Salsa する?

Salsaの力を信じてます。
ココロの核にしみ込んで、カラダの芯が躍動します。

納得させられた映画、、「クソ野郎と美しき世界」

2018-04-19 10:42:24 | 映画



4月6日
二週間限定の上映映画「クソ野郎と美しき世界」が公開された。

当日チケットは取れず、ようやく観れたのは公開11日目の月曜の夜。
平日の最終回なのに、最前列の席しか取れなかった。

映画の前評判は、なんだかパッとしてない感じ。
が、
映画っていうのは、
大きなスクリーンで、自分の目でシカと見届けると前評判と全然違ってた、、
なんてことが多々ある。

この映画は観ていくうちに、コレは映画だけど、、
ドキュメンタリー…と思えた。
稲垣吾郎・香取慎吾・草彅剛の三人のための。

4人の監督によるそれぞれの物語は、
観客に<オープンエンド>の結末をくれた。
観る側の想像力と察知能力に任せたメッセージのよう。

それは
とっても分かりずらい部分と凄く解りやすい部分と織り交ぜて、、ネ
多分、わざと。。。。。


◇トップバッターは園子温監督/稲垣吾郎 分かりずらさのカオス◇


エピソード1「ピアニストを撃つな!」

のっけからシバラクは、ヘンな園子温ワールド。
とにかく一貫して・・・・が続く。
観終わり、ホッとし、エピソード2~3に入ると、
エピソード1の??が、そういうこと!?という確信に変わる。

意味がないようで、煙に巻いた巧妙な揶揄か、、

そんな中で不変の稲垣吾郎。
金太郎飴のように切っても切っても、どこまでも吾郎ちゃんの存在。

コレは
敢えて分かりずらく仕上げてるとしか思えなかった。

観終わった後、なぜかエピソード1のナゾ謎に引きずられた。
まんまと園子温監督の罠にかかった。


◇エピソード2 山内ケンジ監督/香取慎吾◇

「慎吾ちゃんと歌喰いの巻」は今置かれてる現状を物語っていた。

警察の取調室で
自宅のアトリエで
そして街角で
香取君の表情が演技とはいえ、
SMAP解散の後遺症を抱えているようで、切なかった。

エピソード2は、
尾崎紀世彦「また会う日まで」と歌喰い女子のキーパーソン。
そして布石だらけ。

ここに沢山のメッセージを託し、ファンへ彼らの再生を誓っている。
そう感じたのは私だけではないはずだ。。


◇エピソード3 太田光監督/草彅剛◇

「光へ、航る」

草彅剛という人は、アップに耐えらえる数少ない役者だと知った。

巨大スクリーンいっぱいの草彅剛の表情は、映画を完全に支配していた。

眉に一本の白髪があることまでも、なぜか自然でカッコいい。。

SMAPの中で一番遅咲だった彼が、ダントツの実力を魅せた映画かもしれない。


◇エピソード4 児玉祐一監督/全員◇


「新しい詩(うた)」

元SMAPの三人のデモンストレーションと決意表明。。じゃないかと。


割り切れない気持ちは本人たちだけではなく、
二度と聴けない、、ファンにとって大きな穴に落ちた感じ。

あと一日で公開は終わる。
それもまた寂しいが、また会う日まで愉しみに待って居ようと思えた映画だった。

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たかが猫ですよ・・映画/ボブという名の猫 ドキュメンタリー映画/猫が教えてくれたこと

2017-12-18 09:43:18 | 映画




◇たかが猫、、そう たかがネコだけど。。◇
朝5時。
早朝9時と10時50分上映の二本の映画を観るため、
自宅を7時に慌ただしく出た。

去年、ニュースでイギリスの猫が話題に。
猫とニュース、、という異例の組み合わせだったため、思わず見入った。

飼い主のいない、ただの茶トラのオス猫。。
その猫の存在が
一人の路上ミュージシャンの人生を大きく変えた。
youtubuで流された彼と猫の姿は、瞬く間に世界中の人が見ることに。

