のような世界に知られた名作を残しつつも「蛸と海女」(英名:The Dream of the Fisherman's Wife)のようなド変態な春画も多数描いていたことを、そして日本では200年位前からそんな「土壌」が形成されていたことを著者は述べており、私も日本人としてとても興味深く読みました。
日本では社会的なストレスの影響が昔から強いのもそんな土壌の形成に役立っているようです。大人でも楽しめる漫画やアニメをはじめビデオゲーム、絵文字、カラオケ、ウォークマン、世界中に広まった日本発の、およそ「内向的」に思える文化、作品、趣味、娯楽、ガジェットの類いはやはり日本人だからこそ「発明」できたモノなのでしょう。
"Pure Invention"はそんな日本発のコンテンツや製品が世界の人々の「価値観」にどう影響を与え、変化をもたらしてきているのかに重点を置いて書かれています。まだ4分の一程度しか読めてませんが今回もとても面白い本に出合うことができました。
昨日の夕方の西の空もキレイでした