昨日、横浜のとある駅前でボランティアによる犬・猫の里親の会が開かれていた
ここは毎週日曜日に雨天以外は必ず開いていて、多くの猫達と犬が保護されている
「どうかもらわれて幸せになりますように」と、願いながら会場を後にしようとした時、
目にとまった一枚の写真
それがこの表紙の写真だった
写真に添えられた文章は「心をなくした犬」
*この子は粗大ごみと一緒に捨てられていました
誰にも心を開かない子です。今は世話をしてくれるホームレスの人と
ボランティアで保護している。と書かれてあった
私の目にはこの子の目に喜びも悲しみも怒りも何の光も感じられない、
つらい写真だった
どんな事情にせよ、この子の飼い主は自分の犬を粗大ごみと一緒に捨てるような人間だ
人の心なんてないに等しい
犬や猫は物ではない、心を持った生き物だ
今、ツイッター上でもこのような心をなくした犬達を保護し、犬達をケアしながら里親を
捜している人がいる
ツイッターの中で保護した状況と経過が載せてあり、それを見た人が新しい家族に
名乗りをあげ、心を取り戻した犬達は新しい家族のもとへ貰われていく
その人は安易な気持ちで動物を飼わないで欲しいと叫び続けている
物凄く当たり前の事なのに、言わないとどんどん無責任に飼い捨てるからだ
そして貰われていくツイートを読む度に、
その子が星になる日まで慈しみ育てて欲しいと願わざるえない
*余談*
私も以前放置された猫達を保護し、里親に出したりしていた日々があった
そんな時に我が家になんちゃらの証人なる方が2人、布教活動でいらした
お二人とも菩薩のような「無の境地」のお顔で物静かにインターフォン越しに
聖書の事を話し始めた
信念を持って布教してるのだから、丁重にお断りしてお引き取り願おうと
玄関を開けた
そしてお断りしていると無の境地の方々がすばやく猫達を発見
きっかけがあったと思われたのだろう
突然「神は動物達を人が愉しむためにお創りになったのです」と仰った
何か私の中でカチッと引っかかり、憤りを感じた
その方が聖書に書かれている上澄みだけを厳かに言ってるように思え、
私が「本気でそうおもってるのか!?」と言い
そこから大論争になり、二人の菩薩の内の一人は顔を真っ赤にして目を吊り上げ、
「また、お話に来ます!」と言って帰ったのだ
その日から週に2回ほど私を改心させるための使者が半年も来て、彼等は諦めた
多分、菩薩のお二人が「与えよ、さらば与えられん」くらいの話ならば、こんな
事にはならなかった
動物を引き合いにだした身勝手な解釈が、たまらなかったのだと思う
あともう一つ紹介したい記事
中国版「忠犬ハチ公」として世界中から関心を集めている1匹の犬がいる
中国・山東省の村で、今月上旬に亡くなった飼い主が埋められた墓のそばを片時も離れようとしない
かれこれ1週間以上が経過し、心配した村の人が家に連れて帰っても、またすぐに飼い主の眠る墓に戻ってしまうという
身寄りのなかった飼い主の愛情を一身に受けていたこの犬は、飼い主が亡くなった後も共に寄り添うことを選択したようだ
村の人は「犬を連れ帰って蒸しパンをやったら、パンをくわえて、そのまま走って墓に戻ってしまったんだ」と話した
犬の強い思いに動かされた村の人は、定期的に餌や水を与え、墓のそばに小屋を作る計画を進めているという
今日はあまりにも対称的な犬の心の話です。
飼い主に捨てられ心をなくした犬、飼い主の死後も亡骸に寄り添う心の犬
なぜか切なくなります
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