と同時に、英の出版社が青年と猫の写真に目をつけた。。
そこから彼は文章など、まともに書いたこともないのに、
「猫と路上ライブするようになった話し」を書くことに。
ボブと名付けられた猫は、
ジェームズという青年に満たされた日々と強運を持ってやって来た。


◇実話映画/ボブという名の猫◇

ジェームズは麻薬中毒患者。
幾度も断ち切ろうとするが挫折。

住む家もなく路上生活。
ゴミをあさって飢えを凌ぎ、まるでゴミのような日々…

ホームレス
無職
麻薬中毒患者など
社会からドロップアウトした人への立ち直るチャンスとして、
福祉の保護と監察の手が差し伸べられる。

その差し伸べられる手をことごとく裏切ってしまうジェームズ。
唯一の肉親である父親も、厄介者扱いでジェームズを遠ざける。

愛も友情もない日々に、ボブが迷い込んだ。
飼わないつもりが、いつの間にか友になり。
いつの間にか家族になった。

ボブはある日、ジェームスの乗るバスに飛び乗った。
行きがかり上、猫連れの路上ライブを決行する羽目に。
が、
その時から
ジェームスの運命は大きなうねりと共に変わっていく。

今まで、彼の存在すらスルーされたり、ゴミ扱いだった日常が、
見知らぬ人たちが、ジェームスに話しかけたり、優しい言葉と微笑みをくれる。
それと同時に、同業者の妬みやいじめにも遭う。

だが、
ジェームスはボブと居れば、ただただ幸せな気持ちになれた。
そして、ボブと暮らすために薬を断つことを決断する。 

死ぬ思いで麻薬を断ち、2012年『ボブという名のストリート・キャット』を出版。
30国以上の言語に翻訳。
本の売り上げ数は、1000万部以上を越えた。

そして映画部門では、
2017年ナショナル・フィルム・アワーズUK(最優秀英国作品賞)受賞。
猫は本物のボブが演じてる、、
どこまでスゴイんだボブ!!!

ボブには、タイヘンめいわくだと思われるが、
英のキャサリン妃とのツーショット…
後ろにいる男性が本物のジェームズ氏。


で、本を出版したことで実父との確執も溶け、父子の関係を取り戻す。
話はジェームズが12歳の時に戻るが、両親の離婚で傷つき笑うことがなくなった…
孤独から、麻薬へ、そして脱落人生、福祉の助け、ボブとの出会い。。

どこにでもある親の離婚という出来事であり、世界中にはゴマンとある話。
イギリスのは福祉国家であり、リセットするチャンスをくれちゃったりもする。
なんとも恵まれた話で、猫が人生を救ったという美談はなんとも甘ったるい。

だけど
一つだけ分かるの。

猫は人を選ぶ!!!
その人の発した汗や涙から、その人の本能みたいなもの。。
抱っこしてくれた時の、ことばの音色や手から伝わる優しさみたいな力。


この人と一緒に居ようと思うのは猫なの。

ジェームズ氏は本が売れ、家を買いボブと住んでいる。
が、、ほとんどの収益は寄付してしまった。
今は、動物愛護の仕事と、ホームレスの支援にも携わっている。

ボブはこんなジェームズさんだから選んだんだと。。私は思う。

猫好きは心が脆いやつが多い。
弱いくせに、見過ごせなかったり、助けたりする。
でも弱い中にも、正義や勇気があったりする。

猫は、そこを触発して発酵させてくれる存在。
たかが猫のくせに。。。。。。。


◇ドキュメンタリー映画/猫が教えてくれたこと◇


トルコのイスタンブールは猫だらけ。

飼い猫も、ノラ猫も、
のんびりと寝そべり、腹が減ったら町の人々にご飯を貰いに行く。

誰もぼったりしないし、人と猫が一緒に暮らす街。
多分、世界に類を見ないほど、猫を知り尽くしてる街だと思う。

カフェも市場もお店もアパートも道路も全て猫の居住場所。



イスタンブールが猫だらけなのは、港があるから。

世界中の船乗りが寄港するイスタンブール。
猫を連れて船に乗る船員が多かったため、寄港地のイスタンブールに猫が迷いこんだ。

そのまま世界中の猫が居る街になった。。と云う。


人々が
「猫が居るだけで しあわせな気持ちになれる」
 
「闇の中にいた自分が 猫と関わることで救われた。。」

こんな言葉を云う。


日本では考えられない映画、、
虐待も薬殺も数減らしもない世界だった。。。。

こんな風に
自由な猫と共存出来るイスタンブールの人々の表情に、
チョット江戸を感じた私だった。

『猫が教えてくれたこと』は上映館がかなりあるが、
『ボブという名の猫』は関東で横浜伊勢佐木町ジャック&ベティのみ。

早々に終わるのでお早めに!!


**コメントへの返信デス**

佐貫卓球ルームさんへ

「たそがれ清兵衛」がこんなにいい映画だったとは、、

介護は自分の本性を見せつけられます。

巧く伝わったかどうか、、分からない部分もありますが、
ブログでは書いて書いて書き続けたいデス。

コメントありがとうございます。


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江戸時代の介護 朝井まかて/銀の猫vs映画/たそがれ清兵衛

2017-12-04 09:44:38 | 映画


帯表紙/2002年公開「たそがれ清兵衛」
原作/藤沢周平 監督/山田洋次。

江戸末期のお話し。
徳川幕府の支配力が揺らぎ始め、薩摩藩や長州藩が京で不穏な動きをしていた頃。
山形の庄内地方の藩士として、僅か五十石扶持の平侍。
ボケた母と幼い子供二人を養い、
死んだ妻の薬代の借金返済のため、夜は虫篭の内職をしている。
同僚には<たそがれ清兵衛>と揶揄られ、
介護と子育てと生活の困窮に、人生を埋もれさせる日々。

それでも清兵衛は、自分がみじめだとか、辛いとは思っていなかった。
かつては剣の達人だったのだが、、


◇介護とは。。◇

それは誰もが通る道。

ようやく心持ちが安定し、
これから。。と思えた時期にやってくるのが、、介護。
徐々に天地がひっくり返り、人生のホントの機微に触れざる得なくなる。

それは6年前、突然の召集令状のように私に突き付けられたものだった。
大好きな事に費す時間も、、
ありふれた日常も、、
セピア色の出来事になり、私からバッサリ切り離された。

認知症の母にどんなことを感じ、どうやって乗り切るのか、
黒々とした冷たい海にポツンと投げだされた・・・

人生って、酷だなぁ、、と思った瞬間だった。



◇江戸時代の介護 朝井まかて/銀の猫◇


江戸時代の平均寿命は40~50歳。
今の時代から比べれば、短い生涯・・・と思ったら大間違い。

乳幼児のあっけない死は多く、その反面60歳を超えた者は身丈夫で長生き。
60、70はうじゃうじゃ。
80、90も、100歳越えもいた。。

江戸には、
経験値に長け、
その存在を必要とされ、
若いもんから頼られる居場所のある年寄りが多かった。

葛飾北斎も90歳の間際まで絵を描き続けた。
そこには
熟成した技術を尊び、大事にする考え方が根付いていた。

武士も町人も定年みたいな決まりはなく、
病気や介護がなければ70歳まではバリバリ働くのが普通。

商人で稼いだ者は早々に跡目を譲り、隠居生活。
悠々自適な<老光り>に励む。

老光リとは、
老後を優雅に旅に出たり、趣味に、俳諧に勤しんだりして豊かに気楽に過ごす。
憧れであり、これを励みに働いた。


気ままな<老光り>になれないとしたら、それは親の介護か自らの病気だった。

江戸時代の介護は、家族が主体。
他人の手を借りることは、親への孝に反する!と見られた。

しかも主に介護するのは、家を継いだ男子。
奥方と子供たちは家を守るため働く、、という構図。

何年も親の襁褓(むつき=おしめ)を取り換え、ご飯を食べさせる。
それでもこの場合は、江戸庶民の介護のまあまあ良い方。

江戸は独り者の男子が多かったため、
親を引き取り、
近所に頼ることが出来れば、それは御の字。
働きながら一人で看取ることは難しく、<共倒れ>になることも。。

江戸時代の介護は、
家族主体であったため心身共に疲れ果て、
介護する子の全ての自由と時間を奪った。
それでも親を全身全霊をかけて看取ったと認められた者には、
役人により表彰され、報奨金なるものも出た。


だとしても
働き盛りとされる50歳以上の男たちにとって、
介護は過酷で、、
外に出て稼ぐことも、遊ぶこともままならないものだった。


いつの世でも、ちゃんと隙間産業があるもので、
江戸には介護専門の斡旋屋がいた。

今でいうヘルパー産業。
そんな<おなご>を介抱人と呼んだ。

介抱人は<おなご>のみ。
その給金は、江戸の稼ぎ頭の大工並み。

それゆえ相当のお金持ちでない限り、介抱人は雇えなかった。
介護に疲れた大商人の家長が、こっそり雇うのが介抱人だった。


婚家を出て、二十代の女ひとり。
母親の借金を返すため、介抱人となったお咲。
介抱人となり、色んな家族や他人に知られたくない事情を知る。

それぞれに言えない物語があり、
複雑な想いを抱きながら介抱人お咲の視点から描かれている。



武士の場合、
絶対的に家長が看るとされる養老思想が根付いていた。
親の介護には「介護休暇」を願い出し、何年間か職務を離れることも許されていた。
なので、
介抱人の、しかも<おなご>を雇い入れるのは余程の事情。
そのため他言無用で秘密裏に雇い入れられた。

下女などを介護に就かせることもあるが、
プロの介抱人は評判も良く、引く手あまただった。

そして介護が終われば、武士の職務に復帰。
病気などの理由以外は、隠居は認められなかった。

それを表しているのが江戸城の朝の出勤風景、、
足腰が弱り、杖を突きながらヨボヨボと登城する武士たち。

主君に対する奉仕義務は、自分の意志で決めるものではなかった、、
そのためこんな光景が日常になった。
それでも武士たちにとって、
最後まで誇りをもって仕えられたのは幸せだったのではと思う。


そして
70歳定年が刻々と迫る今。
江戸時代と今の事情や組織の成り立ちが、真逆に。

ネットで繋がる若い力が重宝がられる今と、
経験値を重んじた江戸時代とでは、
70歳定年は過酷な状況を広げるだけではないのか、、と感じてしまう。




◇山田洋次監督 「たそがれ清兵衛」◇

母親の介護(認知症)と二人の子供の子育て。
虫篭作りの内職。
お城の仕事。
畑仕事
芝刈り。

一日は瞬く間に忙殺されていく。
清兵衛は薄汚れて、身なりを構うお金も余裕もない。

だが、心は優しさに満ちた侍。

子供たちの成長を歓びとし、学問をする意味を子供たちに諭す。

本家の家長が、

『女はひらがなが読めればいい!

 女が学問をすると嫁の貰い手がない。。』

清兵衛は子供たちに

「針仕事や料理と違い、役に立たないかもしれない

 だが、学問は自分で考える力をつけてくれる

 このことがきっと将来役に立つ。。」

生活に追われてるようで、実は違った。
自分の身の丈を知りつつも、娘たちの行く末を案じ見守る優しい父親。

「たそがれ清兵衛」の中で、
老いてボケた母にも嘆くこともなく、受け入れる清兵衛。

私には
色んな場面での清兵衛の言葉の一つ一つは、とても実直で風通しの良さを感じた。

出来そうで出来ない事は、自分自身の風通しの良さだと。


そして
山田洋次監督の描き方が、たまらなく嬉しかった。

深い優しさに満ち、滋味のある言葉に大事な心持ちがあり、
私にとって特別な映画の一つになった。

感謝。。。。。


**コメントありがとう!返信デス**

鉦鼓亭さんへ

 吉原の遊女たちの文は、なかなかの乙なものだったようですね。
 言葉遣いも巧く、文才と色香が漂う。

 江戸は知れば知るほど、深みにハマっていきます。

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前編/森の妖精のようなスローライフ。。ドキュメンタリー映画「人生フルーツ」

2017-04-11 17:01:08 | 映画


主人公は老夫婦二人。
津端修一さん90歳、英子(ひでこ)さん87歳。
東海TVが2014年~2016年2月まで撮影。
修一さん英子さんの淡々とした何気ない日々の生活の記録。

この映画の経緯や詳細は知らなかったが、予告編を見た時、、
なぜか見逃したらいけない…気がした。

なぜ、こんな高齢で、、ほぼ自給自足の生活をしてるのか?
不思議でしょうがなかった。

そして、やっと観れた。
謎は、私の予感を軽く超えていた。
心に深く響く言葉と
ナニカの違和感
気持ち良さの裏側に張り付く?はナンダロウ。。。。


書きたい、、と思ったが
予想以上に困った…


◇マッカーサー上陸から 公団のエースの挫折◇

戦争中、修一さんは自らの命の選択として、
海軍の技術系見習いで飛行機の設計に携わる。
理由は、特攻で命を落とすことがないからだった。

入ってみると、そこは特権階級で、全てが特別待遇。
食料のない時でも、肉や卵が食べれた。

が、修一さんにはその特権が耐えられなかった。
当時、台湾から連れてこられた少年たちが一万人。
そこの責任者として少年らと寝食を共にすることを志願。

終戦まで厚木の高座海軍工廠にいた。
そして降り立ったマッカーサーを出迎えたのが、修一さんたちだった。

焼け野原になった日本には、先ず住宅を建てることが必要だった。
その思いから、
修一さんはアントニン・レーモンドの設計事務所に三年間。
そこで人に優しい住宅の根幹を学ぶ。

その後
日本住宅公団に入社、18の団地を手掛け公団のエースに。
伊勢湾台風により5千人の命が奪われる大災害が起きた。
水害に無力な低地から高台へ8万人が住む!
という新しい発想の構想が掲げられた。
そのマスタープランを作ったのが、修一さんだった。

名古屋郊外の<高蔵寺ニュータウン計画>

緑の木々に囲まれ、風の通り道のある理想郷…
だが構想は、高度成長期の波に阻まれる。
理想郷のはずが、
風も緑も地形も無視された箱が規則正しく並んでるだけ。

公団のエース修一さんの挫折は大きかった。


◇妖精二人が育てたキッチンガーデン。。◇

だが、修一さんの思いはここで止まらなかった。
一人一人が出来る事。
高蔵寺ニュータウンを雑木林の茂る町にする。
住人たちによる「どんぐり山作戦」など。

修一さん英子さんはニュータウンに300坪の土地を買い、
公団の退職金でアントニン・レーモンドの家を再現。

宮大工の手によって作られた家に住み始めた。

40年後
こんもりと緑の生い茂った緑の中に、夫婦二人。
毎日キッチンガーデンと呼ばれる広い庭に出て、
70種類の野菜と50種類の果物の世話をする。

二人とも起床時間はバラバラ。
行動も別々。
顔を合わせるのは、
朝食・10時のティータイム・ランチ・三時のティータイム・晩ご飯。

英子さんが頼み事があるときは、ボードに書いて置いておく。
それを修一さんがやっておいて、ボードに「出来ましたよ」と置いておく。
夫婦の面白い距離感が、妖精さんたちの会話のよう。
話す言葉の音も静かで綺麗。
とにかく不思議だった。

二人の間には、
泣いたり、わめいたり、怒鳴ったり、地団駄踏んだり、、
夫婦の修羅場が一度もなかった。。

いつもニコニコと、楽しい話ししかしない。。という。

↓キッチンガーデンのレイアウト


そして、
潔く、美しく、正しい生活。
次世代に残すのはお金ではなく、豊かな心と土地。

そのために健康で長生きしようね🎵と二人は誓った。

映画が進むにつれて、素敵だな。。と思う憧れと、、
強烈な枠を感じた。

それが何か分からず、三日後。
家人を伴って、もう一度観に行った。

  つづくの


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ありがとうございます🎵



実は超上級編~ 1981年映画/北斎漫画vs2015年映画/百日紅

2017-02-01 10:06:43 | 映画



画狂人と称された葛飾北斎の生涯を描いた映画は、多分この二本。。

Youtubeで見た5分足らずの映像にビックリしたのが、
1981年の新藤兼人監督「北斎漫画」。
なにがビックリしたかと謂うと、
映画のセットの緻密さと本で読んだ風景がそのまま映像になっていたからだ。

ビデオ屋には置いてない、、
映画専門チャンネルも月々の料金を考えると割に合わない、、
もたもた考えてると、なにやら国立の図書館にも置いてある映画だと知った。
女体の裸がバンバン出てくる映画としては、かなり珍しいことらしい…

この情報を聞いた瞬間
「DVDを買っちゃえーーー!」と相成った。

言葉に出来ないほどのエロス満開というより、爆発だった。。


↓焦がれた北斎の生涯を描いた実写版



◇1981年映画「北斎漫画」 北斎の一生と春画「蛸と海女」とピカソ◇

北斎が40歳前、娘のお栄が19歳くらいだろうか。
世は浮世絵が大流行。
いきなり湯やの場面から物語が始まる。

<帯表紙の場面>
働き盛りの裸の男たちが北斎を囲んでいる。
豪華メンバー!

葛飾北斎(緒方 拳)
十辺舎一九(宍戸 錠)
式亭三馬(大村 昆)


奥に見える牡丹の絵(ざくろ口)の奥が湯船。
男女混浴のため、次々と裸で入っていく。

北斎たちの手前では、モンモン入れた男衆。
この当時は、やくざは白肌で素人が入れ墨を入れていた。
湯やは社交場であり、囲碁をしたり、
武士も庶民も様々なサークルを作りワイワイガヤガヤ。

この場面は、江戸っ子の日常がよく描かれている。
オレンジの⇒が北斎デーーース🎵

町中で偶然すれ違うキザ男が浮世絵師の喜多川歌麿だったり。。
人気沸騰中の歌麿に激しく嫉妬する北斎がいたり。

喜多川歌麿(愛川欽也)

そして90回以上引っ越しを繰り返す北斎親子。
間借りする家主が、
「南総里見八犬伝」の滝沢馬琴だったり。。

滝沢馬琴(西田敏行)

この豪華メンバーの始まりは30代。
俳優陣が若く、引き締まった身体と綺麗な肌にビックリ!!

で、
映画は有名な春画「蛸と海女」を中心にド変態エロスに入っていく。
画の背景に書かれているニョロニョロ文字は、北斎が書いた蛸のド変態台詞。
簡単に言いますと、
海女を竜宮城に連れてって、たっぷりたっぷり可愛がってやる~~~🎵
と書いてある。。


この画は、ピカソが所蔵していた北斎の春画の一つで。
ピカソ自身が北斎の影響を受けていたと見受けられる。
後に上品な「Woman and Octopus」
女性とタコを描いていらっしゃるほどですからね。


映画の締め括りは。。
90歳の北斎の死と71歳の娘お栄の風情が、
とてもリアルに生身の北斎を忠実に描こうとしてる。

謎の多い北斎だが、
産みの母との関係や養子先のとの微妙な距離感もへぇ~なるほど。。と分かる。
<画狂人>と称される背景が、ぴったりハマる映画だった。

そして外せない話題として、
女優/樋口可南子と田中裕子の脱ぎっぷりには脱帽。
但し、
観た後の疲れ方は、スゴイです。。。。。。よ


◇2015年映画「百日紅」原作/杉浦日向子◇



娘お栄の視点から描かれた北斎。

画の事以外は全く無欲。

心が強そうで、実は非常に繊細な北斎。

杉浦日向子さんの物語は、全体があったかく優しい。

「百日紅」も絵師としての日常だが、画狂人ではない。

儒教的な部分も色濃く出ていて、読後感がすこぶる良い映画。


謎の部分は美しい霧のように描いてるのが、「北斎漫画」とは真逆。


この二本の映画は面白いパズルのようだった。
北斎の左右・前後・表裏のようにね。



去年の11月末。
北斎40代の肉筆画「鶏竹図」がデンマークでの競売に出た。
本家の日本では、この画の存在は知られていなかった。
北斎の絵は至る所に、埋もれている可能性を示唆した記事だった。

 


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